http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/151.html
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福助からのおことわりです。
戦争版に出すべきかな?ともかんがえたのですが、
戦後日本の原発導入と今後に懸念される「核武装」の問題に絡んでくるのでこちらに出しました。
一応、戦争版にも案内は出しておきます。
「ロシアの声」からの驚くべき情報なのですが、戦時中の日本軍が朝鮮半島で核爆弾の開発を行っていた事は戦後の一部では知られていた情報でした。
それによると、ごく小さな試作品の製造に世界で最初に成功し、天皇にまで報告が行ったのですが、それを知った昭和天皇は「こんなものを実戦に使えば相手側は数倍の報復に出るであろうから決して日本は使ってはならない。直ぐに廃棄せよ」と命じられたとの事ですが、それを無視して密かに開発を続けていたところ爆発事故を起こしてしまい、天皇のお耳に入ってしまい、今度は天皇からきついお叱りを受けて廃棄したとの話になっていたのですが…。
それでもまだ開発を続けていたのかも知れません。
今回の情報源がどこなのかまで明らかにされていないのは残念ですが、それで全くの架空の話と言う事もあり得るのですが、しかし真実なのかもしれません。
http://japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091
ソ連が米国を日本の核攻撃から救った
13.06.2013, 12:15
1945年8月、ソ連軍の参戦によって、日本軍が米国に核兵器を使用する可能性が排除された。
1945年8月9日、米国・英国との協定に基づき、ソ連が対日戦争に参加した。11日、太平洋艦隊およびソ連陸軍が清津港・元山港占領作戦を開始した。両港の間には咸興(ハムフン)という港町があった。日本軍はそこで密かに核開発を進めていた。ソ連軍に研究施設を占拠されることを危惧した将校らは12日、巨大な金属のコンテナーで核弾頭のサンプルを運び出し、小型の船艇に載せて漕ぎ出し、沖に出ると間もなく点火、もろとも爆破した。巨大な爆発であった。直径1kmの火球が天空に燃えたあと、巨大なきのこ雲が騰がった。米機B-29が投下した広島原爆と同程度の威力の爆弾であった。「祖国」作戦の一環で米軍に対して使用される予定であった。しかし、投下され、炸裂することはなかった。いわばソ連が米国を日本の核攻撃から救ったのである。
Konkurent.Ru、Vladivostok
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