112. 小沢カルトは馬鹿ばかり 2013年12月02日 08:36:29
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>107 >福島事故でヨウ素剤を配らなかったのは、ウクライナだかベラルーシの研究にも、甲状腺がんとヨウ素剤の摂取は関係なかったというのがあること、 >ポーランドの研究も知っていたろうから(ヨウ素剤を97パーセントの国民に摂取させても女性の癌は事故後増え続けたから)、
大嘘だな
実際は、現場の混乱と無知。 更に、ヨウ素剤の用意が不足していた地域があって配布基準を釣り上げる動きが蔓延したことである -------------- 『複数の政府および地方自治体の当局者らと助言者らは、ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで、東日本大震災の様々な面の責任を負う異なる政府機関の間でコミュニケーションの行き違いが続いたことを指摘した。』
... 『指示の遅延については、事故直後の政府の突然の動向の変化にも言及されている。その時、地方自治体の当局者らは個人が安定ヨウ素剤や汚染除去による安全措置を受けられる放射線の基準を大幅に引き上げた。 『福島第1原発から30キロ余りの距離にある川内村の村役場の井出寿一総務課長は、「そんなものを飲まなければいけないなんて、殆んど誰も知らなかった。16日に役場に届いたときには、もうみんな避難した後だった」と語った。』 ちょっと待った。「地方自治体の当局者らは個人が安定ヨウ素剤や汚染除去による安全措置を受けられる放射線の基準を大幅に引き上げた」?十分に安定ヨウ素剤があったのならなぜ放射線の基準を大幅に引き上げたのでしょう? ここにどうも嘘がある。記事の続きを読むと、原子力安全委員会は1号機の爆発の翌日の3月13日に手書きのファックスで保安院宛に安定ヨウ素剤の配布と摂取を勧めているのです。保安院はそのファックスがどうなったのか分からない、と言い、安全委員会はファックスが保安院でどう処理されたのかは知らない、と言い、「住民は安定ヨウ素剤を飲んだものと思っていた」と言明。 『国際医療福祉大学クリニック院長で原子力安全委員会の緊急技術助言組織のメンバーである鈴木元氏は、「我々のような専門家にとって、一番防御しなくてはいけないのは、小児甲状腺ガンのリスクだということは明らかだった」と述べた。さらに、「肝心な住民は安定ヨウ素剤を当然飲んでいるはずだと思っていた」と続けた。
『鈴木氏は、8月にやっと分かった時には、まさか、という感じだったと話す。 『原子力安全委員会は最近になってウェブサイトで、3月13日付の手書きのメモを、錠剤の配布と摂取を勧めた証拠として掲載した。 『一方、原子力安全・保安院はこうしたメモは送られてこなかったと主張している。 『原子力安全・保安院の松岡建志・原子力防災課長は、この行方が分からなくなったメモについて、同院は引き続き調査していると言及。同課長は、「ERC(緊急時対応センター)で混乱があり、それが理由で伝わらないことがあったなら、それは申し訳なく思う」とし、「当時は、まずは避難だという考え方でみんなで動いていた」と述べた。 』 ...『原子力安全委員会は最近、ウェブサイトに、検査で特定水準の被曝が確認される場合には、40歳以下の福島県の住民に安定ヨウ素剤が与えられるべきだと主張する3月13日付の文書を掲載した。同委員会はこの文書は、事故の最悪の日となったと考えられている同月15日以前の13日午前10時46分に、原子力安全・保安院に送付されたと主張している。3月15日には原子炉2基の爆発で福島県内の多くの町に放射性プルーム(飛散した微細な放射性物質が大気に乗って煙のように流れていく現象)が広がった。 『震災後の政府当局者間のやり取りの大半と同様、この文書は東京の災害本部に電子メールではなく、ファクスで送付された。原子力安全委員会の都筑英明・管理環境課長によると、災害本部内の原子力安全委員会の担当者がこのコピーを原子力安全・保安院の担当者に手渡した。