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原発に事故が起こったら?いざというとき、命がけの行動が必要となるのは当然。
シーマン・シップ、エアマン・シップと同様の気概が、所長や所員には求められるでしょうが、いまどきそんな侠気あるやつはいるのか?
青野由理記者が相変わらず、気合いの入った記事を書いていらっしゃいます(女性記者ですけど)
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発信箱:ジジイの決死隊=青野由利(専門編集委員)
毎日新聞 2013年07月19日 00時38分
http://mainichi.jp/opinion/news/20130719k0000m070113000c.html
福島第1原発の吉田昌郎元所長の存在を意識したのがいつだったか、思い出せない。あのころ、日々、「まさか」と思うことが続き、現場の指揮者に思いをはせる余裕はなかった。
先週の訃報に、国内外のメディアが一斉に振り返ったのは、海水注入の「中止命令無視」。在京の東電幹部の当事者意識の低さと対照的に、現実の事故収拾に直面した現場の危機意識とプライドが伝わる象徴的出来事だったからだろう。
もうひとつ、心に留めておきたいのが「ジジイの決死隊」発言だ。事故発生から数日後、2号機の海水注入ラインを確保に行こうとする場面で述べている。ちゃかした言い方だが、ここに原発事故の本質を感じる。
いったん過酷事故が起きれば、多くの人の命と引き換えに、誰かが死を賭す覚悟がいる。それは、「東電撤退問題」や、菅直人元首相の「60歳以上が現地に行けばいい」発言にも表れていた。実際、チェルノブイリ原発事故では事故収拾にあたった作業員や消防士が多数死亡している。
それは献身的な自己犠牲ではすまない。「原発は、最悪の場合には誰かに死んでもらう命令を出さなければならないもの」。社会学者の小熊英二さんが「現代思想」3月号で語っている。原発を維持するなら、死ぬ可能性のある技術者集団を作る必要がある。誰がどの法律に基づいて責任をとるのか。小熊さんの問いかけは、過酷事故を経験した日本人にとって、思考実験でなく、現実だ。
原発を成長戦略に掲げ、再稼働を推進したあげくに、再び事故が起きるかもしれない。その時、国の最高責任者の命令を、誰がどう聞いてくれるのだろう。
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