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川内博史さん(前衆議院議員、民主党)は、内閣府原子力安全委員会(当時)から、1ミリシーベルトで1万人に0.55人が死ぬ、という文書を正式に入手しました。
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1ミリシーベルトというのは、1万人に0.55人が死ぬのです。10ミリシーベルトなら5.5人、100だと55人です。100ミリシーベルトまで大丈夫という人は、それを許容してしまう、ということです。
そもそも福島事故が起きるまでは、原子力施設の敷地境界における年間の許容線量は1ミリシーベルト、と決まっていました。なぜ事故がおこったら、それが緩められるのでしょうか。
福島原発事故が起きる前までは、「100ベクレルの汚染のある放射性廃棄物はドラム缶に入れてきちんと管理しなさい」となっていたものが、今は100ベクレルのものは食べてもいいです、に変わったわけです。学校の校庭の線量が年間20ミリシーベルトまで大丈夫です、と文部科学省が言っています。世界の人たちから見ると、「日本はいったい何をやっているのだろう」というふうに思われるでしょう。
原子力安全委員会(当時)の方たちと、ミリシーベルトというのは人に対する影響のことですから、それは「人が死ぬ」ということですね、と議論しました。では死ぬというのは何人死ぬのですか?と問いつめて、正式な文書を手にするのに1ヶ月くらいかかりました。
「低線量被ばく(内部被ばく)の影響はありますよ、データがないから分からないのですよ」ということを、きちんと言った上で、「じゃあ、避難しますか残りますか」ということを、一人ひとりの人に選択してもらう、そして、移住することを選ぶ人にはきちんと支援をする、残る方にも支援をする、というのが、本来の意味での復興・復旧支援です。
当時SPEEDI情報を隠蔽した、菅さん、枝野さんの罪は非常に重いものがあると私は思います。発災直後、政府は大変な罪を犯してしまった。だからこそ、放射線被ばくの問題については、厳格にしていかなければならない。
■KAZE解説
この書類は、ICRPによる広島・長崎の中性子、ガンマー線による外部被ばくの数値で、内部被ばくは一切入っていません。注目すべきは、内閣府が、死者を予想する数値を公式に提示した事実です。
インタビュー全文
高橋▶ 原子力規制委員会の田中委員長が、避難基準を「1年間で100ミリシーベルトまで大丈夫」と言っています。経産省も「20ミリシーベルトで大丈夫」という、とても読みやすい文書をだして、初めてこの問題を知る人がこれを読むと「あ、それはそうですよね」というふうに思うでしょう。日本の法律では「1ミリシーベルト」ということをはっきりと言っているのに、それがどんどん置き去りにされてしまっています。どのようにご覧になりますか?
http://www.jnes.go.jp/content/000120491.pdf
川内▶ 原子力ムラのみなさんは、もう、とにかく「なかったことにしたい」のだと思います。「この原発事故などは、放射能汚染などは、なかったのだ、ないのだ」、としていきたいかの如くに僕には見えます。
低線量被ばく(内部被ばく)の影響というのは、因果関係を証明するのはなかなか難しく、長期間にわたります。そして、そもそもこんな事故というのは起きてはならないことなので、いままで十分なデータがない、というだけの話です。影響はそれこそ、絶対にあるはずです。「どのような影響なのか、ということについての十分なデ--タがありません」というのが、政府の立場なら国民の皆さんに申し上げる、正しい言い方ではないかと思うのです。
高橋▶ 本当に大丈夫なのか、と常に疑問を持ち、低線量被ばくつまり内部被ばくについては十分なデータがないのだから、日本の法律で1ミリが決まっているのだから、とりあえずそこをガイドラインにして、それ以上のものについては、非常に心配しながら対処しなければならない、こういうお考えでよろしいでしょうか?
