http://www.asyura2.com/13/genpatu35/msg/291.html
Tweet |
無反省に「原発復権」を推進する原発行政・御用審議会 国民の目は欺けない(FGW)
http://financegreenwatch.org/jp/?p=39230
12月 14th, 2013 Finance GreenWatch
経済産業省の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会が、現在、「原発再稼働推進」をうたいこんだ政府のエネルギー基本計画案を了承した。東京電力福島第一原発の1―4号機の収束の見通しが全くつかず、全国の他の原発もすべて停止している中で。ここに至る原子力行政をリードしてきた経産省の政策責任について何ら言及せず、また審議会自らのチェック機能の不在についても一切反省のないままだ。
だが、原発を巡る多くの「ウソ」は国民の前に、すでに明らかになっている。与党多数の政治構造を背景にして、「ウソ」を強引に塗り込めようとする原発復権シナリオを高々と掲げても、国民の目は欺けない。
【福島県民、国民に、失礼な審議会】
経産省は原発復権のため、今年3月からスタートした有識者会議の段階から、原発復権シナリオを確実にするため、用意周到な準備を進めてきた。経済の視点で脱原発を唱えるシンクタンクの専門家らを委員から外し、原子力ムラに近い委員に切り替えた。報道によると、こうした偏った委員構成に一部の委員から異論が出ると、基本政策分科会の会長を務める三村明夫新日鉄住金相談役が「他の委員に失礼だ。我慢できない」と語気を荒げて抑え込んだという。
電力は鉄鋼業界にとって有力顧客企業であり、かつ現在の電力地域独体制は、鉄鋼各社にとって寡占取引で確実に利益を上げる構造になっている。一方の電力会社は、鉄鋼などへの支払いが嵩んでも総括原価方式で負担は電力利用者に回せば済む。こうした関係にある鉄鋼業界代表が、審議会を中立的に運営できると期待するのが無理である。国民にすれば「国民に失礼だ。我慢できない」という感じだろう。
さらに、福島の原発処理は一向に進まず、放射能汚染水の海洋流出も止まらない。止まらないどころか、むしろストロンチウムなどの観測濃度は日を追って高まっている。マスコミはほとんど取り上げないが、東京に降ってくる大気中のセシウム量も依然、止まっていない。福島県議会は、東電の第一原発だけでなく、第二原発も含めて県内の一切の原発廃棄を議決している。そんな状況のなかで、「原発は基盤となる需要なベース電源」と位置付けることは、「福島県民に失礼だ。我慢できない」となる。
本来ならば、三村氏は、安全を疎かにし、利権をむさぼるだけだった長年の経産省の原発行政の片棒を担いできた審議会の不明を恥じ、会長の座を辞することから始めるべきではなかったか。少なくとも歴代の審議会の責任について、つまびらかにしたうえで、この国のエネルギー政策を虚心坦懐に論じ、多くの意見を踏まえて最適なシナリオを選別する姿勢を示すべきだったと思う。そうしたことこそが、この国を代表する経済人に求められる。残念ながら、そうした経済人の姿がほとんど見当たらない。
【エネ計画案のウソ】
エネルギー基本計画案が「ウソ」の積み上げであることは明らかである。まず、原発のコストについて。これまで審議会も含め、原発は他のエネルギー発電の中で最も安く、1kWh当たり6円前後とされていた。さすがに福島事故後に実施した政府の「コスト等検証委員会」では修正が加えられ、最低9円程度とされた。しかし、最近公表された自然エネルギー財団の試算は、欧米と同様の安全対策などの事故リスク対策や廃炉費用などを加味すると1kWh当たり17円となり他のエネルギー発電よりも割高となる。しかも、事故リスクは他に比べ比較にならないほど大きい。
小泉元首相が喝破した最終処分場の不在問題について、計画案は最終処分場を自治体から公募する方式から、政府が直接選定する方式に切り替えることを明記した。しかし、これも問題解決にならない「ウソ」だ。最終処分場が決まらないのは、選定者が自治体だからではない。処分に適した場所が見当たらないからである。地震多発で、断層が各地に走る日本列島に、万年の単位で安定的に貯蔵できる地層処分適地がないのである。したがって、国が強引に特定の土地を指定しても、国民への十分な説明責任を果たせない。
計画案は原発が地球温暖化などの環境問題に貢献することを強調している。これも「ウソ」だ。確かに、稼働中の原発は石炭火力などとは違って、CO2はほとんど排出しない。しかし、現在、問われている温暖化対策は直接排出だけではなく、光熱費等の間接排出、取引先や従業員の活動等のいわゆるスコープ3も入る、また、原発の場合、廃炉過程でのCO2も考慮しなければならない。事故廃炉の場合は当然だが、通常廃炉でも20年前後の解体工程で出るCO2量は相当な規模に膨らむ。さらに、放射能汚染という環境リスクを考慮すると、膨大な環境費用を発生させる。
【歪んだ多数派工作】
委員の構成を「原発推進派」を多数にし、少数意見を形骸化して、これらの「かつてと同様のウソ」をちりばめた原発復活シナリオを強引に通す方法は、安倍政権の特定秘密保護法の成立過程と極めて通う。先に石破自民党幹事長の「間違った民主主義解釈」について言及したように、民主主義の多数決原理は、多数派が数を頼んで何でも実現できることを確約するものではない。民主主義はそもそも、一人ずつの意見を尊重し、少数意見も含めた合意形成の手続きである。多数を頼んで何でもできるとするのは、全体主義である。
自民党の政治家が、民主主義の根本を理解していないのは、わが国の政治がいまだ途上国段階にあることを示している。政治だけではない。経産省は、福島事故直後は首をすくめて反省したかの素ぶりをしながら、ほとぼりが冷めたとみるや、今回のように反省ゼロの「元来た道」を高らかに掲げる。国民はこうした無反省な官庁の横暴にだまされるほど、もはや寛大ではない。役所の言いなりの審議会も含め、これらの旧来型のガバナンス体制で、国民や国際社会が、仕方がないと納得する時代は終わっているのだ。
【国民の変化】
原発を巡る諸課題について、何度もつく「ウソ」ではなく、明確な回答がなければ国民は、社会は、納得しない。数の力で押し切っても、次の選挙でひっくり返せばいいと確信する国民の数は少なくない。将来世代、この国の国土にかかわることだけに、国民は真剣なのだ。
国民の安全・安心を軽視する政党への信頼は、国民が冷静に事態を見つめれば見つめるほど、低下していく。国民の安心・安全より、自らの利権、業界の既得権を重視する旧来の鉄の三角形の構造は、この国にとって害でしかないことが次第に明白になっていく。経済構造の高度化・高付加価値化を、旧来の寡占体制や既得権限死守で阻害する一部の産業界も、その存在意義を失っていく――。
無反省の「原発復権」の推進は、推進者たちの意図に反して、復権を阻止する新たな変化の芽を、力に変える加速させる効果も生み出すだろう。(FGW)
▲上へ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素35掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。