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「福島第一過酷事故から2年半、放射能汚染水を意図的に海洋に廃棄し続けてきた政府と東電」
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[迫真]汚染水クライシス [日経新聞]
(1)見送られた遮水壁
「そんな額じゃないだろ」。8月30日、首相官邸の5階。官房長官の菅義偉(64)は経済産業省資源エネルギー庁長官の上田隆之(57)をにらんで言った。「必要な額をすべて持ってこい」
東京電力福島第1原子力発電所の汚染水対策。菅は8月26日の記者会見で「予備費の活用を含め2週間前に検討を指示した」と述べたが、検討はなかなか前に進まない。「とにかく急げ」とせき立てた菅に上田が示した案は「予算は300億〜400億円。うち今年度緊急に使える予備費は30億〜40億円」だった。
新たな施策は予算要求で。そんな官僚の悠長な発想に雷が落ちた。閣議決定で出せる予備費は結局205億円に膨らんだ。汚染水は政権を揺るがしかねない。菅の危機感はそれだけ強かった。
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8月20日にはタンクから300トンの汚染水漏れが発覚。原子力規制委員会は翌日、国際原子力事象評価尺度の評価を「レベル1(逸脱)」から「レベル3(重大な異常事象)」に上げる方針を示し、海外メディアは「2011年の津波による炉心溶融以来、最悪の危機」(英国放送協会)と報じた。間近に迫った20年夏季五輪の招致レースで、東京が土壇場で足をすくわれかねなかった。
「細心の注意を払ってほしい。これは政治の要請だ」。8月30日、東電本店。新潟出張中の社長の広瀬直己(60)に代わって副社長の山口博(62)が呼びかけると、緊急のテレビ会議に駆けつけた部長、支店長、発電所長は静まりかえった。
その日の朝、経産省から政府の意向が伝わっていた。「五輪が決まるまでとにかく事を起こさないでほしい」。汚染水、停電をはじめ、あらゆるトラブルはご法度。“戒厳令”に東電は震えた。
9月3日。政府は大急ぎで汚染水対策をまとめ、遮水壁などに約470億円を投じると決定。タンクの点検漏れなど東電の当事者能力が疑われる事態が相次ぐなか、首相の安倍晋三(58)は「東電任せにせず政府が前面に立つ」と言明した。
ようやく重い腰を上げた政府。だが実は2年前も同じ議論をしていた。
「特別プロジェクトについて国が支援する場合の論点」。11年5月19日付の政府・東電統合対策本部の内部資料。遮水壁建設に国費を投じる場合、財務省の説得と国会での説明が必要とある。当時、首相補佐官として計画を主導した衆院議員の馬淵澄夫(53)は「財政支出に菅直人首相も同意していた」と話す。
政府・東電は遮水壁の基本仕様や設置場所も決めていたが、具体策の発表は見送った。「詳細な計画を出すと市場から債務超過とみられかねない」。会長の勝俣恒久(73)らが経産相の海江田万里(64)に泣きついた。当時は政府が東電を資金支援する枠組みもなく、海江田は「原子炉の冷却と被災者への賠償が最優先だった。東電の破綻はダメだった」と話す。
副社長の武藤栄(63)は「遅滞なくやります」と約束したというが、馬淵が退くと計画はうやむやに。「国費による遮水壁建設」はそれから2年、日の目を見なかった。
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「福島については私から保証します。状況はコントロールされています」。9月7日、ブエノスアイレス。20年の五輪開催地を決める国際オリンピック委員会総会の演説で安倍は言い切った。
根拠を問われると「影響は発電所の港湾内の0.3平方キロメートルにとどまる」「数値は飲料水基準の500分の1」と説明。経産官僚が必死に電卓で計算した数字を盛り込み、説得力を持たせた。汚染水問題の収束は「国際公約」になった。
だが現場は今も「野戦病院の状態」(東電副社長の相沢善吾=61)が続く。
13日。「今のままではモグラたたきだ」。大量の汚染水が漏れたタンク群の視察に入った福島県の調査団が東電の対応を突き上げると、福島第1安定化センター所長の高橋毅(56)は「今後はあらゆるリスクを評価し拡散を防ぐ」と強調した。
16日朝に、東電はタンク北の井戸水から1リットル当たり17万ベクレルのトリチウムを検出したと発表。放出限度の3倍近い高濃度になった。漏れ出す汚染水の影響は港湾内にとどまっているが、日増しに高まる濃度に不安は募る。
シラス漁を続けて20年超。いわき地区機船船曳網連絡協議会会長の臼井紀夫(53)は悩む。「来月から試験操業を再開するかは決めていない。でも汚染水が漏れ続けている限りは、無理だ」
(敬称略、肩書は一部当時)
[日経新聞9月17日朝刊P.2]
