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福島医大の医師と看護婦はヨウ素剤をこっそり飲んでいた!
http://onodekita.sblo.jp/article/69527938.html
事故当初にどれだけの汚染があり、そしてまたどれだけの被曝をしたのか。日本政府どころか、IAEA、国連までもが、御用学者を総動員して、大した被曝ではなかったと宣伝しまくっています。
甲状腺被曝を隠す政府、専門家−天網恢々疎にして漏らさず
それでもNHKはヨウ素被曝について、控えめではありますが報告をしています。
あべ・こうゆう氏=昭和39年生まれ。駒沢大仏教学部卒。福島市・曹洞宗常円寺住職。福島復興プロジェクトチーム「花に願いを」代表として放射能の除染活動に取り組む。ラジオ福島「つるりん和尚のあー言えば、こうゆう録」のパーソナリティーも務め、被災地の情報発信に努めている。
(前略)
東京電力福島第1原子力発電所から北西に位置する県都・福島市も原発事故後、自然の理にならい放射性物質が降り注いだ。市の南東に位置し、帰還困難区域に指定された飯舘村は"風の道"と呼ばれていた。地形のなせるわざか、年中、風の通り道になっている。そして原発からの風も例外ではなかった。その風は飯舘村からこの地へと流れ、やがて北風とぶつかり南へと舵をきった。そこで大量の物質が舞い降りたのだ。よもや原発から60キロもの距離がある福島市に……。
当時の放射性ヨウ素の貴重なデータがある。福島市の南東に位置する県立医大近辺で3月15日(爆発から3日後)に採取された葉菜の検査記録だ。県が測定し手書きで残したその資料には、ヨウ素だけで1キロあたり119万ベクレルが検出されたことが示されている。
当時医大で医師・看護師などに「安定ヨウ素剤」を配ったのも頷けるデータだ。しかし、私たちにはそうしたデータが公表されることはなかった。
今年の1月、法務省主催の人権フォーラム「震災と人権」でパネリストを務め、こうした事実を伝えた。ところが、後日主催者から報告文書中のこの発言内容について削除したい旨の電話が入った。
医大関係者から「それは医療従事者の既得権益で、なんら問題がない」という意見が寄せられたためだ。私は「百歩譲ってそれを認めたとしても、地震により当時ライフラインの復旧のために何週間もの間、文字通り寝食を忘れ、大量の放射性物質が降り注ぐ中、復旧工事に従事していた人にはなぜ配られなかったのか。彼らには既得権益はないのか」と一蹴すると、1時間足らずで「削除せず、そのまま記録する」との返答があった。明らかな職業差別であったからだ。
どれほどの汚染状況であったのか、今ではそれを知る確かな術はない。
情報が次々と後出しで伝えられる中、何が正しく何が嘘か、何を信じていいのか解らないまま、錯綜する情報の取捨選択・決断を私たちは迫られた。
「万が一にも将来子供に影響があってはいけない。避難しよう」「この程度は問題ない。避難の必要はない」「私はもうこの歳だ。被ばくはあまり気にしない」
かくして「分断」が始まった。
なんとヨウ素がこの程度なめただけで、100万ベクレルを超える汚染。一体どの程度の被曝であったのか、私には想像もつきません。そして驚くべきことに、医科大学の鈴木眞一達は、フクシマではヨウ素剤を飲む必要がなかったと公言しながら、自分たちだけこっそりと内服していたこと。このような二枚舌がなぜ許されるのでしょうか。
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