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2013-04-19(Fri)
僕たちは何と闘っているのか
原発や放射能やTPPや消費税や、つぎつぎとトンデモナイものが押し寄せてくる。
とにかくそれに反対し、なにがしかの声を上げている人びとは、「闘っている」という実感を持っていることだろう。
だが、闘う以上は敵がある。敵が何なのか、どこにいるのか、何を考えているのか 分かっているのだろうか。
例えば原発。
原子力村という言い方がされる。テレビでも電力会社、官僚、政治家、御用学者などなど、それらしい面々が映る。こいつらの利権のために原発は推進されているんだ。そう思って闘っている人も多いだろう。
でも、ちょっと考えてみよう。日本国内の原発を止めたら、連中の食い扶持は本当になくなるのか?
たしかに、税金だけでも年間数千億円、さらに総括原価方式による電気料という名目で原発存在料を国民からいくらでも吸い上げることのできる「原発」という化け物は、その利権に与るものにとっては、天上の甘露であり、命より美味しい麻薬だということは、多くの人の指摘するとおりである。
原発という麻薬を口にした者達は、人間性を破壊され、理性を失い自分にとっての利害すら冷静に判断することができなくなっている。その気になれば、他の方法で同様の利権をむさぼることもできるのに、もう「原発」以外には何も考えられなくなっている。
いわゆる「原子力村の住人」というのは、ほとんどがこうした化け物たちである。
しかし、私は不思議に思うのである。
中長期の見通しも立てられないこうした麻薬患者が、本当に原発推進の大本営なのだろうか? と。
利益だけなら、必ずしも原発ではなくても吸い上げる方法はいくらでもある。
太陽電池であろうと、ガスコンバインドであろうと、あくどい連中が結託してあくどいカネの算段をすれば、同じような利権を構築することは、充分にできる。
どうしても原発で儲けたいむきには、輸出という「明るい未来」が開けている。
事実、事故直後の菅政権下において、こちらの方向に進みかけた時期もあった。
目の前の麻薬しか目に入らない連中は、切り捨てられるかに見えた。
実を言えば、2011年の後半には、私はかなりの確率で脱原発は実現するのではないかと思っていた。他でどんなに利権をむさぼられようと、とりあえず原発が止まるのなら、止まらないよりはいいと考えていた。
ところが、その後の野田政権では、原発中毒患者が息を吹き返し、日本の「原子力中毒村」は存続が決まった。
20万人からの人々が首相官邸や国会を取り囲むという、戦後史に特記すべき事態に対しても、「大きな音だね」とうそぶく野田政権は、自らの党がボロボロになることも省みず、一切動揺することなく原子力中毒村を復活させた。
この様子を見ていて、私は自分の認識が甘かったことを思い知った。
原発を、日本の原子力を動かしているのは、まったく別の力が働いている。そのことに、遅まきながら気がついた。
■■
逆から考えれば、実は簡単なことだったのである。
日本の原発を全て止めて、脱原発を宣言したときに、一番困るのは何なのか。
それは、誰が「日米原子力協定を破棄するのか」ということ。
5年後に更新期限を迎える日米原子力協定。これがある限り、日本が勝手に「原発やめました」とは言えないのである。
日米地位協定を残したまま「米軍基地は無くします」とは絶対に言えないのと同じことだ。
もちろん、形式的には5年後の更新時の半年前に事前通告すれば、日米原子力協定は破棄することはできる。5年間は使いもしないウランを買い続けたり、いろいろと矛盾もあるが、形式的には不可能ではない。
また、オバマ政権は基本的には原発に消極的だ。核軍縮も進めている。だったら、日米原子力協定だって止められるのではないか。そのようにも見える。
それは、日米原子力協定が何のためにあるのか、ということを見ない議論になってしまう。
原子力というからわかりにくい。Nuclear 核 である。
