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復興を問う:消えた法の理念2 「線量基準」先送り
http://mainichi.jp/shimen/news/20131202ddm041040073000c.html
毎日新聞 2013/12/2
◇省庁間で難題押し付け合い
2012年9月7日、議員会館で開かれた当時の政権与党・民主党の会合。「子ども・被災者生活支援法」で支援対象地域を線引きする「一定の線量基準」づくりの課題を文書3枚にまとめて配布したのは、復興庁の岡本全勝(まさかつ)統括官と、後に「暴言ツイッター問題」で更迭される担当参事官(当時)だった。
《新たな風評被害を生む恐れがないか》《避難者の帰還意向が薄れる恐れがないか》
基準づくりに消極的な記載が並ぶ。中にこんな提案もあった。《まとまった区域(例‥市町村単位)ごとの設定が必要ではないか》。議員らが「できるだけ広く支援する趣旨の法律だ」などと激しく批判すると、元参事官は立ちすくみ、岡本氏は「今日は意見を聞きに来ただけ」と提案を引っ込めたという。
忘れられていたこの提案が突然再浮上したのは1年後、福島県33市町村に支援対象を限定した基本方針案が発表された今年8月だ。
支援法は12年6月に成立。当時の国会審議では基準を年1ミリシーベルトとする主張が目立ったがまとまらず、条文には盛り込まれなかった。成立を主導した川田龍平参院議員(みんな)は「理念を法律にするのを優先した」と話す。
支援法議連会長の荒井聡・元国家戦略担当相(民主)は「復興庁は最初から線量基準を決める気がなかった」と指摘する。一方、成立直後に法律を担当した阪本克彦・復興庁参事官(当時、現内閣府)は「政治判断で決めるべき難しい問題だった」と釈明する。
政府関係者によると、問題が動き出したきっかけは同12月、自公が政権を奪回した後の安倍晋三首相の福島訪問だったという。首相は郡山市内で川内村の避難者約20人と懇談し、村に戻るための生活支援、特に子どもが戻る支援を求められた。
復興庁と内閣府原子力被災者生活支援チームは、実質的に解散状態だった「放射線審議会」に目をつけた。今年2月、所管する原子力規制委員会に線量基準の検討を打診。だが年100ミリシーベルトを下回る低線量被ばくの健康への影響の有無には両論がある。規制委関係者は「科学者生命を奪われかねず、簡単に受けられる話ではなかった」と明かす。
関係省庁の事務方の会合は連日深夜に及び、難題の押し付け合いの様相を呈した。
復興庁、支援チーム「我々は専門家でない。専門家の規制委にお願いしたい」
規制委「協力はするが、協力できる形でボールを投げてほしい」
迎えた3月7日。首相官邸であった原子力災害対策本部会議で、根本匠復興相は「線量基準とそれに応じて講じる防護措置」について「対策本部において議論し、年内をめどに一定の見解を示してほしい」と読み上げた。規制委には「科学的見地からの役割を果たしてほしい」と求めた。
全閣僚が入る同会議は実質的な協議の場ではない。結論は先送りされ、議論は完全に水面下に潜った。=つづく
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