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福島第一原発の吉田昌郎・元所長死去…食道がん
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130709-OYT1T00914.htm?from=ylist
2013年7月9日17時50分 読売新聞
2011年3月に発生した東京電力福島第一原発事故当時の所長で、同社執行役員の吉田昌郎(よしだ・まさお)さん(58)が9日、食道がんのため、都内の病院で亡くなった。東電が同日、発表した。
吉田氏は事故当時、原子炉建屋が水素爆発などを起こす中、現場で陣頭指揮を執りつづけた。11年末に所長を退任し、食道がんを治療していた。12年7月には、脳出血で手術を受けた。
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東電 吉田昌郎元所長が死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130709/t10015922331000.html
7月9日 17時15分 NHK
東京電力福島第一原子力発電所の事故で現場で指揮を執った吉田昌郎元所長が、9日午前、東京都内の病院で食道がんのため亡くなりました。
58歳でした。
吉田元所長は、3年前の6月に福島第一原子力発電所の所長に就任し、おととし3月11日の事故発生から現場のトップとして事故対応の指揮を執りました。
すべての電源が失われる中で、吉田元所長は、福島第一原発の複数の原子炉で同時に起きた事故の対応に当たりましたが、結果として1号機から3号機でメルトダウンが起きて被害を防ぐことはできませんでした。
吉田元所長は、その後、病気療養のため交代するおととしの11月末までおよそ9か月間にわたって福島第一原発の所長を務め、事故の収束作業にも当たりました。
おととし12月に食道がんと診断されて所長を退任しその後、去年7月には脳出血の緊急手術を受け療養生活を続けていました。
吉田元所長は、所長在任中のおととし11月、福島第一原発の事故現場が報道関係者に初めて公開された際にインタビューに応じ、「事故直後の1週間は死ぬだろうと思ったことが数度あった。1号機や3号機が水素爆発したときや2号機に注水ができないときは終わりかなと思った」と当時の思いを語っていました。
また、去年8月に長野県の出版社が福島市で開いたシンポジウムで公開されたインタビュー映像では福島第一原発の今後について「日本だけでなく、世界の知見を集めてより安定化させることがいちばん求められていると思う。それが地元の人たちにとって改善したと実感してもらえることだ。私自身も体力が戻ったら現場で力を出したい」と述べ、復帰への意欲をのぞかせていました。
東京電力によりますと、事故発生から退任までに吉田元所長が浴びた放射線量はおよそ70ミリシーベルトで、東京電力はこれまで、「被ばくが原因で食道がんを発症するまでには少なくとも5年かかるので、事故による被ばくが影響した可能性は極めて低い」と説明しています。
吉田元所長は、9日午前11時32分に東京都内の病院で食道がんのため亡くなりました。
東京電力の廣瀬社長は「吉田さんは再び私どもと一緒に福島の復興に尽くしたいとの強い気持ちを聞いておりました。持ち前の明るい大きな声で陣頭指揮を執る姿に出会えることを心待ちにしておりましたが、東京電力の再生に向け共に働くことができず無念でなりません」というコメントを発表しました。
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吉田元所長が死去、福島第一原発で陣頭指揮
東日本大震災後、福島第一原発で事故処理の陣頭指揮をとった東京電力の吉田昌郎 元所長が、9日午前、亡くなりました。58歳でした。
吉田昌郎元所長は1979年、東京電力に入社し、福島第一原発を担当するなど主に原子力畑を歩みました。2010年から福島第一原発の所長を務め、東日本大震災後は現場責任者として事故収束作業の陣頭指揮をとりました。
おととし11月には「食道がん」であることを公表し、治療に専念するため所長を退任しました。その後、入退院を繰り返しながら治療を続けていましたが、去年7月には「脳出血」のため緊急手術を受けていました。
東京電力によりますと、亡くなったのは午前11時半ごろで、死因は食道がんでした。(09日16:58)
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