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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130912-00010000-fsight-soci
フォーサイト 9月12日(木)10時52分配信
東日本大震災から9月11日で2年半。
「復興は順調に進んでいる」
と胸を張る安倍晋三首相の足下で、日本の国際的信用を揺るがす事態が進んでいる。東京電力福島第1原子力発電所からの放射能汚染水漏洩。そこに繰り広げられるのは、震災前と変わらぬ昔ながらの日本的風景である。
■増幅する地元の不信感
「いつまで、こんな嘘をつき続けるつもりなのかね。いずれバレるに決まってるのに」
2020年夏季五輪の開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)。9月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた総会に向けて、安倍晋三首相が送ったメッセージを聞き、福島県のある財界人は苦り切った顔でつぶやいた。
漏れ出た放射能汚染水を危惧するIOC委員たちを説得するのに、首相は、
「汚染水の状況はコントロールできている。東京には何のダメージもない」
と勇ましく言い切った。しかし、福島第1原発では今も毎日300トンの汚染水が海に流れ出ていて、東電の発表だけでも「コントロール下にある」とは到底思えない。地元では、この状態は2年半前から続いていたといううわさがもっぱらなのだ。
「原発は地下水の流れる崖をわざわざ削って、その下に建てたのだから、大量の水が押し寄せてくるのは当たり前。昔は、この水も海に流せば放射能は消えてなくなるなんて乱暴なことを言ってたもんだ。だから、こんなにひどい汚染になるとは全く思わなかったよ」
原発建設当時の地形を記憶している地元原発立地自治体、大熊町の農家の老人は言う。
今年2月に退任するまで、やはり立地自治体である双葉町の町長を務めていた井戸川克隆氏は、町長になる前は水道工事の事業を営んでいた。発電所内の様子もよく知っている。
「敷地内の配管などから推測すると、漏れている汚染水の量は桁が2つくらい多いのではないか。下手をすると日量1万トンになっているかもしれない」
真相は分からない。分からないことで地元の不信感は増幅する。原発のどこに穴が開いているのか、どこで地下水が汚染されているのか、原子炉建屋内部は放射線量が高すぎて近づけず、実情は不明だ。それでも首相は「安全だ」と言い放つ。政府や東電が分かっていることも、地域住民に対しては隠される。汚染水漏洩の事実が公表されたのは、7月の参院選直後。
「東電も政治家も全く信じられない。これが民主主義の国なのか」(南相馬市・桜井勝延市長)
■ 「嘘も方便」のほころび
旧皇族の末裔である竹田恆和東京五輪招致委員会理事長 は、IOC委員への手紙の中で、
〈福島からは250kmも離れているから東京は安全だ〉
と言った。
「汚れた福島の存在は東京には迷惑だと言わんばかりだ」(井戸川氏)
福島の住民はいっせいに反発した。住民の心理の中では、東京との距離は250キロメートルよりはるかに遠くなった。
「東京に電気を送り続けてきたのが福島原発なのだから、主客は逆のはずでしょう。猪瀬直樹都知事はオリンピックに浮かれていないで、ご迷惑をかけましたと真っ先に挨拶に来るべきだ」
と前出の財界人は言う。
首相の失言はさらに重大だ。外面を保つために、福島に向かってついてはならない嘘をついてしまったからだ。「嘘も方便」は日本的2重基準政治のお家芸だが、深刻な犠牲に苦しむ福島に限って、「原発は絶対安全」という嘘だけは許されない。
首相の失言は、福島人の忍耐強さをいいことに、どさくさにまぎれ「原発事故は過去のできごと」として、歴史の闇の中に押し込めようとするものだ。
だが、このもくろみは、破綻した。
「我々は忘れ去られるのではないか」
という住民の不安に、逆に火をつけてしまったのだ。
