http://www.asyura2.com/13/genpatu33/msg/631.html
Tweet |
(書評)針谷大輔(著)『右からの脱原発』(K&Kプレス・2012年)
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%84%B1%E5%8E%9F%E7%99%BA-%E9%87%9D%E8%B0%B7%E5%A4%A7%E8%BC%94/dp/490667447X/ref=cm_cr-mr-title
1 人中、0人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
原発は石油で動いて居る。−−石油が無くなれば原子力発電も無くなる。, 2013/9/11
2011年3月11日の東日本大震災とそれによって引き起こされた福島第一原発の原発事故は、わが国建国以来最大の危機であった。ところが、その事を否定し、あの原発事故が「大した事故ではなかった」かの様に語る人々が居る。そして、その人達の多くが、「保守」を名乗って居る。
あの原発事故を「大した事故ではなかった」と思ふ人は、以下の文章を読むべきである。
---------------
ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と私が最初に質問すると、吉田さんは「チェルノブイリの10倍です」と、答えた。
「福島第一には、六基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉が暴発して、当然、(10キロ南にある)福島第二原発にもいられなくなります。ここにも四基の原子炉がありますから、これもやられて十基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう。(想定される事態は)チェルノブイリ事故の10倍と見てもらえばいいと思います」
もちろんチェルノブイリは黒鉛炉で、福島は軽水炉だから原子炉の型が違う。しかし、十基の原子炉がすべて暴走する事態を想像したら、誰もが背筋が寒くなるだろう。(中略)
当然、東京にも住めなくなるわけで、事故の拡大を防げなかったら、日本の首都は「大阪」になっていたことになる。吉田さんのその言葉で、吉田さんを含め現場の人間がどういう被害規模を想定して闘ったのかが、私にはわかった。
のちに原子力安全委員会の斑目(まだらめ)春樹委員長(当時)は、筆者にこう答えている。
「あの時、もし事故の拡大を止められなかったら、福島第一と第二だけでなく、茨城にある東海第二発電所もやられますから、(被害規模は)吉田さんの言う“チェルノブイリの十倍”よりももっと大きくなったと思います。私は、日本は無事な北海道と西日本、そして汚染によって住めなくなった“東日本”の三つに“分割”されていた、と思います」
それは、日本が“三分割”されるか否かの闘いだったのである。
(門田隆将「日本を救った男『吉田昌郎』の遺言」(月刊Will(ウィル) 2013年 9月号30〜39ページ )同誌同号33〜34ページ)
---------------
これは、ジャーナリストの門田隆将氏が、原発事故当時、福島第一原発所長であった吉田昌郎氏と原子力安全委員会委員長であった斑目春樹氏に取材して聞いた二人の肉声である。そして、それが、(左翼ではない)保守系月刊誌ウィルに掲載された記事の一節である。
もう一度読んで欲しい。あの時、日本は、無事な北海道と西日本、そして汚染されて住めなくなった“東日本”に“三分割”されるかも知れない状況に在ったのである。そこまで、私たちの祖国は追ひつめられて居たのである。
しかも、この事故は、「想定外」の事故ではなかった。マーク1と言ふ旧式の原子炉を太平洋に面した海岸に建設し、その上、津波対策を十分にとらなかった事など、経済産業省、東京電力をはじめとする関係機関の過失によってもたらされた人災であった事は明らかなのである。
それが、大事故ではあったが、国土を“三分割”する事無く、今日の状況で「済んで居る」のは、当時命をかけてこの事故に立ち向かった名も無い人々と、幸運のなせる業にすぎないのである。その事を理解しようとせず、あの原発事故が「大した事故ではなかった」かの様にうそぶく人々が、「保守」だの「右」だのを自称して居る事を奇怪に思ふのは、私だけだろうか。
本書は、言はゆる「左翼」ではない愛国者たちの中から現れた脱原発派活動家たちが、あの原発事故をどう捉え、どう脱原発運動を始めたかを語った一書である。真の愛国者は居たのである。その真の愛国者たちが、何を憂ひ、何に怒ったかが、写真とともに熱く伝はって来る快著である。
原子力発電は危険であり、そして不必要である。原子力発電は、石油に対する「代替エネルギー」を自称するが、その原子力発電自体が、ウラン採掘、ウラン濃縮、原発建設、揚水発電所建設、原発解体、使用済み核燃料の管理、核廃棄物の管理、そして今福島で行なはれて居る様に、事故が起きた際の事後処理に、大量の石油を消費する。つまり、原発は、それ自体が巨大な石油製品なのである。「石油が無くなったら困るから原発を続けよう」と言ふのは全く馬鹿げた論理であり、石油が無くなれば、原子力発電はもう続けられなく成るのである。
その一方で、石油も石炭も天然ガスも、この地球上には十分有り、過剰生産の結果、長期的に価格が下落する事は必至なのである。−−枯渇と言ふ意味での「エネルギー危機」など、幻にすぎないのである。−−それなのに、何故、危険を冒して原子力発電を続ける必要が有るのだろうか?
また、一時期しきりに宣伝された「二酸化炭素による地球温暖化」が科学的証明を欠いたプロパガンダでしかなかった事は、多くの気象学者が指摘して居る通りであって、その理由からも、原子力発電の必要性は極めて疑はしい。
そして、原発は、テロの最大の標的である。こんな物を並べておくだけで、わが国に敵意を持つ国家または集団は、原発内部から容易に破壊活動を準備し、実行する事が出来るのである。
この様に冷静に考えるなら、原発は不必要であり、わが国の国益に反する物である事は明白であるが、少なからぬ愛国者が、原発マネーに依存する「保守」系マスコミの宣伝に乗せられ、原発が必要だと錯覚して居る事を私は心から残念に思ふ者である。
本書が、そうした「保守」系マスコミに騙され、原発が必要だと錯覚して居る人々に読まれる事を願ってやまない。心から本書を推薦する。
(西岡昌紀・内科医/9・11テロから12年目の日に) http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6819800.html
*
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。