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【原爆と原発 年間1ミリシーベルト基準は、日本の原爆被ばく者の「命のデータ」から生まれた】DAYS JAPAN 11月号
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/378240649.html
2013年10月22日 DAYSから視る日々
今回、日本が初めて賛同した、核兵器の不使用と廃絶を決意する共同声明。
ニュージーランドが主導した『核兵器の人道的結末に関する共同声明』に、国連加盟国全体の約3分の2にあたる125か国が賛同。米軍の核の傘の元、これまで声明への賛同を控えてきた日本が、はじめて被爆国として当たりまえのことを表明したことに、広島や長崎からも評価する声が上がっている、との報道が流れました。
しかし、福島の人たちはどう感じているのでしょうか?
『福島の子どもたちの屋外活動制限の基準、年間20ミリシーベルトが依然、改められない。
これは放射線管理区域の4倍の数値であり、原発作業員ですら滅多に浴びる線量ではないにも関わらずだ。
そもそも、国際的な基準である「年間1ミリシーベルト以下」は、広島と長崎の被ばく者たちが、私たちに命をかけて残した数字でもある。それを日本の政府が裏切った。
これ以上子どもたちを被曝させるようなことが許されてはならない』
【原爆と原発】リード文
DAYS JAPAN 11月号の藤田祐幸氏による記事【原爆と原発】は、普段、なぜか並列して語られることが少ないこの問題をわかりやすく解説してくれています。そのほんの一部をご紹介します。
被曝者たちの命のデータ
『しかし、80年に事件が発生しました。「イチバンプロジェクト」と呼ばれる米軍による秘密研究の誤謬が明らかにされたのです。原爆投下の影響を評価するためには、被曝者たちの一人一人の被曝線量を求める必要があります。そこで米国は、50年代にネバタ州の砂漠で極秘の大実験を行いました。
砂漠に、原爆が炸裂した高さと同じ600メートルの鉄塔を建て、そのてっぺんに裸の原子炉を置きました。地上には、日本から大工を呼び、日本の建築材料を取り寄せて日本家屋を作らせました。鉄塔の上の原子炉から出る放射線が、日本家屋の室内にどのように到達するかを検証するためです。
そして、広島・長崎の被ばく者の方々に、「あの日あのとき、あなたはどの地点のどういう間取りの家のどの部屋にいたのか?」と聞きました。それらのデータを合わせて人々の被曝線量を割りだし、健康との関係をみていきました。そのデータがICRP(国際放射線防護委員会)の基礎データとして使われました。
ところが80年にこのプロジェクトの機密が解除され、そこにとんでもない誤りがあることが発覚しました。
(中略)
被曝限度は大幅に引き下げなければならないのです。多くの科学者は、公衆の被曝限度を10分の1に下げて、年間5ミリシーベルトを0.5ミリシーベルトにすべきであると主張しました。しかし、原子力産業側に依拠する科学者たちは、現状の維持を主張しました。その背後には、被曝限度を10分の1に下げれば、労働者の数を10倍にしなくてはならず、人件費が高騰して、原子力産業は成り立たなくなるという危機感があったのです』
【原爆と原発】本文より
今日の東京新聞に福島第一原発周辺での除染について検証していたIAEA(国際原子力機関)が「年間被ばく放射線量1ミリシーベルト以下」に「必ずしもこだわる必要はない」と述べたという記事がありました。
核兵器の廃絶に賛同しながら、「原子力の平和利用」という名目のもとに、
【年間1ミリシーベルト基準は、日本の原爆被ばく者の「命のデータ」から生まれた】
という事実をないがしろにしてしまう。
国や国際機関のいう「基準」とはいったいなんであるのか?
数字に置き換えられた一人一人の人間の命に、なぜいつまでも目を向けないのか?
藤田祐幸氏の記事【原爆と原発 年間1ミリシーベルト基準は、
日本の原爆被ばく者の「命のデータ」から生まれた】は、
難解になりがちな議論を、人間としての温かみのある視点から、
厳しく問いただしています。ぜひ、全文をお読み下さい。
DAYS JAPAN 11月号は紀伊國屋書店、ジュンク堂書店などの主要書店、
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