おまえらは犠牲に甘んじろ、と露骨に本音を言ってしまっては、2枚舌は効き目がなくなる。今もなお15万人近い人々が自宅に戻れず避難生活を続ける福島で、「絶対安全」の嘘の上塗りは致命的だった。住民の不信感はぬぐいがたいものになった。
■険しくなる「住民の心」
放射能汚染だけではない。福島の犠牲は今もどんどん拡大している。
「仮設住宅では老人の認知症が急増しています。亡くなってしまう方も多い。私は、これは一種の殺人だと思いますよ」(浪江町商工会・原田雄一会長)
双葉町に隣接する浪江町は、二本松市に仮の役場を設けている。町長の馬場有氏も原田氏も避難生活者。
「もう3.11前の町には戻れないが、せめて墓参りに、という町民のために最低限のインフラだけは整えないと」(馬場町長)
「孫の代あたりに町が復興するといいのだが……」(原田会長)
放っておけば消えてゆく町。若者は町を出て行ってしまう。残るのは、故郷への愛着を捨てられない老人ばかり。それでもいい、と必死に町のアイデンティティを維持すべくもがく彼らのけなげな気持ちの張りが、首相の心ない言葉によってぷっつり切れてしまうのではないかと胸が痛む。
今、福島が求めているのは勇ましい言葉ではない。この残酷な人災の被災者に寄り添う誠実な言葉なのだ。
それなのに、である。
「原発事故で死んだ人間はいない、などと言った自民党役員もいたな」(原田会長)
原田会長も馬場町長も、前回会ったときより言葉や顔つきが鋭くなっていた。限界状況の生活。そこに容赦なく襲いかかる汚染水。生来穏やかだった福島の民の心が険しくなっていく。
放射能を避けるために母親と子どもたちを県外に避難させ、父親が老人と仮設住宅や借り上げ住宅に暮らす人は多い。
「そろそろ孫と暮らしたいな」
「いやです。福島には怖くて帰れません」
こんな会話の末に崩壊していく家庭は珍しくない。
「子を連れて西へ西へと逃げてゆく 愚かな母と言うならば言え 」
原発被災者の立場を詠んだ女流歌人の俵万智さんは、そのあまりに颯爽とした姿勢ゆえに、下を向いて毎日を絶え続けている福島の母親たちの間では評判が良くない。
■「独善」の凍土壁
福島には暗い風景がいたるところに埋め込まれている。日本の政治はその現実にあまりに鈍感だった。飴をしゃぶらせ、脅し、黙らせる。かつて立地地域で展開された原発行政の手法がまだ通用すると、政府と東電は考えていたのかもしれない。
おそらくその慢心が、汚染水処理の方策を誤らせたのだろう。2年半もの間、政府は汚染水処理に無策だった。だが、住民は黙らせられても汚染水は黙っていなかった。
毎日あふれ出る水。それが限界にきたためか、それともやはりIOC向けに外面を取り繕おうとしたのかはわからないが、政府は突然、9月になって汚染水対策を発表した。原発の周囲を土を凍らせた壁で囲み、汚染水を封じ込めるという。
この工法には膨大な資金と電力が必要だ。専門家によると、これまでトンネル工事などに短期間使われたことはあるが、長期間使用した実績はない。当面の封じ込めには役に立つとしても、溶け落ちた燃料棒を回収するという気の遠くなるような長期戦が予想される原発事故処理には、いつまで効果があるのかきわめて疑問という。では、どうすればいいのか。
土木の世界には「土木学会」というユニークな組織がある。学会とはいうものの、学者だけではなくゼネコンや建築業界、行政機関の技術者を集める集団だ。その会長経験者らが、9月3日、急遽、汚染水対策を協議するために集まった。
驚いたことにこの会合では、凍土壁工法の採用にあたり、政府から土木学会のそうそうたる専門家に何らの諮問も相談もなかったという事実が判明した。ある著名な土木工学の教授は、
「土木屋なんて原子力ムラの連中にとっては下僕みたいなもんですよ」
と自嘲気味に告白する。事情は大事故の前と何も変わっていない。むしろ原子力ムラの秘密主義と権威主義はここに極まった。独善の凍土壁は失敗して、福島原発事故と同様に自らの首を絞めるのだろうか。
■唯一の基準は……