(2)「マイクロではなく、ミリ」
「こんなに薄いゴムじゃ、いずれ継ぎ目に隙間ができて漏れると思っていた」。福島第1原子力発電所で今夏、汚染水タンクの継ぎ目をボルトで締める作業に就いていた50代の作業員はこう胸の内を明かす。当時、作業には5人以上が一組であたっていたが全員が同じ認識だった。「ゴムを厚くした方がいい」と進言する仲間もいたが、上司は「漏れることはない」。汚染水漏れを知った時、この作業員は「やはり」と唇をかんだ。
日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の元研究者(70)はかねて「タンクのパッキンは2年を過ぎたら危ない」と警告していた。ボルト締めタンクの脆弱さは東京電力も認識しており、福島第1安定化センター水処理設備部副部長、岡村祐一(48)も「原子力施設は溶接がふさわしいのが常識だが時間がなかった」と瀬戸際での最善策だったと説明する。
「きょうは30分。時間が来たら仕事が終わらなくても必ず戻るように」。「ホーカン」と呼ばれる放射線監視の担当者が被曝(ひばく)量を入念にチェックし、指示を受けた作業員は汚染水漏れが発覚した8月以降も淡々と現場に出る。転んで防護服が破ける致命的なトラブルを避けるため、走ることは禁止。放射線から身を守るための二重の靴下、三重の手袋、全面マスクは体温の上昇も招く。氷入りのベストを着込んでもゴーグルや長靴の中には汗がたまる。作業中に熱中症患者も出た。
汚染水問題は作業現場のリスクを高める。40代の作業員は「ホーカンの判断を信じている」と口にするが、危険性は自覚している。「我々が普段使う(被曝線量の)単位は『マイクロ』ではなく(その千倍の)『ミリ』」。1ミリシーベルトは一般の年間許容線量の限度。誤って高い放射線量を浴びれば命が脅かされる。
人材不足も深刻だ。「サンダーって何だ」。上司の突然の問いかけに、周囲の作業員は一瞬、言葉を失った。サンダーとは鉄筋などを切断する手持ち工具の通称。建設現場では日常的に使う工具の名前すら知らない上司に、作業員の士気は下がる。東京電力が発注した化学薬品を入れる器具にその耐性がないと気付いた作業員は「チェック機能が脆弱。タンクも設計通りの施工かは疑問だ」とこぼす。
原発事故対応の前線基地Jヴィレッジ(楢葉町)。作業員が使うトイレ内にはかつて、こんな落書きがあったという。「命懸けで働いても、日当は上がらない」
(敬称略)
[日経新聞9月18日朝刊P.2]
(3)「見ていられない」
「ぜひ力を貸してください」。9月2日、東京電力建設部長の梅崎邦男(52)は本店を訪れた1人のOBに頭を下げた。元取締役の吉越洋(70)。ダムや水力の第一人者で、地下水の動きを熟知する。福島第1原子力発電所で後輩が汚染水に翻弄される姿に「見ていられない」と協力を申し出た。吉越ら熟練OB5人は近く現地に乗り込む。
東電の汚染水対策は常に後手に回り、OBにも頼らざるを得なくなった。その大きな理由は、危機下でも縦割り組織のしがらみを壊せなかったことだ。いまだに現場対応は原子力部門の土木技術者が握る。その数は約60人。多くは海の埋め立てなどが専門で、山から流れる地下水については“素人集団”だ。
9月10日、福島第1原発との情報連絡会議。梅崎は原子力部門が突然出してきたタンク管理の計画案を見てあきれた。「素案作りから議論に加えてくれないと困る」。ダム工事で培った建設部の知見を生かせば「もっと早く手を打てる」。全社横断の対策本部は8月26日に発足したが、十分機能していない。
「(経営資源の)逐次投入じゃダメだ」。9月6日の取締役懇談会。社外取締役のJFEホールディングス相談役、数土文夫(72)は苦言を呈した。現場では1000基のタンクを1日2回、たった2人で巡視し、汚染水漏れを見逃した。「現場がサボっていたのではない。これはマネジメントの問題だ」
東電は全社的に厳しいコスト削減を課している。事故処理は合理化の対象外だが、企画担当の常務執行役、村松衛(58)は「原発部門も無意識にコストを下げようとしているかもしれない」と案じる。小出しの対策が、逆に傷を広げる結果を招く。
「もっと事前に手を打つべきだ」。東電が9月にアドバイザーとして招いた米専門家、レイク・バレット(67)は12日、福島の現場を視察して指摘した。
米スリーマイル島原発の事故処理にあたったバレットは、実は2011年6月にも来日し、こう助言している。「急場をしのぐ設備は必要だが、常により良いものに変えねばならない」。場当たり的な対応が目立つ東電に、その言葉は届かなかった。
「まずタンクからの汚染水漏れの原因特定を急ぐしかない」。社長の広瀬直己(60)は苦渋の表情で語る。東電は柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を目指すが、県知事の反発に加え、汚染水問題で完全に身動きがとれなくなった。
