http://www.asyura2.com/13/genpatu33/msg/732.html
Tweet |
【原発の安全】05・・・原発の安全性議論はじまる
http://takedanet.com/2013/09/post_8709.html
平成25年9月22日 武田邦彦(中部大学)
原発の安全性が議論されるようになったのは1980年代である。最初の原発は1960年代に作られたが、その頃の関心は「順調に動くか」ということで、現在のような安全に対する不安は表面化していなかった.1970年代になってぞくぞくと原発ができると、安全の技術を研究しようという人が現れたが、朝日新聞の極端な「反原発キャンペーン」とそれに乗った左翼運動家の「原発反対運動」が、すべての真面目な安全研究をつぶしてしまった.
著者もその直後に原子力の施設長だったが、なにしろ酷い状態だった.
ある時、小さい飲み屋のスタンドで飲んでいたら、隣にいた人が「所長さんですか?」と名刺を出しだしたので、私も名刺を出して挨拶をした。直後、彼は受け取った名刺を四つに破り、「お前は原子力!」と叫んで床に名刺をたたきつけ、それを足で踏みにじった。
日本という争いの少ない平和な国に住んで、こんな事がおこるのは原子力関係だけだった。日本人なら名刺を受け取ったら、それを粗末に扱うことすらしないのに、その人の目の前で四つに破り踏みつけるのだからとても日本とは思えない.
またあるとき、転勤したばかりの所員がやってきて「昨日、家内がスーパーに行ったら「原子力の人には売らない」と言われて野菜を買うことができなかった」と困っている.そこで早速、行ってみると小さな地方のスーパーで、そこの経営者が息巻いている。
「原子力に反対なことは判りますが、本人は辞令で転勤しているのですし、家族は関係がないから」と説得した. この話も日本の中で起こりそうもないことで、当時の原子力を取り巻く環境がものすごかったことがおわかりいただけると思う.
それが「国策」だったし、その国策に「感情的報道」を続けた「朝日新聞の扇動」によって極端な人が多く生まれた時期だった.反対運動の人に振り回されていると、そのうち小さなことが起こる。そうすると、次の日には朝日新聞の記者が来て、根掘り葉掘りなにかまずいことが起こっていないかと聞く.
なにしろ所員が階段を踏み外したとか、鉛筆を削っているときに指を切ったというだけで次の日の地方新聞には大きく報道され「原子力施設で事故!」となるのだから閉口してしまう.そんな毎日だった。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。