★阿修羅♪ > 原発・フッ素31 > 499.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
アメリカの原子力政策は20年程度の未来を見て決められている。
http://www.asyura2.com/13/genpatu31/msg/499.html
投稿者 taked4700 日時 2013 年 5 月 08 日 03:35:27: 9XFNe/BiX575U
 

以前から書こうと思っていたのですが、なかなか資料集めがうまく行かず、本格的に記事にすることができませんでした。しかし、簡単でも記事としてまとめておいた方がいいだろうと思い、ここに書いておこうと思います。自分の述べておきたいことは考察の部分です。この記事の後半にあります。

まず、時系列でアメリカの原爆・原発の歴史です。次に日本での出来事を幾つか簡単に列挙します。

1.ナチス・ドイツが先に核兵器を保有することを恐れた亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらが、1939年、同じ亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名を借りてルーズベルト大統領に信書を送ったことがアメリカ政府の核開発への動きをうながす最初のものとなった。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%B3%E8%A8%88%E7%94%BB )

2.1943年、エンリコ・フェルミらは X-10 Graphite Reactor と呼ばれる世界初の実用原子炉を完成させ、プルトニウムの生産が可能となった。これは、フェルミらがシカゴ大学で1942年に行った研究に基づいたもので、彼らは1942年12月2日に実験用原子炉シカゴ・パイル1号を完成させていた。X-10 でプルトニウム生産が可能になると、より大規模な施設がワシントン州ハンフォード・サイトに建設され、そこで1945年8月に長崎市に投下された核兵器 "ファットマン" で使われたプルトニウムが生産されたのである。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80 )

3.1946年や1949年にプルトニウム生産炉があったハンフォードサイトが位置するワシントン州でマグニチュード7.3、7.0の地震が起こる。( http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/states/washington/history.php )これはハンフォードサイトから離れたところが震源だが、アメリカの地盤は日本に比べると格段に硬く、地震の揺れ、それも縦揺れの影響が広大な地域へ伝わる。ワシントン州はカリフォルニア州の上に位置し、アメリカ西部なのでアメリカの中では地盤が割れてもろくなっている。ニューヨークがあるアメリカ東部は西部よりももっと地盤が硬い。ともかく、この地震でハンフォードの原子炉が被害を受けた可能性が強い。

4.平和のための原子力(へいわのためのげんしりょく。(英語: Atoms for Peace))とは、アメリカ合衆国のドワイト・D・アイゼンハワー大統領が、1953年12月8日にニューヨークの国際連合総会で行った演説で提唱した、核に対する考え方である。核の平和利用(かくのへいわりよう)ともいう。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B )

5.シッピングポート原子力発電所(シッピングポートげんしりょくはつでんしょ、英語:Shippingport Atomic Power Station)は、ペンシルベニア州オハイオ川沿岸に位置する原子力発電所。ピッツバーグから直線距離で約40km。世界で初めて平和的な目的で建設された核施設として知られている。1954年9月6日に建設、1958年5月26日に操業を開始し、1982年10月1日に操業を終了した。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80 )

6.プライス・アンダーソン法(プライス・アンダーソンほう、Price–Anderson Nuclear Industries Indemnity Act)は、1957年9月に成立したアメリカ合衆国の法律。原子力法の一部改正により原子力損害賠償制度を確立した。
原子力事故の際の事業者の責任は約102億ドルを上限とする有限責任とされる。102億ドルの内訳は、第1次損害賠償措置として責任保険による3億ドルと、第2次損害賠償措置として事業者間相互扶助制度(1原子炉・1原子力事故あたり最大9580万ドルの遡及保険料が全ての原子力事業者から徴収される)による約99億ドルとである。損害額が責任限度額(約102億ドル)を超える場合は、大統領が議会に補償計画を提出し、議会が必要な行動をとることになっている。免責事由は、戦争のみとされている。この法律ができたことが契機となり、日本で1961年6月、原子力損害の賠償に関する法律が制定されることになった。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E6%B3%95 )

7.1973年原子炉発注のピーク(41基)。74年(28基)。これ以降2〜4基に( http://simlabo.main.jp/simrepo/r038.htm )