原子力発電についての協定ではなく、米国の核戦略にかかわる協定なのである。
要点中の要点を抽出するならば
@日本の核は米国が管理する
A日本では再処理によってプルトニウムを製造・貯蔵すべし
という2点に尽きる。
@は米国にすれば当然の話ではある。
では、Aのプルトニウムは何なのだろうか。
米国にとってのプルトニウムとは、自らの核武装に無くてはならぬものであると同時に、あまりの危険性ゆえに、できれば自分では持っておきたくない地獄の門番なのでる。
米国も最初は自国内で使用済み燃料からプルトニウムを作る再処理を試みたが、余りの危険性と費用の増大に1970年代には放棄してしまった。
そこで考えたのが、遠くはなれた属国で、使用済み燃料からプルトニウムを作らせて、貯蔵させておこうという戦略である。
日本は、自分では原子力発電をやっているつもりかもしれないが、実際は、米国の核原料貯蔵庫であり、再処理実験場であり続けてきたのである。
その日本が、自分の都合で、原発辞めます とは言えない、言わせてもらえないのだ。
■■
ただ、プルトニウムについては近年は少々事情が変わっている。
ソ連崩壊後は実際に核軍縮をやっているので、プルトニウムは余っている。むしろ、解体した核弾頭から取り出したプルトニウムの処分に困っている。
現在、兵器級(高純度)のプルトニウムが250トンくらい在庫されているらしい。
そこで、再処理よりも重要視されているのが、プルサーマルである。
核兵器用に製造されて、今処分に困っている高濃縮ウランとプルトニウムを、原子炉の燃料として使用すれば、100万kW電気出力軽水炉50基を100年以上にわたって運転できるらしい。
事実、現在日本で再稼働が準備されている原子炉は、プルサーマルを燃やすところばかりだ。
すでにフランスからMOX燃料が運び込まれ、9月にも再稼働と言われている高浜原発。
安全基準を「満たしている」という触れ込みで、再稼働一番乗りと言われてきた伊方原発と玄海原発。
今年中の再稼働を目指すという 北海道の泊原発。
どれもこれも、プルサーマルでプルトニウムを燃やす原子炉ばかりだ。
もし、再処理もプルサーマルも嫌だ と言うとどういうことになるか。
日本は、使いもしないプルトニウムを大量に保有する国として、イランのように核開発国の扱いを受け、恫喝される。日本の役人が、万に一つもそのようなことをするとは思えないが、何かの間違いで言ったとしても、一瞬でしっぽを巻いて恭順の意を表するのは間違いない。
もちろん、米国にも原発はあるのだから、そっちで燃やせばいいじゃないかと思うかもしれない。
でも、それは無理。余りにも危険なプルトニウムは、米国は自国内で使用することを禁止しているからだ。
普天間飛行場やオスプレイでも同じだが、自国では危険すぎるものを、属国に押しつけるのは米国の基本政策だ。
日本はこうして、プルトニウムを燃やす原子炉のショールームになったのである。
危なくて自国内には置いておけない。
けれども、米国に楯突く危険のある国には、これはこれで危なくて置いておけない。
そう考えたとき、世界中を見渡しても、日本以外にプルトニウム置き場は他にない。
本国から遠い。米国に超従順。保管しておくためのカネもある。技術水準も申し分ない。国民は羊のようにおとなしい。
こんな場所がどこか他にあるなら、オバマ君に教えてあげてほしい。
■■
福島の爆発を目の当たりにしてもなお、何が何でも原発を推進する本当の力学は、このような米国の核戦略にある。
核中毒患者の「原子力村」の住人の多くは、シャブ漬けになって嬉々として働いているに過ぎない。(だからと言って、免罪はされないが)
では、米国を始め、これまで核の力で生きてきた者たちが、何よりも一番ほしがっているものは何だろうか。プルトニウムの「有効活用」もさることながら、それよりももっと欲しがっているものは何だろうか。
それは、言うまでもなく 「核の墓場」だ。
