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観てよかった。ETV特集「海の放射能に立ちむかった日本人〜ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)」。59年前、放射能の研究のために船でビキニ諸島近海まででかけた当時の科学者が現在86才でカクシャクとしておられた。「船がアメリカに見つかってたら沈められてた」と平然とおっしゃる凄さ!
— 萱原里砂 (@SUPRAENDURA) September 28, 2013
ETV特集「海の放射能に立ちむかった日本人〜ビキニ事件と俊鶻丸」の中で当時の科学者が『放射線許容量』という表現に対して怒り『自ら望んで摂取したのでもないものを取り込んだのに、許容量なんて言葉は合わない!放射線「がまん量」と言うべきだ!』という旨のコメントをしてて唸った。
— 萱原里砂 (@SUPRAENDURA) September 28, 2013
NHK ETV特集
海の放射能に立ち向かった日本人
〜ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)〜
2013年9月28日(土)夜11時
【再放送】2013年10月5日(土)午前0時45分
※金曜日深夜
海の放射能に立ち向かった日本人 投稿者 gataro-clone
1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で、日本のマグロはえ縄漁船・第五福竜丸が被ばくしました。被害は水産物にも及び、日本各地の港では放射性物質に汚染されたマグロが相次いで水揚げされます。しかし、核実験を行ったアメリカは、放射性物質は海水で薄まるためすぐに無害になる、と主張しました。
このとき、日本独自に海の放射能汚染の実態を解明しようという一大プロジェクトが始動します。水産庁が呼びかけて、海洋や大気、放射線の分野で活躍する第一線の専門家が結集、「顧問団」と呼ばれる科学者たちのチームが作られました。
そして水爆実験から2か月後、顧問団が選んだ若き科学者22人を乗せた調査船・俊鶻丸がビキニの実験場に向けて出発します。2か月に渡る調査の結果、海の放射能汚染はそう簡単には薄まらないこと、放射性物質が食物連鎖を通じてマグロの体内に蓄積されることが世界で初めて明らかになりました。
俊鶻丸「顧問団」の中心的な存在だった気象研究所の三宅泰雄さんは、その後も大気や海洋の放射能汚染の調査・研究を続けます。原子力発電所が次々と作られていく中で、三宅さんをはじめとする科学者たちは、大きな原発事故にも対応できる環境放射能の横断的な研究体制を作るべきだと声を上げます。
しかし、それは実現しないまま、2011年3月11日、福島第一原発の事故により、再び放射性物質で海が汚染されました。
ビキニ事件当時、日本の科学者たちが行った調査から、今私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。俊鶻丸に乗り込んだ科学者の証言や、調査を記録した映像などから描きます。
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