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なんでも国が負担するのはおかしい!「株主と銀行の責任」「廃炉の枠組み」が汚染水問題の焦点だ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37413
2013年11月01日(金)長谷川 幸洋 :現代ビジネス
原発事故の除染費用を東京電力ではなく、国が税金で負担するという話が持ち上がった。「ついに」というか「やっぱり」というべきか。
こうなると、いよいよ「東電本体の経営をどうするか」が避けて通れない課題になる。
現行の枠組みがどうなっているかといえば、前回コラムを含め、これまで何度も紹介してきたように放射能汚染物質対処特別措置法の下で国が一時、除染費用を立て替えたとしても「最終的には東電が負担する」と決まっている。
ところが、東電は昨年11月の時点で被災者への賠償、除染、中間貯蔵費用だけで10兆円程度と目される費用を「一企業のみの努力では到底対応しきれない」として事実上、ギブアップ宣言を出している。これも当時のコラムで指摘したとおりだ。
■東電は無い袖は振れぬと開き直っている
事態はそこから一段と悪化して、汚染水問題がもはや収拾不能ではないか、と思われるほどになってしまった。
東電は実質的に破綻しており、賠償も除染も汚染水問題を含む廃炉も東電の手に負えないのは、もはや覆い隠しようがない。
実際、国はこれまで東電に対して404億円の費用を請求したが、東電はわずか67億円しか払っていない。法律が明確に定めているにもかかわらず、支払わないのは「ない袖は振れない」と居直ったも同然だ。
以上は、私が指摘するまでもなく、法律の枠組みと東電の発表をそのまま素直に読めば、だれにも分かった話である。
今回、降ってわいたかのように税金負担の話が出てきたのは、自民党の復興加速本部(大島理森本部長)が「国が一部を負担する」という提言案をまとめたからだ。裏を返せば、自民党も東電のギブアップを認めたのだ。
それによれば、すでに計画済みの除染(約1.5兆円分)については法律が定めたとおり、東電に費用を請求する。
だが、それ以上の除染と中間貯蔵費用は国が負担するという。東電は1.5兆円分だって払いたくないし実際、払えないと居直るつもりだろうが、自民党とすれば、まさか法律を横紙破りするわけにもいかず、得意技の「足して2で割った」形である。
この話をどう考えるべきか。
■国費を使いたくない財務省と東電を生かしておきたい経産省
法律が東電に全額請求する仕組みになっているのは、当時の民主党政権が「東電を存続させる」という話を最初に決めて、そのうえで一切の事故処理費用は他の電力会社の支援も仰ぎつつ、基本的には東電に長期の分割払いさせる、という方針を決めたからだ。
これは、国費を使いたくない財務省と東電を生かしておきたい経済産業省の思惑が一致した結果である。
だが、そもそも賠償も除染もいくらかかるか分からない。廃炉となると、もちろん費用がさらに巨額に上るのは、当時から分かっていた。
だが、廃炉も計算に含めると「東電に全部負担させる」という話のデタラメさがバレバレになってしまうので、とぼけて先送りを決め込んでいた。
ところが汚染水処理が大問題になってしまい、いよいよ逃げられなくなってしまった。万事休すなのだ。
汚染水は原発事故現場では当初から問題視されていた。亡くなった吉田昌郎所長が強く懸念していたのは、よく知られている。
最近、出版された原発作業員「ハッピー」さんによるツィート記録本、「福島第一原発収束作業日記」(河出書房新社)でも、たとえば2011年6月の段階で「2号機の汚染水、溢れそうでかなりヤバいかも」と記されている。
ちなみに東電自身が汚染水をどう考えていたのかといえば、はっきり言って、事態をなめていた。それが証拠に、昨年11月に東電が出したギブアップ宣言である「再生への経営方針」では「汚染水」の「汚」の字も出てこない。
現場では、とっくに問題の所在が分かっていたのに、経営陣は見て見ぬふりをしてきたのである。
いまごろになって、自民党が「除染は国の負担で」と言い出した。
となると当然、東電の株主や銀行の責任を追及せざるをえない。株主や銀行は自分のビジネスとして東電に投融資してきたのに、なんの関係もなくむしろ被害者である国民が税金で負担するわけにはいかないからだ。
■被災者にも汚染水対策の費用を負担させるのか
すでに電力料金に上乗せするといった案がとりざたされているが、直接の被災者にも負担させるつもりなのか。
そんな馬鹿な話が通るわけがない。
ついでに言えば、銀行が事故後、資金難に陥った東電に1兆円の融資を決めたとき、当時の経産省最高幹部が「東電は絶対につぶさないから融資を」と説得した、と言われている。
この話が本当なら、貸した側の責任は免れないとして、経産省幹部の責任も浮上する。
自民党の提言は福島第一原発の廃炉を進めるために、廃炉事業部門だけを東電から切り離して分社化する案や独立行政法人化する案を検討し、早期に結論を得るとしている。
除染の国費負担とこの分社化あるいは独法案はセットとみていい。実は、本当の話のキモはここだ。
仮に、分社化するとなると「いまの株主と銀行の責任をどうするか」という話と、分社化した後、廃炉事業をする会社をどう作るか、あるいは国の出資を仰いで独立行政法人にするか、といった問題が浮上する。それから廃炉事業を切り離した残りの発電、送配電事業はどうするか、という問題もある。
ここは大きな論点である。
■国が廃炉を行えばそれでいいのか?
廃炉事業の経営体は国の出資を仰いで「廃炉は事実上、国営事業にすべきだ」という意見もある。
私はすんなり同意できない。国が事業をすれば、うまくいくとは思えないのだ。
むしろカネは湯水のごとく使うが、成果はちっとも上がらない可能性もある。だいたい国営会社でうまくいった話を思い出せない。
むしろ、まずは廃炉を民間事業として回していく方策に知恵を絞るべきではないか。
廃炉はけっして後向きの話ではない。どんな新鋭原発だって、必ずいつかは廃炉になる。国外に目を向ければ、これから原発を増やしていくという国もある。
となれば、廃炉は原発に不可欠な事業なのだ。放射能管理のノウハウは使用済み核燃料の処分でも役に立つだろう。
そうであれば、福島の経験は国内外で貴重になる。
「役に立って需要がある」のは「ビジネスになるチャンスがある」という話ではないか。
いま危機的状況だからといって、なんでも国が出れば解決する、と思い込まないほうがいい。
■「独立行政法人化」には悪知恵の臭いがする
最悪なのは、いまの株主と銀行の責任をうやむやにしたまま、やみくもに「廃炉は国の事業」と大宣伝して、官僚が新たな天下り先を確保するといった結論だ。
「独立行政法人化」という話には、そんな悪知恵の臭いがプンプンする。
その陰で、廃炉の十字架を切り離された東電がピカピカの会社に生まれ変わって、発電事業と送配電事業を続けるのでは、国民は税金負担だけを背負わされる形になってしまう。自民党の提案はそういう決着を目指しているのではないか。
いずれにせよ東電は、現状のままでは生き残れない。そこははっきりしてきた。
この後は株主と銀行の責任問題、それから汚染水問題を含む廃炉への枠組み作りである。
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