川内▶ そもそも福島事故が起きるまでは、「原子力施設の敷地境界における年間の許容線量は1ミリシーベルト」と、決まっていました。なぜ事故がおこったら、それがなぜ緩められるのですか。厳しくなるならともかく、本当に僕はよくわからないです。福島原原発事故が起きる前までは、「100ベクレルの汚染のある放射性廃棄物はドラム缶に入れてきちんと管理しなさい」となっていたものが、今は100ベクレルのものは食べてもいいです、に変わったわけです。世界の人たちから見ると、「日本はいったい何をやっているのだろう」というふうに思われるでしょう。
高橋▶ 「1ミリシーベルトで、1万人に0.55人がガンで死んでしまう」、病気になるのではなく、「死んでしまう」という文書を入手されたということで、非常に興味があります。
川内▶ 低線量被ばくについて、事故直後非常にいろいろな議論がありました。学校の校庭の線量が年間20ミリシーベルトまで大丈夫です、と文部科学省が言って、「なんですか、それは」と、福島の親御さんたちが文部科学省に猛抗議にいらっしゃり、私もご一緒しました。そのときに、"ミリシーベルト"という意味を、もっと具体的に国民のみなさんにお伝えしなければならないと思いました。
原子力安全委員会(当時)の方たちと、LNTの直線仮説(しきい値無し直線仮説)を国として今まで採用してきているけれど、具体的に"ミリシーベルト"という人に対する影響はどんなものか、それは「人が死ぬ」ということです、では死ぬというのは何人死ぬのですか?と議論を詰めました。役所から文書を取るのはめちゃめちゃ時間がかかって、根気が必要です。一ヶ月くらいかかりました。
1ミリシーベルトというのは、一万人に0.55人、死ぬんです。だから、10ミリシーベルトなら5.5人です。100だと55人です。100ミリシーベルトまで大丈夫という人は、それを許容してしまう、ということですよね。
高橋▶ いま私たち(KAZE)がやっている作業の中で、文部科学省の出した空間線量の測定値を使いながら、市町村ごとに、どのくらいの線量のところに何人くらい人口がいて、年齢ごとに子どもたちが何人いるのか、それから、3.11前と後を比較して、人口の増減を見ているのです。これを見ると、例えば、双葉町の人たちは非常に高い線量のところにいて、県外に避難した人たちがおよそ3000人、県内に留まった人たちが3700人、というふうです。避難した人たちの一部は、高線量の「とてつもなくひどいところ」から「ひどいところ」に避難している。
川内▶ 当時SPEEDI情報を隠蔽した、菅さん、枝野さんの罪は非常に重いものがあると思います。事故直後、放射能は目に見えないけれど風で運ばれて、冬なので北風で、風上に向かって行けばいいだろうと思うので、みんな上に逃げる。しかし、実際には南西の風が吹いていたので、放射性物質の降り注ぐなかを避難してしまった。
"着の身着のままで避難し、食料と水の配給を外でずっと待っていた若いお母さんと子どもがいた"という話を聞きました。ほんとうに政府は発災直後、大変な罪を犯してしまっていたのではないかと。
放射線被ばくの問題については、厳格にしていかなければならない。「子ども・被災者支援法」も、本来は、法律の中に移住権をしっかり位置づけ、「移住したい人には国が全面的に支援を」と、書き込みたかったけれども叶(かな)わずに、法律としては不十分なものになっている。そして国は予算付けない、という状況です。
高橋▶ 川田(龍平)議員とも直接お話ししたときに、「子ども・被災者支援法」はどちらかというと理念法になっているということでした。空間線量なのか、食事も含めるとか色々な議論は残っていると思いますが、その対象がはっきりしていません。範囲もわからないから、予算の付けようもない、空洞化した形です。
だからこそ、法案が通ったということもあろうかとは思いますが、あの時点の到達点として、私たちはポジティヴにとらえています。その後、まともな道筋を歩んでいれば、具体的に実践するためにどうするのか、という話になっているはずだと思いますが、自民党になってから、法案は完全に形骸化されていながら、「今の政策でちゃんと引き継がれている」という言い方になっていると思います。いかがでしょうか。
