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チェルノブイリ事故から27年のベラルーシを訪ねて(レイバーネット日本)
http://www.labornetjp.org/news/2013/0916yumoto
9月8日から13日にわたりベラルーシゴメリ州、ベトカ地区を訪問する第98次訪問団(主催・日本チェルノブイリ連帯基金)に同行した。訪問団は、福島県内在住者を含む9名。今回の目的は、現地から要請された「心電計」の無償提供とセットアップ、さらには福島在住者らと現地で活動する医療従事者や母親たちとの交流である。
ゴメリ州自体はチェルノブイリ原発に隣接する州で、ゴメリ市はベラルーシの中で首都ミンスクに次ぐ国内第2の都市である。同市は、ベラルーシ内で最も汚染度が高く1990年代に法律上移住政策が行われ、地図からその姿を消したいわゆる「埋葬の村」が近隣に多く存在する。
ゴメリ市から車で30分ほどの所がベトカ地区だ。ベトカ地区からは59の村が地図からその姿を消した。地区内にある「埋葬の村」祈念碑には、地図から消された村の名前が記されている。 今は地図上では存在しない村、バルトロメフカ村を訪問した。今も村に住むエレーナさん(78歳・写真上)は、優しく出迎えてくれた。エレーナさん宅の周辺には、かって家が建っていた骨組みが残されていた。
1991年からベトカ地区に赴任し、地域医療の充実に努めたナジェージダ・ジミナ ベトカ地区病院長(写真上)にベトカ地区の医療の現状を聞いた。ベトカ地区では事故から27年たった今も、0歳から18歳までの子ども、青少年全員を年1回サナトリウム(療養所)か保養に参加させている。サナトリウムへの参加は国家予算で行われ、2005年までは年2回行われていたという。
このようにベラルーシでは、事故後27年たっても子どもたちへの健康維持のための保養政策が続けられている。言うまでもなくその水準の維持は、極めて困難なことである。しかしまた逆に日本が、国あげての保養政策にまったく踏み込めていないことにも再認識させられた。(湯本雅典)
チェルノブイリ事故から27年のベラルーシを訪ねて 投稿者 gataro-clone
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