http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/448.html
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吉田第一原発所長の死に寄せて
本日、2013年7月9日、福島第一原発の元所長吉田昌郎さんが食道がんで亡くなったという。まずは、ご冥福をお祈りしたい。同じ年代のものとして、そして、多分、福島第一原発事故の実相をかなりよく知っていたはずで、それを話すことができないまま亡くなられていかれたことをとても残念に思う。また、この時期に死亡と言うのも何か違和感を感じざるを得ない。
東電によると吉田氏の被曝量は約70ミリシーベルトであったという。これは通常の被ばく限度が年間1ミリシーベルトであることから考えれば相当に高い線量のはずで、東電の発表である「被曝と病気との因果関係は極めて低い」ということは相当に疑わしい。少なくとも、3月11日以来、12月1日に引退するまでの9か月間ほどでの被曝線量が70ミリシーベルト(http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/200.html)であるのだから、相当な被曝線量だったということだ。
これに関連して気になることがある。吉田昌郎所長が現場にいた期間、当然、他の東電の正社員や関連会社の社員がいたわけで、彼らの健康状態はどうかということだ。
吉田所長の線量はどちらかと言えば同時期に現場にいた方の内では低いはずだから、他の方の健康がどうなっているのか、それが心配だ。東電の正社員も10名以上はいたはずだし、関連会社の正社員の方もいたはずで、そういった人たちは少なくとも健康状態が会社によってはっきり把握されているはずだ。つまり、そういった人たちの健康が特に問題がないのであれば、吉田所長の食道がん発病自体に違和感を感じざるを得ないし、今の時期の食道がんでの死亡と言うことにも疑問が残る。
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/402.html に次のような報道が載っている。
>(2011年)10月下旬に異変が起きた。
>「随分トイレが長いなと思っていたら、ずっと吐いていたんです。11月にはいると顔色も悪くて、“食べ物がのどを通りづらい”とか“食欲がない”とかこぼしていて、大丈夫かなと心配していたんですが…」(福島第一原発関係者)
そして、吐き気とか下痢は急性白血病の症状であり、食道がんの症状ではないのだ。新潟県立がんセンター新潟病院のサイトの血液のがん: 成人急性リンパ性白血病(http://www.niigata-cc.jp/contents/disease/setsumei/ketueki_all.html)のページには次のように書かれている。
>白血病細胞は中枢神経と呼ばれる脊髄や脳にも浸潤することもあり、頭痛や吐き気などが認められることがあります。この他に骨の痛みや関節痛が見られることもあります。
同じ新潟県立がんセンター新潟病院のサイトの食道がん(http://www.niigata-cc.jp/contents/disease/setsumei/syokudougan.html)のページには、次のように書かれている
>症状
>食道がんを発症した方の症状には以下のようなものがあります。
>1)無症状
>健康診断や人間ドックなどで偶然発見され、無症状の場合も約20%程度存在します。
>2)食道がしみる感じ
>食物を飲み込んだときに胸がチクチクと痛んだり、しみるように感じることがあります。このような症状は、がんの初期にみられることが多いので、気になったら早期に内視鏡検査を受けて下さい。
>3)食物がつかえる感じ
>がんが大きくなり食道が狭くなると、食物がつかえます。よくかまずに食べたり飲み込んだりした時に生じます。がんがさらに大きくなると食道を塞いでしまいますので、水も通らなくなります。
>4)体重減少
>食物がつかえることにより食事量が減り、低栄養となり体重が減少します。3ヶ月間に5~6Kgの体重が減少したら注意して下さい。
>5)胸痛・背部痛
>がんがより進展して周囲の臓器(肺、胸椎、大動脈など)を圧迫するようになると、胸の奥や背中に痛みを感じるようになります。胸痛は心疾患などの他の病気でもみられ、当初は心臓や肺の検査がなされることがあります。心臓や肺の検査で異常がない場合など、食道の検査も行ってもらうように医師と相談して下さい。
>6)咳
>食道がんが気管・気管支、肺へ進展すると、咳がでることがあります。特に飲食物を摂取する時にむせるような咳をしたり、血液の混じった痰がでたりします。
>7)声のかすれ(嗄声)
>胸の上部の食道の左右に声の調節をする神経(反回神経)が走行しており、これががんに侵されると声がかすれて力のない声になります。
以上を読めば分かるように吐き気という項目はない。更に、2011年12月に退任するとき食道がんはステージVだったという。そして、ステージVであるとするなら、同じページにある次の症状だったことになる。