川内▶ そもそも自民党政権は、おそらく福島事故などは「なかった」かのようにしたいのだと思います。子どもたちの問題も、「ちゃんと健康調査しています、問題があれば再検査もしています、復興支援法も作ったじゃないですか」と。あくまでも霞ヶ関、そして、県、そして、市町村、という行政の流れの中での復興なり、支援なり、というものを考えているわけです。
だから、野田前総理も、安倍現総理も、「福島の復興なくして、日本の復興なし」という言葉を使うんですね。その「福島」という言葉は、「行政」としての福島なのですよ。「福島県民」とか「福島で暮らす人々」ということは、指していないのですよ。
高橋▶ とてもわかりやすいですね。なぜ「みんな福島戻ってこい」というのかと思っていたら、確かに人口がゼロになれば、福島という「行政」はなくなりますよね。
川内▶ なくなるわけです。「行政の組織体」としての福島県なり、福島県にある「市町村」を立て直しますと。そこで暮らす人々がどういうふうに生活をしてゆくのか、あるいはどういうふうに考えているのか、ということまでは、法律上考えられていいないのです。
高橋▶ 国民は、復興予算25兆を長期に渡って負担していくことを覚悟しました。これは仕方ない、この状況の中で、あの予算については必要な行為だ、とみんなが感じたと思います。ところが、ふたを開けてみると、まったく国民が思っているところに使われていない。多くの国民は、福島原発で今後子どもたちが放射能で被害を受けるということがあるならば、これをなんとかしてあげるべきだ、というのは共感できると思います。子どもたちを守りたいと思うのは、多分1ミリシーベルトがどうのという議論を超えた思いです。ところが、まったくそこに予算が付いていない、また、箱物みたいなことになっている、これはどうなのでしょうか。
川内▶ 行政としての霞ヶ関、あるいは自治体は、ある基準を決めて、「20ミリシーベルトまでは大丈夫」「戻ってきて、ここで暮らしてください、なぜなら大丈夫だからです。問題ありません」と、そういうことしかないわけです。そこには、住民の皆さんの思いは無関係な論理しかないわけです。「低線量被ばくの影響はありますよ、データがないから分からないですよ」ということを、きちんと説明したうえで、「じゃあ避難しますか、残りますか」と一人一人の人に自由に選択してもらう、そして移住することを選ぶ人にはきちんと支援をする、残る方にも支援をする、というというのが、私は本来の意味での復興・復旧支援だと思うのです。
しかし、今のあり方、体制というものはまったくそうなってはいません。道路を作り直しましょう、橋を掛け直しましょう、堤防を強化しましょう、ということで、本来被災者のみなさんが望む方向には、残念ながらなってはいない。
高橋▶ 被災者と支えていこうとする日本国民の気持ちとは、むしろ反対の方に行ってしまっている。
川内▶ そのとおりです。だから、現在たいへんな問題になっている復興庁の水野参事官のような問題が起こるのです。「復興庁は、ひとりひとりの被害者、被災者、避難者の要望や要請を聞き支援する役所ではないのだ。自治体支援の窓口なのだ」というのが彼らの言い分で、だからあのような暴言につながるのです。
< 解説 >
低線量被ばく、あるいは内部被ばくに関するデータは、広島・長崎の原爆被ばくのデータからは削除されてきました。世界的な原子力発電所推進政策をある意味、科学的に補完する組織、ICRP(国際放射線防護委員会)の見識は、この文脈の中にあると批判されています。広島・長崎の「黒い雨」で有名になった内部被ばく問題は、すでに多くの裁判でその実態が明らかになっています。また、チェリノブイリ原発事故の被害でも、世界中にこの問題の深刻さが報告されています。しかし、科学の世界では依然、「はっきりしていない」という不毛な議論が続けられているのです。このインタビューでは、こうした背景を踏まえながらも、国が認めている枠組みの延長上ですら矛盾があることを議論しています。
原子力安全委員会からの回答(二枚を結合) PDF:放射線によるがんのリスク.pdf
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