汚染水対策が長期戦になると、とんでもない事態が起きるかもしれない。4、5年先になっても汚染水があふれ出ていれば、首相の嘘は世界中にばれてしまう。オリンピックへの選手派遣を取りやめる国が続出するようなこともありえないことではない。それどころか、福島、さらには日本再生の前途に赤信号がともりかねないのだ。
振り返れば日本政府は、この2年半、ずっと?をつき続けてきた。とりわけ事故後間もない2011年9月に原子力損害賠償支援機構を設立して東電救済に乗り出し、さらに同年 12月、当時の野田佳彦首相が、なんと「事故収束」を宣言した。汚染水に右往左往する今となっては悪い冗談でしかないが、これがその後の原発事故処理の方向を決めた決定的な転換点だった。
東電の再建方針や事故の収束宣言には科学的、合理的な根拠があったわけではない。それが住民の幸福を保証すると政府が考えたわけでもない。これらの政策の基準は唯一、事故処理と復興に伴う財政支出の抑制、そして原子力ムラの延命であった。
未曾有の大惨事に直面して、日本の政治はその程度のことしか考えられなかったのだ。 汚染水処理の危機的状況は、これらの方針がすでに破綻したことを物語る。同時にこの事態の下で浮き彫りになったのが、この間、福島の住民が味わった塗炭の苦しみである。
政府は、事故が収束しているという虚構の前提をもとに、避難民には無理矢理もとの市町村への帰還を促してきた。被災者への賠償や地域の除染のやり方も帰還が大前提だ。
しかし、帰還しようとしても昔の暮らしが戻るわけではない。被災で失った住宅や資産を、東電や仲裁機関の厳しい査定をくぐって賠償させるのは至難だ。仕事はなくなり、慰謝料を食いつぶしていく日々。
放射線量を基準に決めた将来の帰還の難易度予想によって、各被災自治体は2つか3つの区域に分割された。後にそれが、国にとって補償額を切り詰める最も効率的な方法であることが分かる。
道路1本はさんで隣同士が帰還時期の違う区域に組み入れられたりする事態があちこちで頻発した。そうなると賠償金の額や生活保証の中身が大きく異なってくる。100年の昔からのお隣さんが互いの懐を探り合い、気まずくなっていがみあう。東電や国が最もきらう地域の団結はすでに望むべくもない。
住民たちは子どもの将来を考えて帰還に二の足を踏み、一方で明日の生活を考えて目先の補償の誘惑と闘う。共同体はずたずた。精神的な疲労が蓄積していく。県外に逃げた自主避難者は、こうした補償対象からもはずされ、見捨てられた。
■国家財政の制約
南相馬市で住民の東電に対する賠償交渉の支援などを行なっている若杉裕二弁護士によると、東電や仲裁機関の背後で政府が被災者支援の財布のひもを締め続けている現状では、賠償交渉は多くの場合、被災者の譲歩に終わらざるをえないのだという。
帰還するのかしないのか、これからどんな生活を望むのか――。
本来、最優先すべき被災住民の意思や希望を無視して、政府は金のかからぬ「復興」を目指してきたのである。
浪江町の馬場町長によると、事故直後に政府が全町をまるごと移転する構想を持ちかけてきたことがあったという。ダム建設などで使われることのある手法だ。政府がたった1度だけ、住民の側にたった瞬間だった。
これが実現すれば、今日進む地域や住民家庭の分裂による悲劇はなく、汚染水の地域へのショックもかなり小さなものになっていただろうが、その代わりダムなどに比べても膨大な財政負担が発生したに違いない。実際、この構想はたちまち消え去り、2度と復活することはなかった。
こうして、福島は財政危機の中で、オリンピックの狂乱と喧噪に埋もれていこうとしている。被災者支援や汚染水処理に回す金はなくても、オリンピック競技場は建つことになった。
今、福島の建設業は途方にくれている。昨年あたりから人手も資材も金も不足し、どの復興事業も満足に進んでいないのに、東京では圧倒的な勢いで大規模建設プロジェクトが始まることになった。もはや、この見捨てられた町や村の声は、誰にも届かない。
福島の現実に目をむけてほしい――。
住民の悲痛な思いを、汚染水の反乱が代弁しているのだとすれば、あまりにも悲しい。
ジャーナリスト・吉野源太郎
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