8.1978年 公営事業規制政策法(PURPA)成立
 ・エネルギー保全と独占支配の打破をめざす(規制緩和)
 ・電気事業者に独立発電者からの買電を義務づける
 ・分散型電源の育成
 ⇒小規模発電事業者が増え、風力などに注目が集まる
 ⇒コージェネレーションの本格利用化
原子炉発注が大手、中小、公営に関わらず事実上ゼロに
( http://simlabo.main.jp/simrepo/r038.htm )

9.スリーマイル島原子力発電所事故(スリーマイルとうげんしりょくはつでんしょじこ)は、1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85 ) この事故以降、アメリカ国内での原子炉の新規着工は一基もない。1980年代に運転開始をした原発がかなりあるが、どれもスリーマイル島原発事故前に工事開始をしていたもの。こういったことがあるため、アメリカの原発は日本のものよりも古いものが多い。日本は1990年代に新規着工したものもある。

10.ユッカマウンテン放射性廃棄物処分場。この地が1987年に高レベル放射性廃棄物処分場の唯一の候補地と決定されて以来、約90億ドルの費用をかけて建設が進められてきたが、2009年、バラク・オバマ政権は計画中止を決定。これにより同国の使用済み核燃料の最終的な行き場所のあてがなくなり、さまざまな代替案が検討されている。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E5%BB%83%E6%A3%84%E7%89%A9%E5%87%A6%E5%88%86%E5%A0%B4 )

次に、日本での原発を巡る動きを幾つかあげます。

11.1954年(昭和29年)3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80 )


12.日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日で、東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電を行った。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80 )


13.電源三法は、1974年に田中角栄総理のときにつくられた法律です。
電源三法とは、
電源開発促進税法
電源開発促進対策特別会計法
発電用施設周辺地域整備法
の3つの法律の総称。
電源三法の目的は、原発を受け入れる自治体に多くの補助金を交付することで原発建設を促進することだと言われています。
財源の一部は電気料金です。
電源開発促進税
東京電力管内の標準的家庭の電気料金の場合、6650円のうち116円が徴収されています。年間にすると、1392円を負担していることになります。この交付金は資源エネルギー庁が発表しているモデルケースによると原発1基あたりの交付金で、
建設から運転開始までの10年間:約450億円
運転開始から35年間:約750億円
総額:約1200億円
となっています。
( http://money.smart-ness.net/909.html )

***********

ここから、考察です。

まず、スリーマイル島原発事故が起こったのは1979年です。この時点で、日本では電源三法が成立しています。前年である1973年の石油ショックがきっかけでした。石油ショックはオペックの石油値上げがあったためです。オペックによる石油値上げはもともと、リビアのカダフィ大佐によるリビア石油の国営化と石油値上げがきっかけでした。

リビアのカダフィ大佐による革命の様子が「カダフィ正伝」平田伊都子 集英社 に書かれています。これを読むと、アメリカやイギリスの諜報組織がまるでカダフィによる革命を誘導していた、少なくとも黙認していた様子が分かります。そして、革命後の英米軍のリビア国内からの撤退やリビア産原油の値上げなどもたいした抵抗なく行われるのです。1969年にリビア革命が行われ、その後、すぐに栄米軍基地のリビア国内からの撤去が行われ、1971年にはBPが持っていたサリール油田の国有化に踏み切ります。1973年にはリビア国内で操業する石油メージャー5社の株式の51%を取得し国有化します。こういった国有化の前は1バレル1.5ドルであった価格が1973年の時点で12ドルにまでなっていたと書かれています。これを見て、サウジアラビアなどがやはり石油の値上げを言い出し、それが1973年末のオイルショックへつながったのです。重要なことは、1965年にはカダフィによるリビア革命を英米の諜報機関が予期していたことです。

