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(書評)西尾幹二(著)「『平和主義』ではない脱原発」(文藝春秋/2011
年)
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原発は国家を滅ぼす。,
2013/9/17
私は、憲法9条改正論者であり、靖国神社国家護持論者であり、大東亜戦争の正義は日本に在ったと考える一人である。又、私は、日米安保条約は必要だと思ふし、オスプレイ配備にも賛成である。
そうした私の意見からすれば、私も「保守」の一人と言ふ事に成るのかも知れない。だが、同時に、私は脱原発派である。誰が決めたのか知らないが、「保守」は原発を支持しなければいけないと言ふ空気が有る。そして、空気の支配が続くこの国では、「保守」を自認する人々の多くが、今だに原発を支持して居る。
おかしな事である。この地震と津波が繰り返し襲ふ日本列島に、日本は原子炉を50基以上も建設した。しかも、それらの原子炉の中の初期の物はマーク1と言ふ旧式の原子炉で、これを設計したアメリカの会社は地震対策も津波対策も考慮せずにこの型の原子炉を設計して居たと言ふのに、である。
その一方で、その「保守」を自称する人々は、原発に反対する者を「左翼」呼ばはりし、本来、「左右」の対立とは別次元の、理科系的な技術論と冷徹な経済論で論じられるべき原発問題を「左右」対立の項目の一つにして来た。それも、専門知識を全く持たない文科系の「文化人」だか「評論家」だか知らない人々が中心に成って、である。
そんな、今だに原発支持を捨てない自称「保守」の人々は、次の文章をどう読むのだろうか?
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ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と私が最初に質問すると、吉田さんは「チェルノブイリの10倍です」と、答えた。
「福島第一には、六基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉が暴発して、当然、(10キロ南にある)福島第二原発にもいられなくなります。ここにも四基の原子炉がありますから、これもやられて十基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう。(想定される事態は)チェルノブイリ事故の10倍と見てもらえばいいと思います」
もちろんチェルノブイリは黒鉛炉で、福島は軽水炉だから原子炉の型が違う。しかし、十基の原子炉がすべて暴走する事態を想像したら、誰もが背筋が寒くなるだろう。(中略)
当然、東京にも住めなくなるわけで、事故の拡大を防げなかったら、日本の首都は「大阪」になっていたことになる。吉田さんのその言葉で、吉田さんを含め現場の人間がどういう被害規模を想定して闘ったのかが、私にはわかった。
のちに原子力安全委員会の斑目(まだらめ)春樹委員長(当時)は、筆者にこう答えている。
「あの時、もし事故の拡大を止められなかったら、福島第一と第二だけでなく、茨城にある東海第二発電所もやられますから、(被害規模は)吉田さんの言う“チェルノブイリの十倍”よりももっと大きくなったと思います。私は、日本は無事な北海道と西日本、そして汚染によって住めなくなった“東日本”の三つに“分割”されていた、と思います」
それは、日本が“三分割”されるか否かの闘いだったのである。
(門田隆将「日本を救った男『吉田昌郎』の遺言」(月刊Will(ウィル) 2013年 9月号30〜39ページ )同誌同号33〜34ページ)
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あの時、日本は、ここまで追ひ込まれて居たのである。東京に人が住めなく成り、国土が三分割されて、東日本を放棄しなければならなく成って居たかも知れないのである。原発とは、国家をここまで追ひ込む危険をはらむ存在なのである。そして、原発は、今回の様な天災でなくても、内部からのテロによって、わが国を同様の危機に追ひ込む事が有り得るテロリストの「標的」なのである。日本に敵意を持つ周辺国がこの手を使はないと言ふ保証が何処に有るのだろうか?−−これが、原発なのである。
そんな原発を、天然ガスの過剰生産時代に突入するこれからの時代に、何故、維持する必要が有るのだろうか?
保守系月刊誌などに「原発は必要だ」と書き続けて居る人々の多くは、福島第一原発事故の後も、事故の原因の分析もせず、科学的根拠も示さず「日本の原発技術は優秀だ」とか、「大した事故ではなかった」などといい加減な言説を繰り返して居る。又、天然ガス火力によって日本が安価な電力を、原発よりはるかに安全な方法で得られるこれからの時代に、何故これほど危険な原発が必要なのかを説明もせずに、である。更には、医学の事など全くの素人であるのに、「福島くらいの放射線は体にいい」などと無責任な言説を書き続ける人々も居る。
これが「保守」なのだろうか?
そんな保守言論人の中で、孤立を恐れず、原発の危険性を警告し、国家民族のために脱原発を唱える西尾幹二氏こそは、真の愛国者である。1980年代から、日本の保守系言論人の中には、馬野周二氏や藤井厳喜氏(藤井昇氏)の様な脱原発派が実は居たが、原子力ロビーの強い影響下に在った当時の「保守」系マスコミの中で、そうした声が広がる事は不幸にしてなかった。そんな中で、遅すぎた感は有るが、福島第一原発事故後、西尾氏のこの著作をはじめとする保守化からの脱原発論が湧き出た事は、幸いであった。
本書には、真の愛国者のみが語り得る憂国の言葉があふれて居る。その西尾氏の言葉を「保守」を自認しながら今だに原発を支持して居る不勉強者たちは真摯に読むべきである。又、脱原発派の中の左翼系の人々も、過去のいきさつにとらわれず、この本を読んで、西尾氏との違いは違いとして留保しながら、共有できる意見は共有し、西尾氏に公平なエールを送るべきである。
放射能は、人間を「右」と「左」で選んではくれないのだから。
(西岡昌紀・内科医/小泉訪朝(北朝鮮が日本人拉致を認めた日)から11年目の日に)
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6818475.html
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