>III 期:
>がんが食道の外に進展してリンパ節(食道壁沿い、または少し離れたもの)に転移をみとめる場合や、周囲臓器に進展しているが転移を認めないものです。
そして、そうであれば、出てくる症状は「胸の上部の食道の左右に声の調節をする神経(反回神経)が走行しており、これががんに侵されると声がかすれて力のない声」になるということだし、「飲食物を摂取する時にむせるような咳をしたり、血液の混じった痰がでたり」するはずだが、そういったことがあったようには思えない。退任時のスピーチは特に声にかすれがあったとは思えないし、咳や痰についての証言はない様子だ。更に、白血病の症状として「まれに脳出血や消化管出血」(http://www.gan-pro.com/professional/cancer/acute-lymphoid-leukemia.html)があるともされている。そして、吉田所長は2012年7月に脳出血で緊急手術を受けている。
つまり、少なくとも、退任されたときの吉田所長の病状は食道がんではないように思えるのだ。
そして、ここには2つの問題がある。
一つは、がんと言う病気が一般市民には検証が難しく、脅しの手段として使われてしまっているはずだということ。今の科学では、いろいろな形でがんに似た症状をかなり自由に作り出すことができるはずで、医師がそれを人工的な症状だと診断することがほぼできていないと思う。つまり、これは脅しの結果の症状で、刑事事件として問題化するべきだというような動きが全く取れないことが問題。
そして、そういったことの結果、吉田所長をはじめ、多くの方たちが脅しによって福島第一原発事故の実態を隠すことに協力する結果に至っている可能性があることだ。「吉田所長は結局ちゃんと協力しなかったから死ぬことになった」というような感覚で多くの関係者が捉えている可能性がある。
実際、吉田所長も本来証言するべきことを隠したまま亡くなられていった。地震の影響は原子炉に取り付けられていた監視カメラによって絶対に撮影されていて、その記録映像を吉田所長をはじめとした現地幹部は見ていたはずだからだ。また、4号炉の爆発がどういう経緯で起こったかも理解されていたはずだ。その他、地震直後の放射能漏れについても分かっていたはずで、こういったことが今現在でも関係者から全く公開されていない。つまり、現実に何らかの意味で、がん発症が脅しの一つの手段として使われている可能性はかなり高い。
二つ目の問題点は、福島第一原発事故時に現場にいた方の健康状態が隠ぺいされている結果、広く、被曝の影響がコントロールされてしまい、いくらでも脅しの手段として使われる結果になっているはずだということだ。東電の幹部の方たちから作業員の方たちまで、特定のサプリメントを飲めば症状が抑えられるとかという形でコントロールされている可能性が高い。もちろん、経済的な形でのコントロールもされていることは確実だ。しかし、もし、健康状態をきちんと確認してそれを少なくとも東電の幹部の方たちについては公表をすれば、そういったコントロールはかなり不可能になる。
そもそも、何か魔法のサプリメントで被曝が抑えられるということは有り得ない。つまり、何らかの薬物で単に体調がコントロールされているだけのはずだ。そして、福島第一原発の事故当日現場にいた方たちは、残念ながら既にかなりの被曝をされていることは確実だ。多分、現実には相当多数の方が既に亡くなってしまわれているはずだと思う。そしてそうであれば、ちゃんとした対策をとるしかなく、それはビタミンA・C・Eの大量摂取と乳酸菌製剤による腸管免疫の向上だ。こういったことを公的に取り組んでいかなければ、結局いいようにコントロールされて、最終的には単に死に至るだけだ。
福島原発事故、または原子力に関しては、脅しや懐柔に乗ることは何の解決にもならないと思う。
ウィキの「吉田昌郎」の項から部分引用:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%98%8C%E9%83%8E
体調不良を押して4号機燃料プールの補強工事を行うが、2011年11月24日から入院し、その後入退院を繰り返す。2011年12月1日付で病気療養のために所長職を退任し、本店の原子力・立地本部事務委嘱の執行役員に変更となった。なお、病名は食道癌。東京電力によると被曝線量は累計約70ミリシーベルトで被曝と病気との因果関係は極めて低いとしている[5]。
抗癌剤治療を経て、2012年に食道癌の手術を受け退院。東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の調査などを受けた。しかし2012年7月30日、東京電力は26日に吉田が外出先で脳出血のため倒れ緊急入院、緊急手術を行ったと発表した。容態については「重篤だが意識はあり、生命に別条はない。」とした[6]。
2013年7月9日、食道癌のため慶應義塾大学病院で死去[7]。58歳没。
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