 つまり、アメリカはソ連との冷戦があったためどうしても原爆を保持したかったのです。しかし、1946年から1949年頃までに原子炉が地震被害を被る事例があったのでしょう。もともと使用済み核燃料は放射能が数万年以上残るため、そしてほとんどが重金属毒性を永遠に持つため、アメリカのような大陸部分へ地層処分することはできないと分かっていたはずです。そこで、いろいろ考えたはずです。原子爆弾を保持するためにプルトニウムはほしいが、核廃棄物は危険でアメリカ国内で保管できない。更に、原子炉が地震で被害を受ける可能性もある。これをどう解決するか。その答えが1954年の原子力の平和利用宣言であったわけです。この宣言の狙いは、原子爆弾保有による放射能汚染を平和利用と言うきれいごとで隠すことと、先進国(第2次世界大戦の戦勝国)以外に平和利用目的の原子炉を広め、地震で壊れた結果その国の国土が放射能汚染されて、その国土を世界中の核廃棄物処分場にすることにありました。アメリカ国内の原子炉が地震で壊れることについては地震がよく起こる西部には原則原発を造らないことで対応したわけです。

 よって、原子力の平和利用宣言をした時点で、問題は次の二つありました。もともと見せかけである原子力発電所の建設を西側先進国でいつ止めるか、そして、ターゲットとした国でどう原子力発電所を造らせ、原発事故へ誘導するかの二つです。

 まず、西側先進国で原子力発電所の新設をいつ止めるかです。これはまさにスリーマイル島原発事故です。1979年に起こったのですが、そのほぼ同じ時期にアメリカ国内だけではなく世界中でチャイナシンドロームという原発事故を扱ったハリウッド映画が上映され、多くの西側諸国で反原発運動が起こされてい行きました。スリーマイル島原発事故は運転ミスで起こったとされ、軽微な放射性ヨウ素漏れがあったとされましたが半減期が30年のセシウムの環境中への漏れはなかったとされたのです。本当に事故があったのかどうかの検証はできない形でほぼ事故が起こっていることに注意する必要があります。

 アメリカ国内ではスリーマイル島原発事故の前年である1978年に公営事業規制政策法(PURPA)が成立していて、この時点でほぼ新規原発建設計画が無くなっています。多分、この時期に安全規制も強化されているのだと思います。実際、アメリカ合衆国原子力規制委員会はそれまであった組織が廃止されて、代わりに、1975年にできたものです。

 ヨーロッパでの原発新規建設は当然スリーマイル島原発事故を受けてかなり減少します。地震国であるイタリアは1978年に運転開始をした原発が最新のものですから、まさしくスリーマイル島原発事故後は一切新規着工をしていないことになります。同様にスェーデンでももっとも新しい原発の運転開始が1985年、イギリスは1989年ですから、スリーマイル島原発事故を受けて新規工事が止まったわけです。なお、フランスはスリーマイル島原発事故以降に運転開始をした原発が20基程度ある様子です。しかし、フランスでもっとも新しい原発であるシヴォーでも「1980年にシヴォーに原子力発電所の建設が決定」( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80 )ということですから、やはりスリーマイル島原発事故で新規建設が止まったとしてよさそうです。

 次に日本ではどうであったでしょうか。

 日本では戦後すぐにGHQによる占領が始まりました。戦後すぐの政策は二度と戦争ができない三流国にするというものであった様子です。そのため、財閥解体とか農地改革が行われました。どちらも資本の蓄積・集中をさせないためのものでした。貧乏人ばかりの平等な社会を作らせようとしていたとも言えるはずです。しかし、この政策はすぐに変更されます。その最初の兆しは1949年、GHQによる日本発送電という日本の国策電力会社の「全国7地域への分割・民営化案」です。これにより、日本全国に原発がくまなく作られるという仕組みがほぼ出来上がったわけです。なお、この時期に東・西日本の周波数統一もGHQにより取りやめさせられています。

 電力会社が地域ごとに分散したので、次は工業化を進めればいいわけです。その第一歩が朝鮮戦争でした。「南北の軍事バランスは北側が優勢であり、朝鮮半島の統一支配を目指す北朝鮮は1950年6月、韓国軍主力が半島南部に移動していた機を見て、防御が手薄となっていた国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切った」ということで、北に隙を見せて攻めさせる手法は湾岸戦争でイラクにクエート信仰をさせたものと同じです。

