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(書評)人類とエネルギー研究会(編)『原発と人間―エネルギー・環境・安全を考える』(省エネルギーセンター・1988年)
http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%96%93%E2%80%95%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%BB%E7%92%B0%E5%A2%83%E3%83%BB%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A/dp/4879730785/ref=cm_cr-mr-title
5つ星のうち 3.0
この本が、原発支持派が津波のリスクを過小評価して居た事を証明する皮肉,
2013/10/22
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ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と私が最初に質問すると、吉田さんは「チェルノブイリの10倍です」と、答えた。
「福島第一には、六基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉が暴発して、当然、(10キロ南にある)福島第二原発にもいられなくなります。ここにも四基の原子炉がありますから、これもやられて十基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう。(想定される事態は)チェルノブイリ事故の10倍と見てもらえばいいと思います」
もちろんチェルノブイリは黒鉛炉で、福島は軽水炉だから原子炉の型が違う。しかし、十基の原子炉がすべて暴走する事態を想像したら、誰もが背筋が寒くなるだろう。(中略)
当然、東京にも住めなくなるわけで、事故の拡大を防げなかったら、日本の首都は「大阪」になっていたことになる。吉田さんのその言葉で、吉田さんを含め現場の人間がどういう被害規模を想定して闘ったのかが、私にはわかった。
のちに原子力安全委員会の斑目(まだらめ)春樹委員長(当時)は、筆者にこう答えている。
「あの時、もし事故の拡大を止められなかったら、福島第一と第二だけでなく、茨城にある東海第二発電所もやられますから、(被害規模は)吉田さんの言う“チェルノブイリの十倍”よりももっと大きくなったと思います。私は、日本は無事な北海道と西日本、そして汚染によって住めなくなった“東日本”の三つに“分割”されていた、と思います」
それは、日本が“三分割”されるか否かの闘いだったのである。
(門田隆将「日本を救った男『吉田昌郎』の遺言」(月刊Will(ウィル) 2013年 9月号30〜39ページ )同誌同号33〜34ページ)
http://www.amazon.co.jp/WiLL-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB-2013%E5%B9%B4-09%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B00DVMU83I/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1381398649&sr=8-1&keywords=Will%E3%80%80%E5%90%89%E7%94%B0
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この本は、「人類とエネルギー研究会」と言ふグループが、1988年に発表した、本文280ページほどの原子力発電についての単行本である。
執筆陣の名を見ると、西尾泰輝、依田直、市川龍資、佐藤一男、石川迪夫、乙葉啓一、鈴木篤之、飯田貞弘、生田豊朗、らの各氏の名前が有り、日本の原子力発電を担ってきた錚々たる人々である事に圧倒される。本書は、これらの大御所と呼ぶべき専門家たちが「原子力基礎講座」と言ふ場で行なった講演を本にまとめた物で、口語的な文章である為、読みやすく、図やグラフも豊富である。本書の執筆者たちは、原子力発電を担ってきた人々であるから、当然、この本は、「推進側」の本に分類されるだろうが、脱原発派の私が読んだ「推進側」の書籍の中では、いささかの皮肉も込めて言ふが、「価値有る一冊」である。
この本が出版された1988年は、チェルノブイリ原発事故(1986年)から2年が経った年であった。私もその一人であったが、広瀬隆氏の『危険な話』を読んで、原子力発電がいかに危険な物であるか、そして、実は必要の無い物である事に気付いた多くの日本人が、原子力発電とそれを推進して来た人々に対して極めて批判的な姿勢を取る様に成ったその年、原発を支持、推進する側の人々が、広瀬隆氏を意識して発表したのがこの本である。広瀬氏の『危険な話』が書店の店頭で山積みに成って居たその頃、数少ない原発推進派の本として書棚にひっそり置かれて居たこの本を見つけた私は、推進派の見解も詳しく知りたいと思ひ、この本を買ったのであった。
上述した様に、この本は、日本の原子力発電を担って来た専門家たちが、それぞれが詳しい分野を分担して語った本なので、それなりに高い水準の内容に成って居る。原発支持派の本にも色々有るが、加納時男(著)「なぜ、『原発』か」の様な、文科系の著者が書いた子供だましの原発支持本とは一線を画した本である。
例えば、石川迪夫(いしかわみちお)氏が執筆した第5章「原子炉破壊のメカニズム」(145〜172ページ)などは、冒頭の発癌についての論述(146〜147ページ)は杜撰(ずさん)で感心出来無いが、SL−1事故に始まる反応度事故の研究史に関する記述は非常に興味深く、勉強に成る物であった。特に、NSRRについての論述には、流石(さすが)と思はせられる物が有った。又、第6章「チェルノブイリ事故は日本でも起こるか」(173〜201ページ)における乙葉啓一氏の論述も、納得は出来無いが、それなりに興味深い内容であり、勉強に成る点は有った。だが、お二人を含めたこの本の執筆者の誰一人として、津波によって日本の原発が事故に陥る可能性については言及して居ない。それは、津波について絶対に触れるべきである第4章「原子力発電の『安全』を考える」(101〜144ページ)を執筆した佐藤一男氏も同じである。つまり、福島第一原発事故後の今、この本を読みなおすと、日本を代表する原発推進側の専門家であった石川迪夫氏も、乙葉啓一氏も、佐藤一男氏も、そして、その他の執筆者も、津波によって非常電源が失はれ、福島第一原発事故の様な大事故が起こる状況を真剣に考えて居なかった、と、思はざるを得ないのである。その意味において、この本は、皮肉にも、日本の原子力産業内部の最高の専門家たちすらが、津波による非常電源喪失のリスクを過小評価して居た事の証拠と呼ぶ事が出来るのである。(福島第一原発事故は、津波が到達する以前に、既に地震による揺れによって起こって居たとする見解が有る事は承知して居るが、ここではその議論には入らない)
私は、脱原発派ではあるが、この本を執筆した専門家たちに、一定の知的誠実さが有る事は認める。そして、全く持って不十分ではあるが、原子力発電が持つ危険性、不確実性を暗黙の内に認めて居る事も評価する。だが、その彼らにして、津波による非常電源喪失の危険をかくも過小視して居たと言ふ事に、矢張り、結局のところ、原子力発電と言ふ物は、「魔法使ひの弟子」の失敗と同様、管理不能な危険な技術体系であり、放棄されるべきであると言ふ自分の確信を深めるばかりである。
それにしても、福島第一原発事故(2011年)後の今、この本を読み返すと、脱原発派である私は、もちろん、この本の著者たちの主張に同意はしないのだが、1988年に書かれたこの本には、福島第一原発事故後に出版された原発支持派の本には無い一定の水準と、知的誠実さがまだ有った事に気が付く。それに較べて、福島第一原発事故後に出版された原発支持派の本(例えば、渡部昇一・中村仁信(著)『原発安全宣言』、渡部昇一(著)『原発は、明るい未来の道筋をつくる!』、中川八洋・高田純(著)『原発ゼロで日本は滅ぶ』、など)のレベルの低さは、目を覆ひたく成るばかりである。
(西岡昌紀・内科医/「石油ショック」から40年目の秋に)
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6893648.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=6445842&id=1914513246
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