http://www.asyura2.com/13/genpatu35/msg/378.html
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「唯一実現できなかったのが「給食の安全対策」であった:森ゆうこ氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/12912.html
2013/12/20 晴耕雨読
https://twitter.com/moriyukogiin
今朝、参議院議員会館で開催された「給食をまもりたいお母さんたちの報告会 」に要請を受けて急遽出席。
副大臣の時に給食安全確保事業を実施した当時のことなどをお話しました。
その後、鎌仲ひとみさんや三宅洋平さんたちとディスカッション 。
「子どもたちを、国民を放射能から守る」この当たり前のことが何故最優先で行われないのか・・・
今朝の動画をアップしました。
http://t.co/6zFg4IOCHw
原発事故の後、少なくとも学校における放射線防護対策を緊急に実施すべきであると与党(民主党)の部会で提案したがなかなか理解が得られず、もっと具体的に提案しようとして作ったのが議員立法私案「学校等における被ばく防護法案」 http://t.co/ma4UQWtNne … である。
「学校等における被ばく防護法案」で提案した校庭の除染、エアコンの設置、リフレッシュキャンプなどは補正予算で対策が措置されたが、唯一実現できなかったのが「給食の安全対策」であった。
ほとんど賛成してくれる人がいなかったからである。
給食の安全確保事業に対する賛同が部会で得られなかった理由は、「暫定規制値(500ベクレル/kg)で食品検査が実施されているから流通している食品は安全である。
更に安全確保事業を行うと安全な食品しか流通していないという政府の立場を否定し、風評被害や差別を生む」というものであった。
副大臣の時に苦労して実施した給食安全確保事業も後退しているのではないかと思わざるを得ない報告が今朝の勉強会であった。
原発再稼働や原発輸出・新増設を進めたい勢力にとっては「事故は起きたが放射能の影響は大したことはなかった」と国民に思わせることが不可欠なのだ。
三宅洋平さん(?)が言った言葉だと思うが「我々は渦中にいる」ということを忘れてはならない。
放射能は目に見えず、晩発性障害は、まさしく「晩発」なのだ。
アプローチの仕方を工夫しつつ、諦めずに活動を続けネットワークを広げよう、代表を政治に(特に各自治体選挙で)送り出そうと呼びかけた
「学校等における放射線防護法案(私案)」を作った時、一番迷ったのが放射線量基準値を法案に入れるかどうかであった。
法制局と相談した結果、実行線量1ミリシーベルト/年を入れた。
それでも学校で子どもたちが過ごすのは一日のうち1/3程度だから年間3ミリである。
悩んだ末、法案に線量基準値を入れたのは、線量基準値を入れなければ、放射線防護のための法律は機能しないと考えたからである。
事故から2年半経った今、線量基準値がなし崩しに緩和され、改正福島特措法では、勤労者の実行線量が過大にならないよう配慮するという条件付きではあるが、20ミリシーベルト以上の所で事業を再開したり、新規開業する流事業者への税制優遇措置まで盛り込まれてしまっている。
> 給食の【安全】の前に【避難】は検討されたのですか?
学校再開のための20ミリシーベルト問題で官邸と激しく対立。
子どもたちの疎開を強く主張しましたが、実現できませんでした。
移住権の保障をずっと提案し続けています。
しかし、現実は大きく乖離。
> 今日のお話にはとても感動しました!震災直後に森さんが政権中枢で子どもたちを守ろうと尽力されていたのを聞いて、感動して泣けました。わたしたち母たちも必死でしたけど、孤立無援では無かったのですね。頑張る気力も無くなりかけていましたが、また元気が出ました。
こちらこそ感謝です。
今朝もお話したように、給食安全確保事業を実施する時に40ベクレル問題であわや更迭かという危機がありましたが、それを救ってくれたのは、全国からお母さんたちが私を支持する意見表明を文科省に対してメールやFAXでしてくれたからです。
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