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動画http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131214/k10013835491000.html
12月14日 18時43分
福島県内の除染で出た土などを保管する中間貯蔵施設について、政府は福島県と原発周辺の3つの町に対し、建設の受け入れを正式に要請しました。
自宅が中間貯蔵施設の予定地になった福島県大熊町の住民は、施設の建設はやむをえないと受け止めながらも、ふるさとを奪われることに割り切れない思いを抱えています。
大熊町の農家、西村孝さん(78)の自宅は、福島第一原発からおよそ1キロの場所にあり、政府が示した施設の予定地になりました。西村さんは原発事故の前、60年以上にわたって自宅周辺のおよそ5万平方メートルの田畑で米や野菜を作り、東京にも出荷してきました。
しかし、原発事故のあと会津若松市に避難し、同居していた子どもや孫とも離れ離れの生活を余儀なくされています。一時帰宅しても、自宅周辺の放射線量は現在も1時間当たり30マイクロシーベルトを超え、自宅の中は雨漏りや動物の進入によって荒れ果てています。
西村さんは、放射線量が依然高く、農業もできないなかでは自宅に戻ることは難しく、施設の建設はやむをえないと諦めています。その一方で、200年以上受け継いできたふるさとを奪われてしまうことに、憤りと割り切れなさを感じ、自宅近くの墓に参るたびに、先祖に「申し訳ない」とわびているといいます。
西村さんは「これほど放射線量が高くては帰ることは難しく、施設ができることはしょうがないと諦めている。ただ、先祖から受け継いできた田畑が奪われてしまうことは本当に悲しい。国は少しでも早く生活再建ができる手立てを示してほしい」と話していました。
楢葉町「帰還を目指している町に施設が必要なのか」
福島県楢葉町の住民は、早期の帰還を目指す「避難指示解除準備区域」が、政府が示す施設の予定地になったことで、町に戻ろうという住民が減るのではないかと不安を抱いています。楢葉町は、大部分が「避難区域解除準備区域」で、現在、除染やインフラの復旧など住民の帰還に向けた準備が進められています。
施設の予定地からおよそ5キロの場所に自宅がある農家の松本新一さん(66)は、原発事故の前、代々受け継いできた田畑でコメや野菜を作っていました。原発事故のあと、妻と共にいわき市に避難していますが、多いときには週に2回ほど一時帰宅して自宅の片づけや田畑の手入れなど帰還に向けた準備を続けてきました。
松本さんは施設の必要性を理解をしつつも、中間貯蔵施設が結果として最終処分場になるのではないかという不安や、施設ができたために町に戻ろうとする若い人たちが減るのではないかと危惧しています。また、施設そのものの安全性や廃棄物を運搬するトラックなどによる渋滞や事故などの増加も懸念しています。
松本さんは「お盆やお正月には孫たちが必ず訪れていたが、原発事故のあとは『楢葉には行きたくない』と孫たちが言い始めているなかで、施設ができるのは本当につらい。ほかの2つの町に比べて比較的放射線量が低く、帰還を目指している町に施設が必要なのか、疑問がある。住民の声を基に十分に議論して、慎重に進めてほしい」と話しています。
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