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(書評)小林よしのり(著)『脱原発論』(小学館・2012年)
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5つ星のうち 5.0
愛国者小林よしのりのライフワーク−−脱原発派は故・高木仁三郎氏の言葉に耳を傾けよ,
2013/9/20
愛国者小林よしのりのライフワークと呼ぶべき良書である。本書を執筆した小林よしのり氏と本書の為の準備、調査に尽力したスタッフの諸氏に心からの敬意を表する。
私は、かつて、小林氏を厳しく批判した事が有った。それは、1990年代前半に、小林氏が週刊SPA!で『ゴーマニズム宣言』を連載して居た頃、彼が取材や批判のルールを守らずに他者を批判、攻撃したからである。小林氏は、その上、事実誤認もして居たので、私は小林氏を批判する座談会に加はり、その座談会を単行本化した本の共著者にも成った。その時の小林氏への批判を取り下げる積もりは無い。だが、私が批判した事とは別に、その後、小林氏が「従軍慰安婦問題」をはじめとする日本の近現代史について展開した議論や靖国問題、東京裁判問題などで展開した主張には大いに共鳴したし、最近では、小林氏のTPPに対する批判に大いに共鳴して居る。小林氏は愛国者であるが、言はゆる「保守」の人々がアメリカに対して遠慮した態度を取り、少しでも意見の違った人間を見ると排他的に攻撃する姿勢を目にして批判を行なって来た。私は、過去に小林氏に対して加えた批判とは別に、小林氏のこうした姿勢に共感して来た。
その小林氏は、しかし、原発については、永い間、沈黙を守って居た。1980年代からの脱原発派である私は、小林氏のその沈黙の理由が分からなかった。小林氏は原発について判断しかねて居るのか、或いは、原発支持派なのだろうか?と等と思ひながら氏が原発について発言するのを待ったが、福島第一原発事故前に小林氏が原発に対する自身の姿勢を表明する事は無かった。しかし、福島第一原発事故後、しばらく経って、小林氏は、脱原発派の姿勢を明確にした。1980年代から、保守派の中には馬野周二氏や藤井厳喜氏(藤井昇氏)などの脱原発派が居るには居た。だが、原子力ロビーの影響力が強い「保守」系メディアの中でこうした声が広がる事は無く、福島第一原発事故が起きてしまってからではあったが、西尾幹二氏や竹田恒泰氏と並んで、小林氏が保守派の中の脱原発派として名乗りを上げてくれた見て、私は、矢張り、小林氏は愛国者だと思った。−−原発ほど日本の国益に反する物は無いからである。
その小林氏の脱原発論は、以下の様に要約できるだろう。1)左翼リベラル系の脱原発運動家に多く見られる「自然エネルギー」の過大評価には組せず、火力発電による脱原発を唱える点で、広瀬隆氏や藤井厳喜氏、竹田恒泰氏に近い脱原発論である。2)「二酸化炭素による地球温暖化」なる言論が科学的根拠を欠いたいい加減な主張である事を良く理解して居る。3)低線量放射線は体にいいとする「ホルミシス理論」を厳しく批判して居る。4)核武装をタブーにして居ない。むしろ、藤井厳喜氏などと同様、原発は核武装の為に必要だと考える「保守」派の多くの発想を批判し、脱原発の方が核武装と整合性を持つ事を指摘して居る、等。
私が特に高く評価するのは、「二酸化炭素による地球温暖化」と言ふ話がSFもどきのデタラメである事を小林氏が正しく理解し、火力発電を主役にした脱原発を唱えて居る所である。「ホルミシス理論」の批判については、もう少し掘り下げが欲しかったが、この点も従来の脱原発派論客よりよく調べて居る。総じて、分かり易い言葉と絵で描かれた良著であり、更に多くの人々に読まれる事を願ってやまない。
ひとつ、思ひ出した事が有るので、それを付け加えておきたい。私は、脱原発運動の理論的支柱であった故・高木仁三郎博士(1938−2000)に一度だけお目に掛かった事が有った。高木氏が亡くなる数年前の事である。短時間ではあったが、偶然お会ひした高木氏と二人だけでお話をしたその際、高木氏が、脱原発運動についてこう言った事が強く記憶に残ってゐる。−−「色々な人が言ふのがいいと思ひます。」
高木氏御自身は、左翼リベラルに近い政治信条をお持ちだったと認識して居るが、その高木氏が、脱原発運動は、「色々な人が言ふのがいい」と言ったのである。つまり、脱原発運動が、特定の政治的党派の人々ばかりの物であるのは望ましくなく、様々な政治的立場の人々が、脱原発において声を結集するのが良いと、高木氏は考えておられたのだと、私は思って居る。その高木氏御自身と、小林よしのり氏は、政治的党派は同じではないだろうし、自分(西岡)も高木氏から見れば異なる政治的党派の人間であろうが、小林氏や自分(西岡)の様な人間も居なければ、原発支持派の人々が執拗に繰り返す「脱原発派はサヨクだ」とするキャンペーンに反駁して行く事は難しい筈である。
その意味で、私は、本書に対する「左翼リベラル」系の人々の反応の鈍さに失望せずに居られない。折角、小林氏がこの様な良書を執筆して、従来なら原発を支持する側に属して居た保守系の人々を脱原発派に引きこもうと努力をして居るのに、脱原発派の中の古い人々は、この本(『脱原発論』)を無視して居る様な気がするのである。
「従軍慰安婦問題」で小林氏にやっつけられた事の恨み骨髄なのだろうか(笑)。小林氏と意見の違ふ点については大いに反論すれば良い。「慰安婦問題」で小林氏に異論があるなら、それは大いに言へばいいだけの事だ。何も遠慮は要らない。その上で、原発については、共有できる意見については、小林氏と他の保守系脱原発派論者に公平にエールを送るべきではないかと私は思ふのだが、いかがだろうか?
『教科書が教えない小林よしのり』(ロフト出版)で小林よしのりをあれだけ批判した自分(西岡)がこう言って居るのだが、と言っても説得力が無いのなら、どうか、高木仁三郎氏の言葉を聞いて欲しい。−−「(脱原発は)色々な人が言ふのがいいと思ひます。」
(西岡昌紀・内科医/福島第一原発の汚染水問題を案じながら)
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6823146.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1912291228&owner_id=6445842
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