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◆フォルカー・ザッテル 映画監督
ドイツの映画監督フォルカー・ザッテルさん(43)は、脱原発に向かうドイツの原発関連施設の内部に入り、その日常をドキュメンタリー映画「アンダー・コントロール」で描いた。福島の原発事故から2年余。岐路に立つ日本の原発行政を考える上で、理性的で冷静なこの視点から学ぶことは多い。3月に日本語版DVDが発売された。(芦原千晶)
──2011年に封切られた「アンダー・コントロール」は、08年から撮影し始めたそうですね。
当時、ドイツでは将来的に原発廃止の方針は決まっていて、稼働中より停止している方が多い状況でした。もはや原発は明るい未来をもたらす技術でなく、廃止までの間に使われる限定的な技術。そんな認識に変わっていた時期です。
原発という壁の向こう側に何があるのか、映画を通じてもっとオープンな視点で理性的に描きたいと思ったのが原点です。ドイツでは原発について、多くの人々が長く議論してきましたが、原発の中のことを知る人はほとんどいなかった。人々を魅惑する特別な技術で、大きな美しい建造物でありながら、人類にとって危険で脅威となる─。そんな原発の持つ相反する側面も表現したかった。
──カラフルな作業服で原発内で働く人々、まるで宇宙服のような防護服で施設を解体する様子…。印象的な場面が多い。
原発をめぐる状況を映像や音で記録し、原発に対する人々の感覚を鋭くさせることが役目だと思いました。見る人が映像に引き込まれ、見終わった後で、原発とは何かを自分自身に問いかける作品にしたかった。だから映画の中では原発に関する説明を極力詰め込まないようにしました。
原発の廃止後についても力点を置いた。原発という巨大な建造物は一度建てたら要らないと思ってもすぐ消し去ることはできない。解体には長い時間が必要で、放射性廃棄物の問題も将来にわたって続きます。人けのない地下600メートルの放射性廃棄物の貯蔵庫や、20〜30年もかかる解体作業にどれだけのお金や労力、技術がいるかについても感覚的に訴えたかった。
──撮影交渉は大変だったでしょう。
ドイツでは批判的なジャーナリストも多く、原発事業者は外来者に対して不信感があります。「アーティストとして、原発という技術のドキュメンタリーを撮りたい」と訴え、何カ月もかけて許可を得ました。
原発事業者や作業員の方々の信用を得られるよう、専門用語も含めて原発のことをすごく勉強したし、彼らの思考も学ぼうとしました。どこでも自由に撮影できたわけではなく、条件付きの撮影でしたが、原発内部で働く人々の存在そのものや原発を語る時の表情を捉えようとしました。完成した作品の検閲は受けていません。
──保守点検中の原発施設内に実際に入って撮影してみていかがでしたか。
遮断され、閉じ込められた死の世界、パラレルワールドという感じがしました。内部は空気がよどんでいて原子炉に近づくほど温度が上がった。管理区域内では必ず手袋、防護服が必要で、飲食もトイレも駄目。身に着けた物はすべて下着もいちいち着替えて、撮影後に出るときも3つの検査ゲートで点検しないといけなかった。線量計も身につけて常に注意してもらっていましたが、怖かった。
印象的だったのは、内部で働いている作業員が、あたかも放射線が存在しないかのように普通に仕事をしていたこと。驚きというか変な感じがしました。作業員は原発の技術を100パーセント信用している。今まで何も起こったことがないし、もし何かあっても安全装置が何重にもあるので大丈夫だと。ハイテク技術の現場で働いているという誇りを感じたし、特別な場所で働く運命共同体という一体感もあった。
映画の封切り時に、協力してもらった作業員の方々を招きましたが、大半が納得して見ていました。この映画は原発に賛成、反対、どちらの立場にも見えるようです。
──11年秋には日本でも公開されました。
「解体作業の現場を初めて知った」という感想が多かったです。東日本大震災からまだ半年だったのに、理性的で中立的な撮り方だと評価してくれる声も多かった。また、日本の方々が脱原発に変遷していくドイツに憧れているような印象も持ちました。
