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(書評)桜井淳(さくらいきよし)(著)『福島第一原発事故を検証する』(日本評論社・2011年)
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福島第一原発事故を検証する 人災はどのようにしておきたか
桜井 淳著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,470
5つ星のうち 5.0
「出来事というものは、人間が命令するものなのだ」(サン=テグジュペリ)−−福島第一原発事故は想定内の出来事だった,
2013/8/23
『星の王子様』の作者であるサン=テグジュペリ(Saint=Exupery:1900−1944)は、その小説『夜間飛行』の中で、20世紀前半、郵便輸送用の小型飛行機に従事する人々を描いて居る。その中で、当時の郵便輸送用小型機に課せられた危険な夜間飛行を地上で監督する登場人物リヴィエールにこんな言葉をつぶやかせて居る。−−「・・・出来事というものは、人間が命令するものなのだ。出来事は命令に従うものであり、また人がつくるものなのだ。人間というものもただの物品でしかなく、これまた人がつくるものなのだ。だから故障が彼らを通じて現われるときは、その人間をだんぜん引っ込めてしまうべきだ」(サン=テグジュペリ著・堀口大學訳『夜間飛行』(新潮文庫)67ページ)
サン=テグジュペリが『夜間飛行』の登場人物につぶやかせたこの言葉を記憶して、次の記述を読んで欲しい。
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ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と私が最初に質問すると、吉田さんは「チェルノブイリの10倍です」と、答えた。
「福島第一には、六基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉が暴発して、当然、(10キロ南にある)福島第二原発にもいられなくなります。ここにも四基の原子炉がありますから、これもやられて十基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう。(想定される事態は)チェルノブイリ事故の10倍と見てもらえばいいと思います」
もちろんチェルノブイリは黒鉛炉で、福島は軽水炉だから原子炉の型が違う。しかし、十基の原子炉がすべて暴走する事態を想像したら、誰もが背筋が寒くなるだろう。(中略)
当然、東京にも住めなくなるわけで、事故の拡大を防げなかったら、日本の首都は「大阪」になっていたことになる。吉田さんのその言葉で、吉田さんを含め現場の人間がどういう被害規模を想定して闘ったのかが、私にはわかった。
のちに原子力安全委員会の斑目(まだらめ)春樹委員長(当時)は、筆者にこう答えている。
「あの時、もし事故の拡大を止められなかったら、福島第一と第二だけでなく、茨城にある東海第二発電所もやられますから、(被害規模は)吉田さんの言う“チェルノブイリの十倍”よりももっと大きくなったと思います。私は、日本は無事な北海道と西日本、そして汚染によって住めなくなった“東日本”の三つに“分割”されていた、と思います」
それは、日本が“三分割”されるか否かの闘いだったのである。
(門田隆将「日本を救った男『吉田昌郎』の遺言」(月刊Will(ウィル) 2013年 9月号30〜39ページ )同誌同号33〜34ページ)
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これは、福島第一原発事故当時(2011年3月)、同発電所の所長だった吉田昌郎氏(故人)と、当時の原子力安全委員会委員長だった斑目(まだらめ)春樹氏が、それぞれに語った福島第一原発事故についての回想である。二人が述べて居る福島第一原発事故に対する評価については、異論も有る事だろう。だが、日本の原子力発電を預かってきた現場の人間(吉田氏)とそれを監督する立場に在った推進側の専門家が、あの原発事故をこう見て居た事は、誰もが記憶するべき事であるに違い無い。
本書は、その福島第一原発事故が、どの様な経過で起きたのか、そして、その背景に在った物は何であったのか、を分析し、語ったコンパクトな一冊である。
