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2013年07月09日 上杉隆
「〈マスクマン〉と呼ばれるのが嫌なもんだから、すぐに外してしまうんですよ」
2012年2月、福島県いわき市で開かれた「ポレポレ映画祭」の上映後、小学生の男児を持つという母親がこう嘆いた。
「やっぱり男の子だから恰好もつけたいんでしょうね。学校でも『マスクをしろ』とはいわないようですし、先生によっては『外せ』という人もいるんですよ」
子供は放射能に対する感受性が強い。これは世界共通の認識である。
ところが、3・11以降の日本では、この簡単な生物学的常識が忘れられてしまったかのようなのだ。
福島駅に到着し、外国プレスのクルーが防塵マスクを着装している横を、子供たちが何事もなかったかのように走り抜けていく。目を丸くする外国人記者の持つ放射線測定器の値は、毎時1マイクロシーベルトを超えている。
2012年3月11日、東京・中野で開かれた「DAYS JAPAN」の会合で、いわき市民放射能測定所「たらちね」の鈴木薫氏は、静かにこう語った。
「ある家族の中で、男の子だけがセシウムの被ばく量が高かったのです。調べてみると、その男の子は犬の世話の当番をしている。実は、犬の体毛は空気中のセシウムを集めやすく、その手入れをして、遊んでいた男の子が放射性物質を多く吸いこんでしまったようなのです。本来は動物愛護、あるいは情操教育の観点からも素晴らしいことが福島ではできないのです」
空間にある放射性物質は、目に見えず、匂いもせず、即座に人体に影響を及ぼすものでもない。だからこそ、その存在を知ることができる政府や県が、事実を伝えなければならないのだ。(事故発災直後から、私が直接県民に問いかけるのではなく、政府や行政、あるいはメディアに「判断」を訴え続けていたのにはそうした理由がある)。
だが、原発事故から1年たった今も(2012年3月当時)なお、福島の真実は知らされず、一部の県民は騙されたまま普通の生活を続けている。
それは端的に「犯罪行為」といえないだろうか。とりわけ、日本の未来を背負う子供たちへの背信行為ともいえる。政治家や役人、あるいは情報を得ていたメディアの人々は、歴史に断罪される前に(遠い将来かもしれない)、自ら告白すべきなのではないか。
(つづく)
※ 当記事は2012年3月、「夕刊フジ」に連載した「福島の真実」に、加筆・修正しタイトルを変えたものである。
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