http://www.asyura2.com/13/genpatu33/msg/411.html
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毎分200Lの地下水に手こずる東京電力に、毎秒660Lの地下水と戦った関西電力『黒部の太陽』の爪の垢を煎じて飲めと言いたい。
http://briliantblue.seesaa.net/article/373889925.html
『黒部の太陽』の劇場での再上映があったのは2012年のことだったのですね。
石原裕次郎の幻の名作が蘇る - 『黒部の太陽』が44年ぶりに全国で再上映
黒澤明監督の作品で、原発爆発を扱った作品を含む「夢」というオムニバス映画は何度か掲示板で見かけるけれども、これだけ汚染水が騒がれているいまの世の中で見るべき映画と言えば、三船敏郎・石原裕次郎出演の 『黒部の太陽』でしょう。
黒部ダムの完成は昭和38年と、自分の生まれる前でした。
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黒部ダム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E9%83%A8%E3%83%80%E3%83%A0
黒部ダム建設にあたって工区を5つに分割し、それぞれに異なる建設会社が請け負った。
第1工区…間組
黒部ダム、取水口、導水トンネル、大町トンネル(現・関電トンネル)、御前沢渓流取水工事。なお、ダム工事総括責任者は間組の中村精である。
第2工区…鹿島建設
骨材製造工事。
第3工区…熊谷組
関電トンネル、黒部トンネル、導水路トンネル工事。
第4工区…佐藤工業
黒部トンネル、導水路トンネル、調圧水槽、トラムウェイ・ロープウェイ工事。
第5工区…大成建設
水圧鉄管路、インクライン、黒四発電所、変電所開閉所、放水路、上部軌道トラムウェイ・ロープウェイ工事。
黒部ダム建設工事現場はあまりにも奥地であり、初期の工事は建設材料を徒歩や馬やヘリコプターで輸送するというもので、作業ははかどらず困難を極めた。このため、ダム予定地まで大町トンネル(現在の関電トンネル)を掘ることを決める。しかし、破砕帯から大量の冷水が噴出し、死者が多数出る大変な難工事となった。別に水抜きトンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固めながら(グラウチング)掘り進めるという、当時では最新鋭の技術が導入され、トンネルは貫通し、工期が短縮された。
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昭和32年の関電トンネル工事の時から地下水を克服してトンネル構築が可能だったのに、なぜ平成のいまの時代に福島原発には凍結工法による凍土壁なんでしょう?
関電トンネル工事で標高1,470 mの後立山連峰で破砕帯を突破する困難を経たのが2年と言うのは納得できるとして、じゃあ東京電力は2年半の間何をやってきたのか? 地下水対策の遮水壁が出来上がっていないじゃないですか。
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破砕帯
見る・建設当時の黒部ダム│くろよん50周年記念
http://www.kuroyon50.jp/library/
昭和31年10月から同トンネルの本坑掘削が始まり、厳冬中も工事は休まず続けられ順調に進んでいました。ところが昭和32年5月、入口から約1,600mの地点で毎秒660リットルもの地下水と大量の土砂が吹き出しました。なんと破砕帯にぶつかったのです。破砕帯とは、岩盤の中で岩が細かく割れ、地下水を溜め込んだ軟弱な地層のことで、大量に流出した土砂と水により、7月には掘削作業が不可能となってしまったのです。しかし、持てる知識と経験のすべてを結集、苦闘7ヶ月の末、遂に破砕帯を突破したのです。その模様は、「黒部の太陽」として木本正次さんの小説をもとに、映画、舞台、テレビドラマにも描かれ現在に伝えられています。
FLASHムービー
http://www.yellow-pages.jp/cms/shop/4263/shop_info/
【文…関西電力パンフレットより引用、一部加筆】
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黒部ダム建設では関西電力の社長が現場に入っていたというのに。
東京電力では事故から2年半たってやっと副社長が福島県に入った程度。噂では社長さんは海外に出かけてる余裕があるみたい。
事故現場の作業員は被曝しながら貰えるべき手当てがむしり取られ、一方で正社員は年俸制に移行のついでに賃上げされて喜んでる。
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「黒部ダム あの破砕帯から50年」
http://www1.kepco.co.jp/insight/content/close/closeup130.html
――関西電力では「黒四スピリッツ」ということが言われるが? //////////
くろよん開発は、あの有名な映画『黒部の太陽』にも描かれたほどの「世紀の大事業」。破砕帯に遭遇して、トンネルが抜けず灯りが見えない状況のなかで、現場全体が暗いムードに包まれたとき、当時の太田垣社長が黒部に出向き、周りが危ないからと止めるのを一喝して、悪戦苦闘しているトンネル奥の現場にまで足を運んだことで、沈鬱な現場の雰囲気が一転して変わり、みんな使命感に燃えたそうだ。一方、太田垣社長は大阪へ戻り、再度役員を集めて「やるんだ」という意志を伝えたことから、「紙一枚、鉛筆一本、黒部に手を貸そう」という全社的な運動が起こり、それがまた現場に伝わり、やり抜く力になった。「黒四スピリッツ」──それは全社一丸となって物事に突き進む結束力。関西電力は他企業に羨ましがられるほどの、高い結束力という企業文化を、このとき育んだ。
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東京電力は福島原発事故に全社を挙げて取り組んでいるなんて姿勢は、事故当時からぜんぜん伝わってこない。
東京電力が地下水対策をもてあますようなので、いっその事黒部ダムで地下水と戦った関西電力さんに福島原発へ出張ってもらいたい。
水力のときは正義感がひしひしと伝わってくるのに、原子力がらみになると日本人のもっている正義感が巧妙に分断されてる。
人の犠牲の上に成り立つ原発に正義感を貫いていれば、今頃原発は建設されていないのに。
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