本書の著者桜井淳(さくらいきよし)氏は、1946年生まれの物理学者である。櫻井氏は、東京理科大学で物理学を学び、同大大学院において、「原子炉圧力容器の高速中性子評価の研究」で博士号(理学博士)を取得した後、日本原子力研究所、原子力安全解析所、日本原子力産業会議、などに勤務した後、フリーの立場で、原子力発電を中心とする科学技術について、技術評論家として活躍して居る。桜井氏が、マスコミに登場する様に成るのは、1980年代末、チェルノブイリ原発事故(1986年)以後、原発に対する不安が広がる中で広瀬隆氏の『危険な話』(八月書館)がベストセラーに成り、日本国内で反原発運動が急速に拡大し始めた際、月刊誌『諸君!』で、中立的な立場から当時の反原発運動を分析、論評したのが最初であったと記憶する。当初、桜井氏は、氏自身の意向とは別に、原発推進派から、反原発派に対する批判者の役割を期待されてマスコミに登場させられた様だった。実際、桜井氏は、当初は、広瀬隆氏や田中三彦氏の発言の不正確な点や姿勢を批判する言論を展開して居たが、1990年代に入ってからは、その著作において、むしろ、原発推進派を厳しく批判する姿勢が目立つ様に成ったと言ふ印象を自分は持って居る。原発問題について、「第三極」と言ふ物が有るのか、或いは桜井氏がその様な呼ばれ方を是とするかどうかは分からないが、あえて言ふなら、森永晴彦教授などとともに、私が原発論争の「第三極」と呼んでみたい論者の一人が、桜井氏である。
本書は、その桜井淳氏が、2011年7月に発表した福島第一原発の総括であるが、本書で、桜井氏が福島第一原発事故について述べて居る事を私の言葉で要約すると、次の様に成る。
1.事故を起こした福島第一原発の四つの原子炉をはじめとする軽水炉は、根源的な危険をはらんで居る。それは、コンパクトな炉の中で大量の熱を発生させ、その熱を水で移動させ、発電に利用すると言ふ原理の故に、原子炉の中の核燃料(濃縮ウラン)を絶えずその水で冷却しなければならない事である。そして、その水による核燃料の冷却は、原子炉を停止した状態の下でも続けなければならないが故に、何らかの原因で冷却の中断が発生した場合、熱によって燃料棒の溶融が起きる可能性が常に有る。これは軽水炉の根源的な危険である。
2.今回の原発事故の原因は、津波による揺れその物ではなく、津波である。津波によって非常用ディーゼル発電機が機能喪失した事が、炉心溶融に至る事故を招いたのであって、地震による揺れ(600ガル程度)が直接冷却材喪失などを招いたのではない。
3.福島第一原発事故で放出された放射性物質の総量は、ヨウ素131に注目すれば、300万キュリーと推定される。これは、チェルノブイリ原発事故の10分の1以下であると同時に、スリーマイル島原発事故の20万倍である。これは、著者(桜井氏)が予想した量よりも少ない量であった。
4.福島第一原発事故では、ベント操作前に住民を避難させた為、住民の被爆量は少なくする事が出来たが、土地汚染は、著者(桜井氏)の予想よりも深刻である。朝日新聞に依れば、飯館村の土1kgからセシウム137が16万3000ベクレル、ヨウ素131が117万ベクレルも検出されて居るが、この様な汚染を受けた地域は立ち入り禁止にしなければならない。
5.福島第一原発事故で放出されたヨウ素131の総量は、前述の様にチェルノブイリ原発事故の10分の1であるが、日本の安全審査で想定される仮想事故の値をはるかに超えて居る。例へば、関西電力・大飯原発1号機の仮想事故でのヨウ素131の放出量は1200キュリーであり、福島第一原発事故における原子炉一基あたりのヨウ素131放出量は、その1000倍弱である。日本の原発の安全審査は、これほどデタラメな物であった。
6.福島第一原発事故における放射性物質の放出が多量の物に成った原因として、格納容器の空間容積が小さすぎた事が挙げられる。これは、欠陥技術であり、これが住民の被曝を大きくした原因の一つである。
7.福島第一原発1〜3号機のタービン建屋地下1階の汚染水の放射能量は、1cc当たり10万μCiに達しており、核物理や炉物理実験の世界の10万倍も強い世界である。この様な環境下で作業に従事する作業員の被曝が懸念される。
等々。まだ有るが、桜井氏は、福島第一原発事故をこの様に要約、総括する。(これらは、私の言葉による要約である。)