いくらプルトニウムを燃やそうが、使用済み燃料を再処理しようが、どうやっても絶対に逃れられないのが「核のゴミ」「死の灰」の処分である。
最後の最後は、大量の死の灰をどうにかしなければならない。
そして、核大国アメリカにも、原発の国フランスにも、どこにも死の灰を捨てる場所はない。
唯一、フィンランドのオルキルオト原発付近にトンネルが掘られているが、処分場としての稼働予定は2020年であるし、他国の核ゴミを受け入れる予定はもちろんない。
末端の核ジャンキーは何も考えていないだろうが、核戦略を本気で考えてきた連中が、まったく核ゴミのことを考えてこなかったとは、私には思えない。
この世界の何処かで処分しなければならないとすれば、他のどこでもなく、日本という属国の管理下で処分場をもうけることが、極めて合理的な判断になるはずなのだ。
これについては、3.11の直後に2本の記事を書いたので、もし読んでいない人や、そんな訳ないだろ と思われる方は、少々長いが読んでみていただきたい。
原発推進の正体は「日本列島を核の墓場にする計画」だったのではないか
「フクシマを核処分場にする計画」を改めて検証してみる
書いている私とて、こんなこと信じたくないので、反論してもらえるものならしてほしいのだけれども、これまでちゃんとした反論をしてもらったことがない。
敵をバカにしたり揶揄したりして溜飲を下げるのも悪くはないが、本当の敵はバカでも愚かでもない。
ウルトラに優秀で冷酷なヤツらがいる。そのことを、見えないフリをするわけにはいかない。
■■
そうやって考えてくると、福島原発の爆発でばらまかれた放射能を、なんで放置するのか。それどころか、あえて拡散し、安全安全と喧伝し、被曝者を増やしているのか。
その理由が見えてくる。
反対じゃないのか?と思うかもしれない。核ゴミの処分場にするなら、「危険だ」と言って住民をさっさと立ち退きさせた方がいい。でも、国や福島県がやっているのは、「安全だ」「帰ってこい」「復興だ」の大合唱だ。これでは、悠々と核ゴミ捨て場を作ることができないじゃないか。
そのように見えるかもしれない。
まず最初に確認しておきたいのは、山下俊一をはじめ、被曝を強要する面々はチェルノブイリを知り尽くしているということだ。
「知らないから」とか、「学んでいない」とか、そういう理由で放射能を放置し、被曝を強要しているのではない。知り尽くしているから、どうなるか分かっているから、あえてその結果を出すためにやっている。
やつらは、大量の被曝障害を作り出すために、放射能を放置し被曝を強要しているのである。
完全なる確信犯であり、もしここが法治国家だったならば、殺人罪に問われるはずの行為なのだ。
決して過失致死ではない。そのことを知っておいてもらいたい。
ではなぜ、そのようなことをするのか。
補償を少なくするためか?
原発の安全神話を続けるためか?
たしかに、ここ数年に限ってみればそのような効果はあるだろう。
補償を値切りに値切って、避難の費用もかけず、勝手に病気になっても知らんふりしている間は、国と東電は最少の費用で逃げ切れる。
チェルノブイリでは、ソ連は当初それを目論んだ。
しかし、余りにも激発する被曝被害は、ついにはソ連崩壊の一因にすらなったと言われ、5年後にはチェルノブイリ法の制定に至っている。
日本でも、5年後にはどうやっても誤魔化しようのない事態になるのは、チェルノブイリを研究し尽くした山下俊一らには自明のことなのだ。
だから、私は、連中が補償を逃げ切るためだけに被曝強要を続けているとは思えないのである。
ちなみに、除染の利権のためではないか、という意見もある。
効果の見込めない除染にまで巨額の予算をつけて、ゼネコンがボロ儲けしているというのは事実のようだ。除染の予算で、福島県民は全員避難できるという指摘もある。
ただ、気をつけておきたいのは、利権というのはどのような形態であっても発生し、作ることができると言うことだ。避難であったとしても、新しい街を作る土地探しから土木工事に始まって、その気になれば超巨大な利権をつくることができる。たぶん、除染なんて比じゃないくらい。