 その後、原子力の平和利用宣言が1954年にされ、日本では中曽根康弘氏が中心になり、原発導入を進めます。ただ、日本は原爆による被曝の経験があり、そのため思ったほど原発導入の機運が盛り上がりませんでした。そこで石油の値上がりが考えられ、リビアのカダフィ大佐によるリビア革命の黙認が行われるのです。単に西欧勢力によって石油値上げをやってしまえば原発へ誘導していると思われてしまいますから、10年程度の時間をかけ、カダフィ大佐によってリビア石油の国有化と値上げをさせたわけです。そして、原油値上がりを見て日本はさっそく電源三法という金で原発誘致をさせる手法を作るわけです。

 興味深いことに、日本ではスリーマイル島原発事故後も全く原発新設の動きにブレーキがかかりませんでした。スリーマイル島原発事故があった1979年から10年経過した後の1990年以降に運転開始をした原発だけで次に挙げるように20基もあるのです。54基中20基がほぼ西欧先進国では原発が造られなくなってから商業運転をしているのですから、いかに日本が資源の無さを原発で補うしかないという状態に誘導されていたかが分かるでしょう。そして、その有力な推進力が電源三法でした。

柏崎刈羽原発
2号機 (KK-2)沸騰水型軽水炉 (BWR)1990年9月28日
3号機 (KK-3)沸騰水型軽水炉 (BWR)1993年8月11日
4号機 (KK-4)沸騰水型軽水炉 (BWR)1994年8月11日
5号機 (KK-5)沸騰水型軽水炉 (BWR)1990年4月10日
6号機 (KK-6)改良型沸騰水型軽水炉 (ABWR)1996年11月7日
7号機 (KK-7)改良型沸騰水型軽水炉 (ABWR)1997年7月2日

北海道電力泊原発
2号機加圧水型軽水炉1991年4月12日
3号機加圧水型軽水炉2009年12月22日

東北電力東通原子力発電所
東北電力1号機沸騰水型軽水炉 (BWR)2005年12月8日

女川原子力発電所
2号機沸騰水型軽水炉1995年7月28日
3号機沸騰水型軽水炉2002年1月30日

中部電力浜岡原子力発電所
4号機BWR 1993年9月3日
5号機改良型沸騰水型(ABWR)2005年1月18日

北陸電力志賀原子力発電所
1号機沸騰水型軽水炉1993年7月30日
2号機改良型沸騰水型(ABWR)2006年3月15日

関西電力大飯発電所
3号機加圧水型軽水炉1991年12月18日
4号機加圧水型軽水炉1993年2月2日

四国電力伊方発電所
3号機PWR1994年12月15日

九州電力玄海原子力発電所
3号機加圧水型軽水炉(PWR)1994年3月18日
4号機加圧水型軽水炉(PWR)1997年7月25日

 なお、日本には本来原子力に負けない、または原子力よりもよっぽどすぐれたエネルギー資源があったのです。それは地熱でした。しかし、1997年、東電OL殺人事件が発生し、新エネルギーとしての補助金対象から地熱は外されてしまいます。それ以降ほとんど地熱開発は進んでいません。1995年の阪神大震災を見て原発の危険性を指摘されていた東電OL殺人事件の被害者の方は徹底的に人格を貶められ、未だ名誉回復の動きはありません。そして、その裏返しとして日本における脱原発の動きはほぼ消え去ろうとしているのです。また、地熱発電の大規模開発の動きもほとんど出てきません。

 どうでしょうか。アメリカによる原発政策。それが10年とか20年と言うスパンで行われていることを分かっていただけたでしょうか。日本において1949年に政策転換をし、本格的に原発導入へ動きが出てくる1974年までに20年以上の年月がかかっているのです。

 しかし、本来、アメリカによる原発政策は矛盾だらけでした。本来、始末のしようがない高レベル核廃棄物を地層処分すればいいとしてきたのですから、自分の頭で考えてそれが大陸にはとても無理だし、日本のような地震頻発国にもむりだと判断をすればよかったのです。

 アメリカの間違えは、低線量被曝の影響を軽く見ていて、地震頻発国の日本であっても地中に埋めてしまえばそう簡単には大気中や海洋には放射能漏れが起こらない、または起こったとしてもたいしたことはないと考えてしまったことにありました。ところが1986年のチェルノブイリ事故の影響が20年以上経過してもさっぱり軽減しないことを見て、低線量被曝の影響の深刻さに改めて気が付き、今の事態のどうしようもなさに困惑しているはずです。しかし、それでもアメリカは自国の脱原発はどんどん進めています。それはシェールガス開発に名を借りた天然ガス価格の低下と高温岩体発電の準備です。シェールガス開発の主要技術である水平掘り、水圧破砕はともに高温岩体発電で使うのです。