(敬称略)
[日経新聞9月19日朝刊P.2]
(4) 「フクシマ」への疑念
「日本の水と食料の安全性は保証されている」。16日、ウィーンでの国際原子力機関(IAEA)総会。科学技術相の山本一太(55)は福島第1原子力発電所の汚染水問題で訴えた。
山本の演説から20分後、中国が早速異論を唱える。国家原子力機構のトップ、馬興瑞(53)は「汚染水漏れに大きな懸念を抱いている。深淵の縁に立つかのような注意と警戒をもって対応しないと」と注文をつけた。
同日午後、日本政府が開いた汚染水対策の説明会では、海外の視線が一段と厳しさを増した。押し寄せた各国の当局者が容赦ない質問を浴びせる。
「実に不快だ。説明を聞けば聞くほど、問題が最近になって出たものでないことが分かる」。スロベニア原子力安全局ディレクターのアンドレイ・ストゥリタラー(60)はこう迫った。
海外の不信が増幅したのは8月21日。19日に東電が汚染水漏れを報告した際、原子力規制委員会は国際的な評価尺度の「レベル1(逸脱)」としたが、2日後に「レベル3(重大な異常事象)」に上げる方針を示した。
東日本大震災での「レベル7(深刻な事故)」の処理中に起きたトラブルを改めてレベル3と扱うべきか。規制委に異論もあったが、事務局が機械的に公表。規制委員長の田中俊一(68)は「撤回すれば混乱を招く。今回はしょうがない」とぼやく。
「ニュースで毎日危ないって言われたら魚離れが起きるのもわかる。何とかしてほしい」。9月6日、ソウル市内最大の水産市場、鷺梁津(ノリャンジン)。鮮魚店を営む李承器(イ・スンギ、60)は視察に訪れた首相の鄭●原(火へんに共、チョン・ホンウォン、68)に直訴した。
韓国政府は9日、福島など8県からの水産物輸入を全面禁止にした。従来も50品目の輸入を禁じていたが、水産物消費が減少。対応を余儀なくされた。
ソウル在住の女子大生、韓成美(ハン・ソンミ、19)は「母にしばらく魚は食べるなって言われた」と話す。16日には水産庁増殖推進部長の香川謙二(56)が訪韓して「規制は科学的根拠に基づくべきだ」と解除を求めたが、反応は芳しくない。
汚染水の制御の可否を巡っては首相と東電フェローの発言が微妙に食い違うなど迷走が続く。山本はIAEA総会で「東電の発言は港湾内(への流出)のこと。トータルではコントロールできている」と釈明したが、国際社会の疑念は簡単には消えそうにない。
(敬称略)
[日経新聞9月20日朝刊P.2]
(5) 綱渡りの「国際公約」
「すぐアポを取って仕様を詰めてこい」。19日夕。汚染水浄化装置「アルプス」を手掛ける東芝の原子力福島復旧・サイクル技術部長、畠沢守(54)は部下を東京電力本店に走らせた。
「2014年度中に汚染水の浄化を完了させる」――。福島第1原子力発電所を訪れた首相の安倍晋三(59)の要請に応じ、東電社長の広瀬直己(60)が新たな“国際公約”を表明。その実現のため、アルプスの増設を急きょ表明したからだ。
アルプスは八方ふさがりの現状を打破する切り札だ。世界で唯一、トリチウムを除く62種の放射性物質を基準値以下まで取り除く。その第1号装置を作ったのが東芝。首相訪問の前日からきれいな水を流して最終動作確認に入った。月内にいよいよ頼みの綱の装置が稼働する。
東芝だけではない。17日、経済産業省11階に重電大手や水処理装置メーカーが20社強集まった。150億円の国費で導入する2つ目の浄化装置の公募説明会に出席するためだ。説明会には欧米企業も参加。仏アレバの最高経営責任者(CEO)、リュック・ウルセル(54)は「東電に多くの技術を提供できる」と話す。国内外の英知が「フクシマ」に集まりつつある。
だが、事は容易ではない。
「本当に計算が合うのか。これは綱渡りだ」。ある重電幹部は東電の汚染水収束シナリオを疑問視する。タンクの汚染水は今や約35万トン。1年後に3つ目の浄化装置ができれば処理能力は1日当たり1500トン超に増えるが、流入で増える地下水を考慮すると、14年度末までにすべての汚染水を浄化するのはぎりぎりだという。しかもすべて順調に進むベストシナリオだ。
「もっと早く動かせた」。東芝の畠沢は振り返る。アルプスは実は昨年9月に完成していた。原子力規制委員会が保管容器の強度にこだわり、実際の運転環境では想定しにくい厳しい試験を繰り返したためだ。安全確保は大事だが、スピードとのバランスをどう取るのか。
「本来やるべきものができなかったり、遅くなったりしてはいけない」。19日夜、福島から戻った広瀬は廃炉作業へ決意を語った。今後30〜40年に及ぶ廃炉は「未知」との戦いの連続。政官民の知恵と覚悟が試される。
(敬称略)
中丸亮夫、鷺森弘、天野豊文、原克彦、川合智之、小倉健太郎、原田逸策、川手伊織、高橋元気が担当しました。
[日経新聞9月21日朝刊P.2]
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