それでもいいから、避難させてほしいと私は願うけれども、実際は、なんとしても被曝障害を激発させずにおくものかという、執念さえ感じる国や県の対応である。
もしチェルノブイリと同じように、5年後、10年後に避難させたとすると、直後に対応するよりも明らかに大きな費用がかかる。それよりは、早いうちに最低限の補償で手打ちして避難させた方が、国にとっても東電にとっても得策のはずなのだ。
「心配な人は逃げなさいよ。因果関係は証明できないけど、ちょっとだけなら補償してあげますよ。それで逃げなかった人は、後で文句言っても補償しませんよ。」
避難区域以外は、こうするのが最少の費用ですませる方法のはずなのだ。しかし、国も県も、何が何でも避難を否定し、帰還と復興の旗を振りながら被曝を強要する。
■■
帰還と復興は、心情的には住民自身の願いでもある。
騙されていると言うだけではなく、自然な感情として「家に帰りたい」「以前の暮らしを取りもどしたい」と思うのは当然だ。
福島を核処分場にする計画にとって、もっとも邪魔なのは、こうした住民の感情だ。
これに対して、頭ごなしに「復興なんて無理だ、出て行け」と言っても簡単には通用しない。むしろ、土着的保守的な人びとを敵に回す結果になる。
それを避け、いかにして処分場を確保するのか。これまで、世界中で失敗し続けてきた核の墓場の用地確保。これを、どうやったら福島で実現することができるのか。
原子力マフィアの本当の上層部は、そう発想したはずだ。
そして出した結論が、「被爆被害を激発させる」ということだった。
心情的に帰還と復興を願う人びとに寄り添うかのように見せながら、被爆被害を積極的に作り出し、5年後にはビックリするような悲惨な結果を発表する。
その時には、山下俊一らの被曝強要班は舞台を退き何処かへ逃げ去っている。入れ替わった立ち退き強制班が、「この被害は帰還を望んだ人たちが悪い」と言わんばかりに、住民の強制立ち退きを進めていく。
「皆さんが帰還と復興を願うなんて言うものだから、除染を始め全力を尽くしてきましたが、このような結果になってしまいました。かくなる上は、全員移住していただくしかありません。ちょっとだけなら補償もしてあげます。それでも移住しない人は、勝手に病気になって死んで下さい。」
ご本人は良かれと思って復興だ帰還だとがんばっている人たちは、結局、被曝障害を作るお先棒を担がされた挙げ句、使い捨てにされる。
昨日まで故郷の英雄扱いされた人たちが、まるで被曝障害を作り出した張本人かのように誹られ、絶望のどん底に落とされる。
放射能をバラマキ、放置し、被曝を強制してきた本当の張本人どもが、ほおかぶりして正体を隠し、復興しようと努力してきた人たちを悪の権化のように叩き始める。
■■
放射能を避けて避難したいと思う気持ちも、できることなら福島で暮らしを取り戻したいと思う気持ちも、どちらも当然の気持ちだ。
その矛盾を利用して、黒幕の自分たちは無傷のまま、被曝地獄を作り出し、その恐怖で強制立ち退きをさせようというこの計画。鬼や悪魔が考えたのならばまだ救いがあるが、残念ながら同じ人間が考え、遂行している。
鬼も涙するようなことを考えつくのが、人間という生きものだ。そして、ほとんどの人々は 「まさかそこまでは」と言いながら犠牲になり、あるいは片棒を担がされていく。
まさに、地獄への道は善意に敷き詰められている のであるが、その舗装工事を計画しているのは、ゴリゴリの悪意に充ち満ちた連中なのである。
いくら性善説を唱える人でも、万人が性善であるとは言わないだろう。意識的なとことん悪人がいる。理性的でべらぼうに優秀な悪人がいる。
そのことを徹底的に肝に銘じないと、あなたの善意は悪路の敷石にされてしまうのだ。
TPPだって同じこと。
なんで3.11の直後から急速に推進に走り出したのか。
大量の放射能をばらまいてしまった日本の、「処分」を決定したからだ。