桜井氏は、こうした判断を下した上で、事故は過去の軽水炉に関する経験と研究から十分予測出来た物だったと断言する。それにも関はらず、事故を防げなかった最大の原因は、安全審査に問題が有ったからだと結論ずける。つまり、「想定外」とは不可抗力だったのではなく、日本の原発の安全審査がそれを想定しなかっただけだと言ふ意味であるが、桜井氏は、特に、安全審査が、津波によって非常用ディーゼル発電機が機能不全に陥る可能性を十分考慮して居なかった事が最大の原因であるとする。そうした日本の原発の安全審査を担って来た人々に対して、桜井氏は、次の様に筆誅を加える。
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福島第一原発の事故は、東大的な学問の破綻であって、東大の教員たちは責任をとって辞職しなければならない。今回の事故は「想定外」ではなく、想定すべきことを無視しただけで、安全審査の欠陥によってもたらされた事故である。国会で社民党福島瑞穂氏は行なった、浜岡原発訴訟における当時東大教授の斑目春樹氏の、「二台の非常用ディーゼルが機能を喪失することはありえない」との証言内容についての質問に対して、斑目氏は発言内容を撤回して、謝罪した。東大の底の浅い学問の完全敗北である。福島第一原発の事故も津波対策をないがしろにした東大の底の浅い学問の弊害によってひきおこされたものである。罪を地震や津波になするつけてはならない。斑目氏は現職の原子力安全委員会委員長を辞任すべきである。
また、東大教授として数多くの原発安全審査にかかわり、原子力安全委員会委員として、後に委員長として、安全審査に責任を負うべき職位にあった鈴木篤之氏が、数々の欠陥審査を実施したにもかかわらず、退職後、原子力機構理事長に就任したのは、社会への背信行為であって、福島第一原発事故の責任を負い、即刻、辞任すべきである。これほど無責任なことは許されない。
(本書 106ページ)
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繰り返して述べるが、桜井氏は、長年、原子力発電の実務に携はって来た専門家であり、言はゆる「反原発派」ではない。発電技術の選択肢の一つとして、原子力発電と言ふ選択肢その物は否定しない立場の論者である。そして、反原発派の広瀬隆氏や田中三彦氏を厳しく批判した事も有る論者である。その桜井氏が、日本の原子力行政をここまで厳しく批判して居るのである。この事の意味は極めて重いと言はざるを得ない。
この本は大変コンパクトな本である。200ページに満たない本なので、数日有れば通読可能な分量の本であり、素人でも分かる平易な文章で書かれて居るが、その密度は非常に濃い。本書を読んで考えさせられた事は多々有るが、印象に残った論点の一つは、非常用ディーゼル発電機の信頼性に関する箇所であった。この本に依れば、日本の原発は、実は、非常用ディーゼル発電機の信頼性については、「世界でもっとも高いと評価されてきた」(本書34ページ)のだと言ふ。それにも関はらず、津波の想定が甘かった為に、津波によって非常用ディーゼル発電機が機能喪失した結果、この様な大事故に至ったと言ふ点に、私は、近代テクノロジーが持つ皮肉な側面を見た気がした。その意味では、事故は、矢張り、思ひもよらなかった形で起こるのである。しかし、それと同時に、本書第3章、題4章に詳しく書かれてある様に、軽水炉の歴史と日本の原発が事故前に呈して居た問題点を振り返ると、今回の原発事故は、起こるべきして起きた事故であり、十二分に予想出来た事も良く分かるのである。
門外漢である私の印象であるが、私には、原発事故は、航空機事故よりも予測可能な物である様に思はれる。それだけに、仮に原発その物を維持、継続するのであれば、それを推進、維持する人々の責任は重いと言はざるを得ない。冒頭のサン=テグジュペリの小説の中の言葉である「出来事は人間が命令するものなのだ」と言ふ言葉は、厳しい言葉ではあるが、福島第一原発を振り返る時、真実であると認めざるを得ないのである。
本書が、原発の存続を支持する人々、脱原発を唱える人々の双方に広く読まれる事を願ふ。
(西岡昌紀・内科医/戦後68年目の夏に)
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6751442.html
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