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水俣病57年間、原爆症68年間、福島原発被曝症は300年先までも続くだろう。
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2013.10/10 ハイヒール女の痛快日記
はじめまして!東京ルミックスです。
ハイヒールで幾つかの修羅場を凌いできたが、被曝だけは?!
公害病の原点、水俣病の公式確認から57年にもなるという。
水俣市で開幕した「水俣条約」外交会議に先立ち、開会記念式典が開かれ、市立水俣病資料館語り部の会会長、緒方正実さんは壇上に立った。「次の時代に生きる人たちのため再び水銀被害が起きないよう、土台作りをしなければなりません」と。
水俣病被害者だけでなく、差別や偏見を受けてきた市民の思いを代弁した。
祖父が急性劇症型水俣病を発症したのは1959年9月。もがき苦しみ、3カ月後息を引き取る。町で最初の水俣病犠牲者とされた。後を継いだ父親は、公害健康被害補償法に基づく認定申請を準備中の71年、38歳の若さで亡くなった。
この記事内容を読めば、そのまま、現在の福島原発被曝に当て嵌まることは、猿でも解るでしょう。っていうか、安倍の五輪招致での「福島原発は完全にコントロールできている」発言は、
水俣病方式で逃げ切ろうと思ってたんじゃないの?
福島原発事故が起きてからの政府の対応を見ると、ガンや心臓病や奇形などが発症しても、水俣病の時と同じように、病気の原因として因果関係は特定できないなどと、延ばしに延ばす意図がミエミエだ。
この作戦で数十年単位で先送りするのではないのか?
ここで思い出すのは、広島の被爆者・中村さんから「自分の仇をとってほしい」と言われ「ピカドン ある原爆被災者の記録」を撮った、反骨の報道写真家・福島菊次郎さんだ。原爆投下後68年にもなるが、いわば、原爆の生き証人とも言える彼が、
昨年、テレ朝で「福島は広島と同じようになる」と予言していた。
また、彼の写真展の原爆についてのキャプションを引用すると、急性放射能障害で多数の被爆者が無残な死を遂げていた1946年、政府は広島、長崎に適用された"臨時戦災援護法"を打ち切り、被爆者を焦土の街に野晒しにした。
10年後の56年、実効のない"原爆医療法"が実施された時には重症患者は殆ど死亡し、整理済みの"被爆者手帳"や"過去帳"の山が積み上げられていた。殆どの被爆者が社会復帰の機会を失ったのは、
被爆者対策と原爆医療の欠落が最大の理由だったとある。
まさしくこれこそが、安倍の福島原発事故の対応のルーツではないのか?口先だけの復興で福島県民を放置し、被曝における健康面については御用学者を動員し安全性を謳い、東京五輪開催で国民の目を逸らす。
安倍は原爆症、水俣病における、当時の政府のやり方を反面教師として学習するのではなく、純粋教材としてそのマンマ踏襲しようとしているのである。要はギリギリまで対応を引き延ばし、なし崩し的に風化状況を作り出す積りなのだろう。
国民の命をないがしろにする安倍を許していていいのだろうか?
現在、福島菊次郎さんは「写らなかった戦後 ヒロシマからフクシマへ」を執筆準備中だという。福島を取材したのは「日本は安全・安心だとうそを重ねて原発を造り、事故を起こした」からだという。痛烈な批判だが、安倍は痛くも痒くもないだろう。
それどころか、トップ営業と称して海外にまで原発を作る暴走ぶりだ!
福島菊次郎さんの言葉で私が究極に好きな言葉がある。それは「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわないんだ」という信念とも言えるフレーズだ。ツーか、私たちにも通用する言葉じゃない?
だって、法を犯したものに泣き寝入りなんてあり得ないでしょ。
彼の体制に対峙する写真集にも期待したいが、安倍に去勢された日本国民もソロソロ目覚める時期ではないのでしょうか?
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