都筑課長はインタビューで、「その後どのような判断で、どのようになったのかは、我々の知るところではない」と語った。 『原子力安全・保安院の松岡課長は、同院は同院の職員がこのメモを受け取ったかどうか確認できないとし、これに関して調査が続いていると語った。 一方、福島県は管首相自ら率いる災害対策本部からの指示を待ち続けていた、と弁明。それでいて、福島県が行ったのは、放射能汚染の基準を引き上げること。 『状況に詳しい関係者らは、安定ヨウ素剤の配布基準の突然の変更がこの遅延につながった一因であった可能性があると指摘している。今回の災害前に作成された公式の防災マニュアルによると、1万3000cpm(cpm=1分当たりの放射線計測回数:カウント・パー・ミニット)の水準が示された場合には、シャワーや衣服の着替えなどの除染および安定ヨウ素剤の配布が必要とされていた。 『3月14日には福島県はこの基準値を10万cpmに引き上げた。レベルが引き上げられると、1万3000〜10万cpmを示した住民には衣服の表面を拭うためにウェットティッシュが配られた。錠剤は与えられなかった。 『3月に1万3000cpm以上を記録した住民は約1000人となり、10万cpmを上回ったのは102人だった。 『先の原子力安全委員会の緊急技術助言組織のメンバー、鈴木氏は、「スクリーニングレベルを上げたいと言ってきたときに、かなりの汚染のレベルだということをすぐに感じた」と言及。「ロジスティクスが間に合わないほど対象者が沢山いるということを暗に言っていた。水も着替えも、人員も間に合わないという状況だった」と語った。 『長崎大学の教授で事故後、福島県でアドバイザーを務めた松田尚樹氏は、3月14日の地域住民のスクリーニングの日以降に行われた浜通りから帰着したスクリーニング部隊との会議を思い出す。同部隊はサーベイメーターの針が振り切れた、と報告した。松田教授は大学のウェブサイトに掲載したエッセイで、「それまでの1万3000cpmではまったく立ち行かないことを示していた」と記した。「避難所の住民の不安を煽らないために、アラーム音は消すこと、タイベックスーツやマスクもなるべく着用しないことなどが申し合わされた」という。 必要な数の安定ヨウ素剤はあった、と記事の前のほうにありました。ではなぜ基準値を引き上げたのか。これを読解すると、「待ち続けていたけれども指示が来ない、指示がないままにヨウ素剤配布などに県が独自で動くと後で問題になる、そこで汚染基準を引き上げれば動かなくて済むし、指示を待っていたのに来なかった、と国のせいに出来、自分たちは安泰」、という可能性。 もう一つは、「必要な数の安定ヨウ素剤があった、というのは嘘で、実はぜんぜん足りず(あるいはまったく無く)、とても全員に配れないので基準を1桁上げてヨウ素剤が無い、足りないのがばれないようにした」、という可能性。1万3000cpmを超えた1000人にも配るヨウ素剤が無かったから、基準を一挙に10万cpmに引き上げた、と。 そして、福島県の行為を追認する形で原子力安全委員会が折れ、結局安定ヨウ素剤は、実際にそこにあったにせよ無かったにせよ、肝心なときにほとんど誰も服用出来なかったのです。 『原子力安全委員会はもともとスクリーニング基準の引き上げには慎重だった。同委員会は3月14日、福島県に対し1万3000cpmに据え置くよう助言する声明を発表した。
『福島県が新基準を数日間使用した後、原子力安全委員会は3月20日に態度を緩め、同委員会は声明で、10万cpmは、緊急事態の初期における国際原子力機関(IAEA)のスクリーニング基準に照らして容認できるとした。 『政府による3月16日の安定ヨウ素剤の配布に先立ち、双葉町と富岡町を除く近隣の町々は住民に同錠剤の服用を指示しなかった。その後福島県内で最も汚染がひどいと確認された浪江町もその1つだった。 『結局、政府による3月16日の指示後、福島県は福島原発から50キロ範囲内に位置する市町村全体の90万人の住民に行きわたる安定ヨウ素剤の錠剤と粉末剤を配布した。 その大半は未使用のままだ。
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