 日本はアメリカに比べると高温岩体発電をずっと簡単に広範囲で導入可能です。今地熱発電を大規模に導入しなければもう日本には未来はないはずですが、それでもなかなか進まないのが今の日本の状況の深刻さをよく表しています。

 
財閥解体:日本では、1945年より1952年にかけて行われた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策の1つ。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E9%96%A5%E8%A7%A3%E4%BD%93 )

朝鮮戦争:米ソの対立を背景に、南部は大韓民国、北部は北朝鮮として建国した。南北の軍事バランスは北側が優勢であり、朝鮮半島の統一支配を目指す北朝鮮は1950年6月、韓国軍主力が半島南部に移動していた機を見て、防御が手薄となっていた国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切った。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89 )

日本発送電:GHQはこうした政府の対応に不満であり、早急な再編成を求めた。そして1949年(昭和24年)5月に開かれた集中排除審査委員会で決定した全国7地域への分割・民営化案をGHQ案とし、9月にはこの案を基礎にしてさらに商工省電力局から電力会社への管理権能を剥脱し、経営には関与しない調整機関の設置を行うという二つの項目を政府に対し強硬に求めた。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%99%BA%E9%80%81%E9%9B%BB )

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2013年5月08日 07:35:45 : BE8BdZseiM
>1954年の原子力の平和利用宣言であったわけです。この宣言の狙いは、原子爆弾保有による放射能汚染を平和利用と言うきれいごとで隠すことと、先進国(第2次世界大戦の戦勝国)以外に平和利用目的の原子炉を広め、地震で壊れた結果その国の国土が放射能汚染されて、その国土を世界中の核廃棄物処分場にすることにありました。

違う
ダレスとか、もっと悪魔的な人物。直線的な馬鹿で冷血漢。欲望のままに動く
核廃棄物どうこうなんて事は、頭にはなったはず

ちょうどオリバー・ストーンのアメリカ史でアイゼンハワーと冷戦の回があったところだから、オンデマンドか再放送で見て味噌

低線量被曝のデータも早くから持っていたはず
持ってないはずがない
アメリカはそういう段階では、ちゃんと仕事する
CIAや軍の分析力も相当なもの
だが政策に反映されない
既得権益者の利益が優先されるから

GHQの統治方針の変化は、日本を反共の砦にしたかっただけだし
オイルショックの原因は第四次中東戦争
カダフィにアメリカの後ろ盾があったのならキューバのカストロもか?
無理があり過ぎる

================================
>アメリカの原子力政策は20年程度の未来を見て決められている。

違う
アメリカのすべての政策は、目先の利益の追求のみで決められている


02. 2013年5月08日 08:45:45 : QPsgXrQrUc
大統領の任期は4年。2期続ける大統領も多いだろう。一方、日本。ここ20年の間、首相は何回変わった?20年先、わかるわけないだろ。
個人的にはひとりの首相に20年治められるよりもコロコロ首相が変わる衆愚政治の方がマシだと思っているが。

03. 2013年5月08日 10:41:16 : 7OpGsifAXA
黒部ダムの高熱隧道、あれを放置している理由やいかに

04. 2013年5月09日 19:30:57 : nJF6kGWndY
焦点:トルコが目指す自前の原子力産業、人材育成が鍵
2013年 05月 9日 15:10 JST

為替フォーラム
コラム:アベノミクス成長戦略に「異次元」は必要か=熊野英生氏
アングル:みずほコーポが長プラ引き上げ、異次元緩和で金利は上昇
焦点:破綻債権ファンドが狙うデトロイト市、地方政府に照準移す
4月の中国CPIは前年比+2.4%:識者はこうみる

[アンカラ 8日 ロイター] トルコ政府は国内2カ所に初めて建設する原子力発電所を海外勢に発注したが、石油・ガス輸入への依存を減らすため、今後10年で自前の原子力産業を育成したい考えだ。