「家族の中で原発に対する賛否で溝ができている」という話もよく聞きました。両親は原発容認だが子どもが反対。女性は反対、男性は容認が多いというような。それで昔のドイツを思い出しましたね。ドイツでも家族の中での原発に対する感情の違い、世代間のけんかがあった末、何十年もたって国全体が原発反対として動くようになった。
──フクシマから2年余。日本に対して何か助言はありますか。
科学者でも研究者でもないので難しいのですが、今後、日本が原発をどうしていくかは別として、すでに54基もあります。事故が示したのは今の安全対策ではいけないということ。特に古い原発はどんどん廃止すべきでしょうね。原発は技術的な建造物で耐用年数があり、いつまでも使えません。
ドイツから見ると、日本は電子機器も発展したハイテクな国のイメージがあるのですが、福島のニュースで映し出された原発内部の様子は1960年代当時の古い状態で驚きました。ドイツの原発技術者も、日本ではあんな古い技術をまだ使っているのかとびっくりしていました。ドイツで40年も動いている原発はありません。
スリーマイル島やチェルノブイリ事故が起きて、ドイツでは住民自身が原発の安全に対して厳しい視線を持つようになった。私自身、子ども時代に原発から約7キロの所に住んでいましたが、はっきり意識するようになったのはチェルノブイリの後から。放射能を含んだ雲がドイツに流れてきて、みんなが原発を自分の問題だと捉えるようになった。住民の厳しい視線が世の中を動かすんです。
──日本は事故当時の反原発運動は少し沈静化し、現政権は原発維持の方針です。
ドイツでは多くの人々が政治について関心を持っていますが、日本ではそれほどではない印象を受けます。でも、みんな、一人一人がどんな世界に生きたいかを決定する権利を持っているんですよ。原発を推進する世界を好むのか、そうでないのか。それぞれが考えるべきではないですか。
福島の事故を忘れてはいけません。繰り返し、何度も何度も思い起こすこと。事故が誰の責任で起こったのかを、はっきりさせることも大切。この問題を取り上げ続けていく勇気あるジャーナリストも必要でしょうし、国民はこのテーマから目をそらして忘れてはいけない。今が一番、原発廃止の方向に転換しやすい時期だとも思うんです。昔と違って、原発に代わる再生可能エネルギーの技術も発展しましたからね。
[フォルカー・ザッテル]
1970年、ドイツ南部のシュパイアー生まれ。少年時代から写真や映画に関心を持ち、バーデン・ベルテンベルク映画アカデミーで劇映画とドキュメンタリーを学び、都市や建築を題材にした映画を製作している。現在、コンラート・ボルフ映画テレビ大やケルン・メディア芸術大の客員講師。ベルリン在住。
映画「アンダー・コントロール」は、バイエルン州にあるグンドレミンゲン原発を中心に、原発を取り巻く現場を3年かけて取材、撮影した長編ドキュメンタリー。2011年2月にベルリン国際映画祭でプレミア上映され、同年秋には日本でも公開されて反響を呼んだ。
今年3月に日本語版のDVDが発売されたほか、4月には同題の写真集がドイツで出版された。1〜4月、国立京都国際会館のドキュメンタリーを撮るために京都に滞在した。
─インタビューを終えて─
原発の内部はどうなっているんだろう?ザッテルさんの作品はそんな素朴な疑問に答えてくれた。使用済み核燃料のプール、放射性廃棄物の貯蔵施設、廃炉した施設の解体作業…。映像は淡々と、時には美的にさえ捉え、資料写真とは全く異なるリアリティーと迫力を持っていた。「原発事業の内外の事実や廃炉後の問題をいろんな立場の人に感覚的に伝えたかった」とザッテさんは言う。
放射性廃棄物の問題の深刻さを再認識するとともに、夢のエネルギー技術と期待されながら衰退していくドイツの原発産業の悲哀も印象に残った。
2013年5月12日 東京新聞朝刊 [あの人に迫る]より
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