これまでは、米国は日本に対して、育てて食うという乳牛や鶏卵型の飼育をしてきた。それが、今世紀に入ってから徐々に、屠殺して食う肉牛型の飼育に転換してきた。育ててきたものを、収穫にかかったのである。
放射能バラマキは、その収穫(収奪)が急を要することを意味した。
そこで急浮上したのがTPPだ。まだ食えそうなモノは、この数年で食い尽くす。
残りかすの島国には大きな穴を掘って、世界中の核ゴミを放り込む。
今年の秋からの3年間は、被曝の強要とTPPによる強奪が、徹底して進行していく。同時に、その結果が発覚したときのために、弾圧国家の体制が着々と作られていく。とくに、情報の検閲とえん罪による恐怖政治が横行する。
■■
この時代を目の前にして、徒手空拳の私たちに何ができるのだろうか。
正直言って、昨年12月以来あたまを抱えて呆然としている人ばかりだ。もちろん私もその一人である。
でも、思い出したい。5年前には、本当に自民党政権をひっくり返せるとはほとんどの人が思っていなかった。
でも、その翌年には、あの狂気のような反小沢キャンペーンにもかかわらず、とにもかくにも政権交代は成った。
今日の関電前抗議は300人足らずしか集まっていなかった。2000人も集まったときの熱気を思うと寂しいけれど、でも、これも昨年の今頃はもっと少なかった。
総選挙の惨敗は、たしかに衝撃だった。何より、この期におよんで自民党を圧勝させる日本人て何者だ?という相互不信感がキズを残した。
でも、あれは野田民主党の自爆テロだったのだ。小沢グループを閉塞状況に追い込み、自民党にしか票が行きようがないタイミングで解散した。まさに野田の一人芝居であり、狙い通りだったという意味では本当の勝者は野田である。
小沢グループの動き方も鈍かったと思うし、社民党はどこまで本気なのか分からないし、共産党は地球の終わりが来ても自分の党のことしか考えていないし、様々な教訓は残したが、あの選挙は野田に、というか野田を使って完全にコントロールされたのであって、日本人に絶望するにはあたらない。
あらためて私たちにできることを確認するならば、街頭行動と選挙だ。
政権が陥落するかもしれないという恐怖感を与えるほどの街頭行動と、実際に政権を左右する選挙。
まずはなによりも、これが私たちの持っている力であり、権利だ。
その他の様々な手段は、この二つがともなわなければ、何の実効力にも成らない。
子ども被災者支援法のように、全会派が発議してできた法律でさえ、選挙で負ければ無かったかのように無視黙殺されるのである。
たとえ選挙で勝っても、それを支える市民の力を誇示しなくては、あっという間にクーデターで転覆されると言うことも、私たちは身をもって学んだ。
逆に、官邸を20万人が囲んでも、選挙の力にならなければ「大きな音」で済まされてしまうのだ。
この二つで本当に逆転できるのか。これは正直言って確信はない。
が、日本では有史以来、まともにこの二つの市民の力を発揮したことがない。せめて、一度やってみてから、いいとかダメだとか言わなくては。
3年半後の総選挙で、100万人が国会を囲み、あるいは選挙運動に走り回りながら投票日をむかえることができれば、まだ逆転は可能だ。
3年後には被曝障害もTPPもかなり状況は悪化している。できれば少しでも前倒しでストップさせたいものだが、残念ながら3年後にならないと多くの人は気がつかないかもしれない。万が一、それでも気がつかないときは、世界の核捨て場として被曝障害と共にひっそりと生きて死んでいく日本になるしか道は残されていないだろう。
選挙も街頭行動も、やってみればそんなに大層なことではない。普通に、当たり前にできることばかりだ。
これから1000日間で、100万人が鬼も涙する本当の敵の正体に気がつき、少しずつでも動き始めるか。
そこに全てを集約することが必要だし、そこから逆算して今何ができるか、考えていきたい。
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