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ゴアレーベンの調査鉱山内。ベルトコンベヤーは掘削した岩塩層の搬出に使用されていたが、今は止まっている
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130609/erp13060907010001-n1.htm
2013.6.9 07:00
ドイツで高レベル放射性廃棄物の最終処分場建設地選びが混迷している。約35年間、唯一の候補地で調査を進めてきた計画を政府が白紙に戻し、場所選びを一からやり直すことを決めた。背景には、安全性や選定過程への疑問が拭えなかったことがあるが、地元住民の心境は複雑だ。脱原発を決めても廃棄物処理は避けられず、苦悩は続く。(ドイツ北部ゴアレーベン 宮下日出男、写真も)
ベルリンから北西へ約150キロのゴアレーベン村。唯一の候補地だった「調査鉱山ゴアレーベン」は松林に囲まれていた。地上からエレベーターに乗り、耳が少しつまるのを感じながら約2分。地下840メートルに到達すると、大きな空間が広がった。肌色がかった白い壁面や天井は、すべて塩だ。
「家に少し持ち帰って料理に使う人もいる」。案内役の従業員の言葉を受け、壁を触った指をなめると、塩味がした。この岩塩層は250万年前に形成されたとされ、高レベル放射性廃棄物埋設の適否を調べるため、地下探査が続けられてきた。そのために整備された坑道の総延長距離は約8キロに上る。
ただ、従業員の表情はすぐれない。穴だらけの壁の前で「発破を使い坑道を延ばす」と説明した後、「もうやっていない」。昨年調達したばかりの特注の掘削機を指して「1台250万ユーロ(約3億2500万円)だ」と誇りながら、「使っていないんだ」と肩を落とした。候補地選定のやり直し決定に伴い、地下探査が中止されたためだ。
政府がゴアレーベンの地下探査に乗り出したのは、コール政権時代の1983年にさかのぼる。激しい反対運動などが起き、「反原発」を掲げる緑の党が参加する政権下で探査は一時中止されたが、2010年にメルケル政権が再開した。
ただ、それでも反対は強く、政府は計画の白紙化を決定。今年4月、全16州と新たな候補地選定手続きに合意した。国内全域が対象でゴアレーベンも除外はされないが、探査が中止されたのは「公正さ」を期すためだ。これまで探査に投入した費用は16億ユーロに上り、いつでも再開できるよう維持管理に今後は年2千万ユーロが必要だという。
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調査鉱山から約2キロの集落では所々で黄色の「×」マークをつけた車や家屋が目についた。ゴアレーベンでの処分場建設への反対を示す印だ。反対派のプール管理人の男性(44)は「親の世代が生んだ核のゴミは何とかしなければいけない。だが、ここは安全ではない。アッセを見れば分かる」と強調した。
「アッセ」とは独北部で保管の研究のため、70年代後半までに低中レベル放射性廃棄物が大量に搬入された旧鉱山を指す。その後、地下水の浸水が発覚し、放射性物質漏出による土壌汚染が懸念されているが、連邦政府は対応に苦慮。ゴアレーベンはアッセと同じく岩塩層で地下水脈があることから、同様の事態が不安視されている。
反対派には候補地に決まった経緯にも不信感があるようだ。当時は東西ドイツ分断の時代。ゴアレーベンは旧東独との国境付近に位置していたことから、「事故があっても影響は東独側に行くという政治判断で選ばれただけだ」(55歳の自営業男性)との声が上がる。
ただ、経済的基盤の弱い村や周辺地域にとり、処分場探査は重要な雇用創出の場でもある。調査鉱山付近には放射性廃棄物の中間貯蔵施設もあり、双方の従業員の約8割は地元住民だ。探査中止後、調査鉱山の従業員はすでに240人から150人に減らされ、今後の雇用継続に不安は強い。
ゴアレーベンを含む集合自治体ガルトーのフリードリヒ・ウィルヘルム・シュレーダー首長は、探査中止により地元雇用とともに、「従業員が培ったノウハウが失われる」と懸念する。その上で「メディアでは反対派の声の方が大きく報じられるが、実は反対派は住民の25〜30%だ」と明らかにした。
「×」印を掲げた住宅の向かいに暮らす男性(71)もこう語る。「中間貯蔵施設で20年間働いたが、毎年検査を受け、危険は感じなかった。最終処分場探しをまた最初からやると時間と費用がかかるじゃないか」
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「ゴアレーベンの適性を否定する調査結果は現時点では出ていない」。核廃棄物処理に関する連邦政府の助言機関「処分委員会」のトーマス・ファンヘネル委員長代理はこう指摘する。調査は中止されたが、まだ途中で、ゴアレーベンが安全とも危険とも最終判断できないということだ。
調査鉱山を管轄する連邦放射線防護庁も、アッセのような事故への懸念について、過去に岩塩が採掘されたアッセと未開発だったゴアレーベンの状況は異なるとの立場。旧東独国境付近という「政治判断」が選定理由との見方も「推測」としている。ただ、当時の文書保管が不十分で、今となっては正確な選定の経緯は分からないという。
長年かけた議論は結局、振り出しに戻った形だが、ファンヘネル氏は「ゴアレーベンが反原発と原発推進の議論に結びついた」ことも議論が膠着(こうちやく)してきた大きな要因とみる。ゴアレーベンは計画当初から、当時盛り上がった反核運動と原発推進派の対立を象徴する場所となった。そのため問題は安全性だけでなく、「政治色」を帯びてしまい、尾を引いてきたとの見方だ。
新たな候補地の選定では専門家委員会が15年までに選定基準を提案し、その基準や候補地選定など各段階の決定を連邦議会が行うことなどで「透明性」の確保を狙う。
処分委員会のミヒャエル・ザイラー委員長は今回の決定を歓迎する一方、「決断は科学的根拠に基づかねばならない。だが、それを下すのは政治であり、決定は政権が代わっても持続されねばならない」と述べ、党派を超えた幅広い合意の必要性を訴えている。
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ゴアレーベンの経緯 ドイツ政府は1974年、使用済み核燃料の再処理施設、放射性廃棄物の中間貯蔵施設、最終処分場を1カ所に集中整備する方針を決定。候補地はニーダーザクセン州の3カ所に絞られたが、反対運動が起き、州側の判断で77年、3カ所に含まれないゴアレーベンが選ばれた。国内での再処理断念で再処理施設は建設されていないが、中間貯蔵施設をめぐり、放射性廃棄物の搬入に対する大規模な抗議行動なども起きた。最終処分場候補地選定やり直しに伴い、この間は中間貯蔵施設にも新たに搬入しない方針。
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