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視点・論点 「ピカドンの日」2013年08月05日 (月)
詩人 アーサー・ビナード
「ピカドン」という日本語から、ぼくは実に多くのことを教わりました。
アメリカに生まれ育って、アメリカの学校で教育を受け、英語で原爆投下について、「必要だった」「正しかった」「原爆のおかげで戦争が早く終わった」と、ぼくはくりかえしくりかえし教えられました。けれど、そのころのぼくは「ピカドン」という言葉を知りませんでした。
「原子爆弾」を意味するAtomic Bombと、「核兵器」をあらわすNuclear Weaponを使っていました。そんな英語の呼び名のレンズを通して、広島の上空の核分裂と、長崎の上空の核分裂を、うんと遠いところからただ眺めていただけでした。
アメリカの大学で英米文学を専攻して、四年生のときに、ひょんなことで日本語に出会い、平仮名と片仮名と漢字に魅了されました。日本語の豊かな響きにもひきこまれ、卒業と同時に来日しました。数年たってから初めて広島をおとずれて、平和記念資料館では、1945年8月6日、ウランの核分裂の連鎖反応にさらされた人の話を初めてきいて、そこで「ピカドン」を覚えました。体験を語ってくださった女性は、「原子爆弾」や「原爆」ではなく、「核兵器」という言葉も使いませんでした。広島の上空で引き起こされた現象を「ピカドン」と呼んだのです。ぼくにとっては、ついぞきいたことのない単語でした。けれど、その意味は瞬時に伝わってきたのです。
広島で覚えた「ピカドン」を自分で使ってみて、立ち位置が変わることを実感しました。Nuclear Weapon「核兵器」もAtomic Bomb「原子爆弾」も、核開発を進めた人たちが作った呼び名です。落とす側、核分裂を利用する側の視点と都合が最初から組み込まれています。他人事としてとらえる言葉で、たとえば「エノラゲイ」の爆撃機からキノコ雲を見下ろす印象です。それに対して「ピカドン」は、広島の生活者が自らの焼かれた皮膚とずたずたに切られたDNAをもとに、日本語を鋭く豊かに響かせて、生きた言語感覚で本質をつかんだのです。
広島でウラン235の核分裂が引き起こされた3日後に、まったく違う核分裂性物質のプルトニウム239が、長崎の人々の生活を奪いました。そのときには「ピカドン」という名称はすでに日本語として存在していました。浦上天主堂から上空を見あげるレンズの「ピカドン」が。
英語にないその言葉を使うと、68年前の長崎に、広島に、ぼくらは立たされます。
言葉の選択ひとつで、視点を変え、実態を正確につかむことができます。「ピカドン」がそのことをぼくに教えてくれて、『さがしています』という写真絵本も、広島の「ピカ」を知っているモノたちの視点で語りました。というよりも、カタリベのモノたちの声をききとって、ぼくが日本語に通訳しようとしたのです。
最初に時計が登場します。
「おはよう おはよう おはようございます」
あなたにとって 「いま」は なん時?
あなたにとって 「いま」は いつでも
あさの 8時15分。
もともと わたしの
ながい はりと みじかい はりは
「おはよう」の あと ちくたく ちくたく
「こんにちは」 「こんばんは」
「おやすみ」へ まわっていました。
ヒロシマの にぎやかな とこやさんの
かべに かかって。
わたしは みんなに
「なん時」って おしえるのでした。
でも 8月6日の あさ 8時15分に
ピカアアアアアッと きました。
あの光は わたしの 顔の 「1」にも
「2」にも 「3」にも 「8」や
「9」の 数字にも ささってきました。
わたしの 「いま」は とまったのです。
「おはよう」の
あとの 「こんにちは」を
わたしは さがしています。
(アーサー・ビナード作「さがしています」童心社刊)
ものがたりは「時計」から「軍手」、そして「弁当箱」、「ワンピース」、「鉄瓶」へと続いていき、自分の持ち主を語り、ピカを語ります。
体験したモノの立ち位置で、広島をとらえ、長崎をとらえると、その大きな違いも具体的に炙り出されます。広島のウラン235は、自然界で唯一とれる核分裂性物質で、ウラン鉱山から掘り出して濃縮します。一方、長崎のプルトニウム239は人工的に作らなければ存在しない物質で、ウランよりも破壊力が大きく、はるかに有害です。そんなプルトニウムを作り出す装置として開発され、ずっと使われてきたのが「原子炉」と呼ばれるもの。長崎の上空をしっかり見つめれば、核兵器と核燃料の深いつながりと、原爆と原発の同一性があらわれます。
8月6日と8月9日、どちらも「原爆の日」といいます。しかし、ごっちゃにしてしまったら、本質は何も伝わりません。広島と長崎を区別して、異なる物質の意味を、それぞれの体験者の立ち位置でとらえると、昔話ではまったくなく、まさに原子力の現在の話です。
ぼく自身、「原爆の日」という日本語は使いません。8月6日と今日の1日、8月9日と明日の課題をつなげて、「ピカドンの日」と呼びます。
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