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官邸前で脱原発と脱被ばくを訴える市民=7日
市民不在で決まった「年間20ミリシーベルト」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130722-00000301-alterna-soci
オルタナ 7月22日(月)11時27分配信
参院選東京選挙区では、2011年の東電原発事故後に決められた、福島県内の学校等での年間20ミリシーベルトの被ばく許容線量が再び焦点となっている。当時の経緯を振り返ると、文科省ら政府が市民不在のまま基準をまとめたことがわかる。
■年間20ミリ基準の担当者は鈴木氏
発端は、無所属の山本太郎候補が、元文部科学副大臣で民主党から出馬する鈴木寛候補を「当時、子供の被ばく限度が年間1ミリシーベルトだったのを20ミリまで引き上げてOKだと言い、抵抗しなかった」と名指しで批判したことだ。これに対して鈴木氏は、自身のウェブサイトで名指しを避けつつ「福島の子供たちを不安に陥れることだけは絶対に許せない」などと反発した。
年間20ミリ基準は、文科省が11年4月19日に福島県教育委員会や関係機関に通知。文科省はICRP(国際放射線防護委員会)の2007年勧告を踏まえ、事故からの復旧時における「参考レベル」として示されている、年間1〜20ミリの許容線量の上限を基準に定めた。この時、原子力安全委員会や放射線の専門家が文科省に助言を行っている。
この基準決定を担当していたのが鈴木氏だ。同年5月2日、政府と東電の合同記者会見で文科省の坪井裕審議官(当時)は「今回の(年間20ミリ基準)問題は、鈴木副大臣が担当していた」と述べた。
「年間20ミリ基準から導き出された当時の基準3.8マイクロシーベルト/時は、放射線管理区域での基準の約6倍以上。子どもや妊婦への配慮を欠いている」。当時、市民らと共に政府交渉を繰り返した環境NGO「FoE Japan」の満田夏花氏は指摘する。
政府交渉での文科省の担当者は渡辺格・原子力対策監(当時)。満田氏は、年間20ミリ基準の撤回を求めて渡辺氏に「責任ある立場の人との対話を望む」と再三詰め寄った。しかし、当時の高木義明文科相、鈴木副大臣ら政務三役が交渉の場に姿を現すことはなかった。
■長瀧氏、山下氏らが影響力?
ICRPの勧告では、参考モデルで基準を定める場合、なるべく低い数値を取るよう求めている。では、なぜ20ミリシーベルトが選ばれたのか。民主党の長島昭久衆院議員は当時、ツイッターで「彼(鈴木氏)は、休校や疎開による子供達の精神的なショックや差別などによるストレスの可能性を非常に心配していた」と指摘している。
一方、宗教学者の島薗進氏は、12年11月に開かれた東大医科学研究所のシンポジウムで、出席した鈴木氏が年間20ミリ基準の決定過程を振り返り、放射線医学の専門家である「長瀧重信氏、山下俊一氏ら、また日本学術会議に依拠せざるをえなかった。政府の政治的な誤りというより、学会の側に問題があった」との認識を示していたと、こちらもツイッターで証言している。
長瀧氏は「年間1ミリ基準は厳しく、現実的でない」とする立場の人物だ。山下氏も東電原発事故直後、福島県内で「ニコニコしている人に放射線の影響は来ません」などと講演したことで知られる。年間20ミリ基準は、これら専門家の意向が影響した可能性がある。
■年間20ミリ基準の再考を
いずれにせよ、年間20ミリ基準は市民の不安をよそに決められた。福島県二本松市に住む主婦は「被ばく線量が年間1ミリシーベルト以上になれば、小さいとはいえリスクが生じ、子どもの健康も気になる」と話す。
満田氏は「平常時の年間1ミリ基準は社会的な約束事であり、それを反故にするのはおかしい」として基準撤回を求めつつ「避難や帰還は、個人の選択が保障されるべき」と訴える。
計画的避難区域の基準も年間20ミリシーベルトだ。国連人権理事会における特別報告者、アナンド・グローバー氏は今年5月、「健康に対する負の影響の可能性に鑑みて、避難者は可能な限り、年1ミリシーベルトを下回ってから帰還が推奨されるべき。避難者が、帰還するか留まるか自ら判断できるように、日本政府は賠償および支援を供与し続けるべきである」と勧告した。年間20ミリ基準の再考が問われる。(オルタナ編集委員=斉藤円華)
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