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被曝と健康10 (一般編−2)異論・反論の整理
http://takedanet.com/2013/10/post_4ec0.html
平成25年10月11日 武田邦彦(中部大学)
音声解説
http://takedanet.com/files/ippan02tdyno.394-(15%EF%BC%9A30).mp3
さて、内部被曝の整理に進む前に、福島原発事故が起こってから、被曝と健康に関しては様々な異論反論がありました。それを「反論する相手の立場になって考えて見たい」と思います. そうしないと、ある専門家が1年1ミリと言い、ある人が1年100ミリと言っているままにしていると、普通の人は迷うばかりだからです.
私が今まで異論反論をあまり取り上げてこなかったのは、どうしても個別のお名前が出るし、私は個人を批判したりするのが目的ではなく、何とか子供の被爆を減らしたいという気持ちだったので、批判を控えてきました。でも、本当に理解すると言うことになると、批判はどうしても必要になります。
まず、左の報告書(見解書)を取り上げます. これは、平成23年7月8日に出されたもので、執筆者は東北大学名誉教授の中村先生、東大環境の飯本先生、そして国立がんセンターの藤井部長です。それぞれ専門的な立場で調査地域の測定結果について見解を述べておられます。
この見解書の対象は線量率が1時間あたり0.6マイクロシーベルト(以下、単にマイクロと表現しているところは1時間あたりのマイクロシーベルト)ぐらいの町の被曝評価で、多くの人に参考になると思われます。コメントしているのは次の先生方です。
普通は私はお名前などは出しませんが、ご本人の見解なので、所属なども示したほうが良いと思います。 あくまでも専門家が同じことを言わないと普通の人が迷うからお名前をだしました。まず、全体をまとめる立場で評価しておられる東北大学の中村先生が1年1ミリという被曝限度について次の見解を示しておられます
ここで、中村先生は「1年あたり1mSvという一般公衆に対する線量限度は、安全と危険の境とは全く違う数値で、これは平常時において、放射線を使用する施設がこれを超えないように施設を管理するための基準です」と明瞭にその意味をご説明されています。
また「ICRP勧告は国内法令の基礎になっている」とありますが、その通りです。「被曝」というのは民族や国家を超えた問題なので、世界的に「ICRPの勧告」によっていること、それが「国内法令」になっていることを示しています。事故後に「ICRPの値はあるが、法令はない」などと言った人もいますが、ICRPはあくまで国際的な歩調を合わせるためで、独立国家ですから、自分の国の法律以外に束縛されるものはありません。
それでは、「線量限度」についてICRPの勧告を日本語に翻訳して日本の法令の基礎になっていることは次の通りです。
http://takedanet.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2013/10/13/icrp.gif
この説明図は原子力や被曝についての専門家は繰り返し勉強するもので、いわば原子力の世界では「基礎中の基礎」です。図で「線量限度」と書かれているところ(やや右)に注目しますと、それ以上の被曝は「社会的に耐えられない線量(unacceptable)」となっており、それ以下の被曝は「望ましくないが社会的に耐えられる線量」と書いてあります。
つまり、「線量限度」というのは、中村先生の書かれたこととは全く違い、「安全と危険の境として、社会的に耐えられる限度一杯」を示すことが判ります。
次に「社会的に耐えられない線量」というのはどのぐらいで決められているかというと、同じこの資料の中で国立がんセンターの藤井先生の資料に次の表が載っています。
ここで示されているように、1年1ミリという被曝は、致命的発がん(普通は死に至るガン)と重篤な遺伝的影響(生まれてくる子どもに大きな影響)は、それぞれ5×10-5と1.3×10-5とされています。
確率は天気予報などで使われるようになって、かなりなじみがあるのですが、それでも確率の数字だけを示されるとよくわかりません。そこで、日本人1億2700万人が1年1ミリを被曝すると、どの程度のがんと遺伝的影響がでるかというと、二つの確率を足して、それに1億2700を掛けることになりますから、ちょうど8000人ということになります。
つまり、1年1ミリ(耐えられる限界)は、「仮に日本人全体が被曝したら8000人の人がガンになって死ぬか、重篤な遺伝障害を持つ」ということになり、これは交通事故死の5000人に対してかなり多いので「耐えられる限界を超えている」ということになっている訳です。
日本でもかつて交通事故が1万人を超えるようになった時、「交通戦争」と言う名前が使われ、お母さんは毎日のように子どもの事故を心配し、歩行者天国などもできて、車を追放しようという運動が起こりました。
まさに、1年1万人近い犠牲者を出すような行為は社会的に耐えられないということです。もちろんこれは日本全体ですから、人口が少ない小さな町で1万人も死ぬわけではないのですが、平均的に1万人も死ぬようなことはしたくないということはハッキリしています。
その意味では「1年1ミリ」というのは「1年に8000人の犠牲者」、特に致命的発がんや重篤な遺伝障害ですから、社会的に耐えられるギリギリであり、現在の日本のように「安全・安心」が強調されるような社会では、「耐えられない」と考える人もおられるでしょう。
それに加えて、中村先生の書かれた中で「放射線を使用する施設がこれを超えないように施設を管理するための基準です」とあり、「安全と危険の境とは全く違う数値」とされています。それでは「基準」というのはどういう根拠で決められたのかというと、先ほどの1年8000人の犠牲者ですから、「管理基準」というのは単に「管理するために任意に決められた数値」ではなく、「社会的に耐えられない限度」から決められていることがわかります。
日本社会は法治国家で、たとえば道路交通法で「時速50キロ」とか、「酒酔いは0.15まで」などと数値が決められています。時速50キロという制限は「運転手」に掛けられた管理基準ですが、それは「歩行者が安全に歩けるように」というような研究が裏にあって、それを達成するための基準です。
このようなことは、社会常識の基礎中の基礎ですから、中村先生のような偉い先生が、間違う事は無いのですが、なぜ、このような事を書かれたのか? それをさらに深く探っていきたいと思います。
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