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(赤坂憲雄、県立博物館長)
それはお金に換算できない
http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/7050868.html
とある原発の溶融貫通(メルトスルー)
復旧だけはありえない。にもかかわらず、将来に向けてのビジョンの不在ゆえに、膨大な資金がただ復旧のために蕩尽[とうじん]されようとしている。そこに、よじれた不幸が見え隠れしている。除染さえ進めば、村や町に帰ることができるはずだ、そう信じていた。
しかし、除染は「移染」にすぎず、至る所に放射性廃棄物の仮置き場を造り出し、これから始まる「減容化」の作業は、途方もない高濃度の放射性廃棄物を生み出すことだろう。それが除去や浄化の不可能なモノであることから逃れる術[すべ]は、どうやら存在しない。
何が起こったのか、これからさらに何が起ころうとしているのか。多分、わたしたちはいまだ、それを明らかな言葉をもって語ることができずにいる。福島第一原発の爆発事故が、天災と人災が絡まり合った、前例なき巨大な災害であることは否定しようもないが、その原因究明は依然として「藪[やぶ]の中」に放置されている。
それでいて、事故の「収束」が早々と宣言され、今は警戒区域の解除が進められている。その傍らでは、ネズミ1匹によって深刻な事態がもたらされ、高濃度の汚染水が遮蔽[しゃへい]シートから漏れ出している。全てが応急措置の段階にあり、数十年に及ぶはずの廃炉へのシナリオは示されていない。
どこで、誰が議論をしているのかすら、定かには見えない。なかったことにして、やり過ごすことができるならば、それでもいい。しかし、忘却が許されぬ現実として、メルトダウンを起こした原子炉や燃料棒や放射性廃棄物がむきだしに転がっている。
見えない放射能の恐怖によって、家族は解体に追いやられ、暮らしやなりわいの基盤は破壊され、コミュニティーや絆は根っこから切り崩された。そのどれもが、どれだけの札束を積まれようが回復されえないものであることを、忘れるわけにはいかない。元通りにしてくれるなら、何ひとついらない、という声こそが真実を宿しているにちがいない。
以前に、ダムに沈んだ戸数が四十数戸のムラについて「もしそのムラを再建するとしたら、どのくらいの資金が必要か」と専門家に問いかけてみたことがある。その高名な学者は、言葉を選びながら答えてくれた。「ダムの建設につぎ込まれた数千億円で、なんとかムラの外見を復元することはできるかもしれないが、人々の暮らしや人間関係やコミュニティーを再建することはできない、それはお金には換算しようがないものだから」と。あまりに当たり前の答えであったが、妙に新鮮であったことを思い出す。
繰り返すが、復旧などありえない。お金で解決できることはわずかでしかない。救世主は現れない。政治家も官僚も、学者も専門家も、将来への魅力的なビジョンを提示して、多くの人を説得する力を持たない。だから、わたしたち一人一人が、試行錯誤の中、それを探し続ける道を選びたい。草の根の力を信じたい。それぞれの足元に埋もれている泉を掘り当ててみたい、と思う。
(福島民報 2013/04/14 09:17)
http://www.minpo.jp/news/detail/201304147850
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「見えない放射能の恐怖によって、家族は解体に追いやられ、暮らしやなりわいの基盤は破壊され、コミュニティーや絆は根っこから切り崩された。そのどれもが、どれだけの札束を積まれようが回復されえないものである」。
本当にその通りだと思います。
人の命意外にも,お金で買うことのできないものってあるのですね。
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