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2013/5/31 晴耕雨読
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おはようでし。
ようやく山側の遮水壁が造られるみたいでし。
地下水流入の発見時から案はあったのに、ここまで問題が大きくならないと造られないんだもんね。
汚染水対策で遮水壁設置を求める方針 http://nhk.jp/N47j6Gi8
ん〜、山側遮水壁と同じように、1F仮設防波堤の本設化も、津波が来ない限り全面をガードするような本設にはならないんだろうな。
津波が来たら…。
なのに…。
今日は東電から毎月末に説明される中長期ロードマップの発表日でし。
山側遮水壁の事や4号機使用済み燃料取出、汚染水処理、1号機再カバーリングの案件がオイラは特に気になるでし。
あとは、いま構内に造ってる焼却設備の進捗や6月に正門脇に完成予定の入退域管理施設もね。
関東甲信越地方も昨日、梅雨入りしたね。
1Fのある東北地方も近々だろうなぁ。
毎年、梅雨時期は地下水流入量も500t位になって、いつもより汚染水も100t位増えるんだよね。
今年は大雨の日が少ないといいんだけど。
去年は大雨の日多くて大変だったからなぁ。
山側遮水壁の工事は全て完成までには1年半〜2年位かかるんだろうけど、図面に反映されてない埋設物も沢山あるし、エリア調整や収束作業で敷設した電源ケーブルや配管も干渉するだろうから、工事調整は相当大変だと思うでし。
いま地下水バイパスの工事は完成してて海に流す準備は出来てるんだけど、まだ漁業関係者に納得してもらえてなくて棚上げ状態なんだよね。
遮水壁が出来れば地下水バイパスも必要なくなるはずなんだけど、遮水壁完成するまでは地下水バイパスで海に流して建屋内流入量抑制するのかなぁ。
各家庭、色々な事情もあって帰還すんだろうけど、子供のいる親は複雑な気持ちと不安を持ちながらの帰還なんだろうな。
[ 18歳未満の避難者、3万人切る 「家族で帰還」進む ]http://t.co/2Q4y9bq50O
やっぱ予想通り、なかなかうまくいってないなあ…。
2Fでの試験段階である程度わかってたはずなのに…。
応急措置でいくのか、抜本的対策でいくのか…。
たぶん応急なんだろうな。
[ 放射性ヨウ素など残留 第1原発の汚染水処理設備 ] http://t.co/60ziX6rNrB
悲しいでし(._.)これも、たった一度の原発事故が起きたらの事実でし。
<福島第1原発>73歳「おら、双葉には戻んね。できね」 http://t.co/4dHtN7KvPO
ようやく1F現地調査に入るみたいだけど1号機だけじゃなく、たった5人だけじゃなく、建家内に詳しいメーカーも入れて長期的に常駐して調査団作ればいいのに。
調査する箇所は山ほどあるでし。
[ 福島第1原発>30〜31日に規制委が現地調査 ] http://t.co/xPTJVZd1Qp
そういえば、経産省から発表された、この資料の中のPu239の32億ベクレルは、いったい何処に飛んで行ってしまったんだろ…。 http://t.co/ZXu1EOmFBJ
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<福島第1原発>73歳「おら、双葉には戻んね。できね」
毎日新聞 5月29日(水)14時13分配信
警戒区域再編で避難指示解除準備区域となった浜野地区にある自宅跡を訪れ、夫の位牌を置く舘林ミヨさん(右)と娘の貴子さん=福島県双葉町で2013年5月28日、武市公孝撮影
海岸線から約250メートル。津波に根こそぎにされた福島県双葉町の自宅跡は、雑草が浜風に吹かれて寂しく揺れていた。「おとうちゃん、会いに来たよ」。同町の住民で茨城県つくば市の借り上げ住宅で避難生活を送る舘林ミヨさん(73)が、避難生活中に亡くした夫、次男(つぎお)さん(享年70)の位牌(いはい)を抱え、自宅跡を訪れた。東京電力福島第1原発事故で警戒区域とされ、28日に再編された双葉町に入った。【栗田慎一】
【福島・いわき市の現状】 落書き、住民の本音を代弁
舘林さんの自宅があった双葉町浜野地区は、日中の出入りが可能な避難指示解除準備区域に再編された。この日の早朝、次女の貴子さん(42)を伴い、つくば市を出て町に向かった。周囲一帯、雑草や枯れ木が殺伐とした風景をつくっている。午後1時前、東日本大震災の津波で基礎を残すだけの自宅跡に着いた。くるんだ新聞紙を開き、次男さんの位牌を出した。「今日はね、聞いてもらいたいことがあってね」
2011年3月11日。浜野地区の全51世帯が津波で家を失ったが、舘林さんらは同居の貴子さんや長男一家4人を含め無事だった。一夜を明かした避難所で「町内でアパートを借りて一緒に住もう」と、小さなおむすびを分け合った。
だが、原発事故で長男家族と離散。半年後、県内外を転々とするうち次男さんが倒れた。医者に「膵臓(すいぞう)がん。もってあと10日」と宣告され、あっという間に逝ってしまった。泣き言を言わない人だった。「おらに余計な心配かけたくなかったんかね。『何か言いたいことあんの』って聞いたら、一言『ね(ない)』って」。昨年6月、町の許可を得て立ち入り、倒れたままの墓に遺骨を納めた。
この日は青空が広がり、それが寂しさを強調していた。町はまるで原野の中だ。折れた木の幹や放置されたままの乗用車が点々としている。
「おとうちゃん、避難中ずっと家さ帰りたいって言ってたから。今、ここでおらの声聞いてるんでしょ」。空を仰ぎ、続けた。「おら、双葉には戻んね。家族をばらばらにし、おとうちゃんを奪った原発がある双葉に戻って来るなんて、おらにはできね」
仏間のあった場所に位牌をそっと置いた。「おら、家族みんなでまた一緒に暮らせるよう、どっか別の地で頑張ろうと思う。生きてる間にうまくいったら、迎えに来っから。それまで、待っててけろ」。初めてわがままを言った。
※
避難区域再編を機に、東電は財物賠償の支払いを始める。賠償額は原則立ち入りができない帰還困難区域が最高額。双葉町は96%が「帰還困難」に再編されたが、舘林さんらがいた浜野、隣接する両竹の2地区は「避難指示解除準備区域」で賠償額は下がる。さらに、2地区の計78世帯は大半が津波で家屋を失っており、これらについて東電は「原発事故が原因ではない」として財物賠償の対象から外している。
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