人口7600万人のトルコではエネルギー不足の問題が深刻化。先週には、日本とフランスの企業連合が黒海沿岸のシノプにトルコ国内2カ所目となる原発を建設することが決まった。

建設予定の1カ所目はロシアのロスアトムが手掛け、2019年の稼働開始を目指している。トルコは今後10年で英国を追い抜き、欧州で3番目のエネルギー消費国となる見通し。エネルギーの輸入依存度を引き下げることが課題となっている。

自前の原子力産業育成はそうした戦略の一環。政府は3カ所目の原発を建設するまでに、国内の人材や自国の技術で計画を主導できるような体制を整えることを目指している。

トルコのユルドゥズ・エネルギー天然資源相は3カ所目の原発建設について、資金面では海外勢が参画する可能性はあるものの、エンジニアリングや技術という点で国内勢が占める割合を80─85%とすることを目指していると表明した。

「原子力分野での経験を積むために、3カ所目の原発建設を待っている。国外のパートナーと組むが、3カ所目は建設と運営を委ねるようなものにはならない」と述べ、トルコ自身が原発の運営を手掛ける意向を明確にした。

シノプでは三菱重工(7011.T: 株価, ニュース, レポート)や伊藤忠商事(8001.T: 株価, ニュース, レポート)が出力4800メガワットの原発を建設し、仏GDFスエズ(GSZ.PA: 株価, 企業情報, レポート)が運営を担当。仏アレバ(AREVA.PA: 株価, 企業情報, レポート)の合弁会社アトメア製の原子炉が採用される見通し。

<人材育成が鍵>

日本の福島第1原発事故を受けて世界中で原子力政策を見直す動きが広がる中、有能な人材育成と明確な戦略設定が、トルコの計画の中核になるはずだとアナリストは指摘する。

米シンクタンクのブルッキングス研究所は、トルコやヨルダン、アラブ首長国連邦(UAE)の原発計画を比較した昨年末の報告書で、2011年の福島第1原発の事故は、この分野での技術的、人的な失敗がもたらすものを露呈したと指摘。

専門家によると、UAEは国内での人材育成に対してより包括的なアプローチを取っている一方、トルコは原子力科学の分野での実績がより豊富という優位性がある。

ブルッキングス研究所の報告書の著者の1人であるジョン・バンクス氏は、トルコは、急いで人材を育成する必要があるとの見方を示した。初めの2カ所に設置される予定の原子炉はこれまでに試されたことがない、新たな設計だと指摘している。

日本とトルコとの合意では、原子力分野での職業訓練を行うために専門学校や大学を設立することが想定されている。またロスアトムとの契約でも、毎年100人の学生がロシアで訓練を受けることになっており、このプログラムは今年5000人超の応募があったという。

次世代の原子力エンジニア育成を目指し、トルコはシノプ近郊に大学や専門学校を建設する準備を進めている。

(Humeyra Pamuk記者/Orhan Coskun記者;翻訳 青山敦子;編集 山川薫)
 
関連ニュース

日・トルコが原子力協定で合意、三菱重工など黒海沿岸に原発建設へ 2013年5月4日
トルコ、日仏企業連合受注の原発プロジェクトめぐり権益の一部売却へ 2013年5月6日
トルコ、日仏企業連合受注の原発プロジェクトめぐり権益の一部を売却へ=閣僚 2013年5月6日
日・トルコ、原子力協定で合意 三菱重工など黒海沿岸に原発建設へ 2013年5月4日


05. taked4700 2013年5月10日 07:13:12 : 9XFNe/BiX575U : XAUgs8pcxw
>>04

>米シンクタンクのブルッキングス研究所は、トルコやヨルダン、アラブ首長国連邦(UAE)の原発計画を比較した昨年末の報告書で、2011年の福島第1原発の事故は、この分野での技術的、人的な失敗がもたらすものを露呈したと指摘。

またまたアメリカが大嘘を吐いている。福島第一の事故が人的な失敗だと。確かに日本に原発を造ったという意味では人災だが、福島の事故自体は地震が原因だ。アメリカはでたらめばかりを言う。自国の短期的な利益のためなら大ウソをつくのがアメリカだ。その内アメリカのために地球が破滅する。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素31掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

アマゾンカンパ 楽天カンパ      ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素31掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