http://www.asyura2.com/13/genpatu33/msg/785.html
Tweet |
【原発の安全】06・・・安全研究の中止
http://takedanet.com/2013/09/post_573b.html
平成25年9月27日 武田邦彦(中部大学)
原発反対運動に度が過ぎたことが起こると、その副作用が発生する。そのもっとも大きかったのが「安全研究の中止」である。奇妙な事だが、原発が日本に建設され、その数が増えると研究者側は原発の安全に関心が高まり、その研究をしようとする.
ところが「なんでも反対。不条理に報道」というのが続くと、安全研究を始めて「原発のどこが危険」とか「原発の安全の基本を考え直す」などということを書くと、それを朝日新聞の記者が見つけて、「原発には危険性があると研究者が認めた」とか「原発は安全の基本もできていない」と大々的に書かれる.
著者などは身体的な危険もあり、時には著者の回りに柔道の人が取り囲んで守ってくれたこともあったし、知り合いの研究者は安全研究にお金が出なくなって研究を止めた。その研究者が当時、「日本ではこのような研究はダメですね.私も原発を作る方に行けば良かった」と言って寂しく地方の研究機関に移っていった.
このような現状をそのまま言うと、「反対運動に水を差すのか!」と言われる。私は危険な原発を止めようとしているのであり、反対運動が目的ではない。だから、事実を書けないのは危険をさらに増やすことになると思うし、事実、そうなった。
2011年の福島原発事故で、昔から原発反対をしている人の中には「それ見ろ、言ったとおりじゃないか」という人がいるが、福島の事故は悲劇であり、そんなことを言ってはいけない。反対派の人も等しく事故を防ぐことができなかったことを反省すべきである。
たとえ目的が正しくても、手段はなんでもよいというものではない。
・・・・・・・・・
前回、整理したように原発を導入するときに、湯川秀樹先生が言ったように「自国開発」なら日本が独自に安全も研究しただろう.でもアメリカからの導入なので、どうしてもアメリカの安全をそのまま受け入れるということになる。これは「技術導入」ではやむを得ない.お金と時間を節約するのだから、なにか欠陥もできる。
しかし1980年代になると、反対運動をくぐって、ある程度の安全研究が出来るようになった。しかし、安全研究は難しい。 もちろん原子炉も制御も化学、医学(被曝限度がハッキリしなければ防御はできないから)、電気、建築のすべてが理解できて、しかも日本の気象、風土、外国からのテロ攻撃などを扱うのだから、総合的な力が要る。それに「日本独自」が加わるからさらに難しい.
冷蔵庫の安全性ならほぼ全世界一緒であり、自動車の安全なら日本人の特性とか日本社会の道路状況などが入るが、事故の影響の範囲が普通なら数人で留まる.ところが原発は地震津波のように世界の原発立地国で日本だけというものを扱う必要があるし、さらに「まあまあなあなあ」の社会的風土も大きく影響する.
すべてを論理的に考えるアーリア人と日本人では全く思考回路も違うのに、日本独自の安全を考えるのはとても難しいからだ. 受験戦争で東大に入ったような人は無理だった。
・・・・・・
でも著者は、あの時、朝日新聞さえなければ原発の安全研究ができたように思う.社会党も反対だったが徐々に力を失いつつあるときでもあり、また原発設立時に社会党も賛成しているように、合理的な一面があった。でも朝日新聞はただ購読者を増やすという目的だけだったし、事実でもなくても大きく書くということをしたので、その後の原発は激しい対立だけ残り、技術は進歩しなくなった.
朝日新聞がどんなに大きな新聞であり、現在でも不条理であっても、日本という国や子どもの事を考えると、事実をハッキリさせないと問題は解決しない.
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。