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実録『トモダチ』作戦・第3部「まとわりついて離れない、放射能汚染の恐怖」[第4回]悪・戦・苦・闘
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2013年4月4日 星の金貨プロジェクト
「あの日降った雪も、すでに放射能に汚染されていた」
放射能汚染でパニック寸前の艦内、乗員総出の汚染除去作業
ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 3月5日
▽ 汚染された機体と整備士たち
空母ロナルド・レーガンの窓の無い飛行甲板の下で、ジェニファー・ミックと彼女の仲間たちはF-18ジェット戦闘機を最良の状態に保つため働いていました。
この空母には彼女が育った祖父母の牧場があるウィスコンシン州の小さな農業の町、ソープの人口の5倍の5,500名が乗組んでいました。
彼女は成長したら道路から少し奥まった場所にある祖父母の農場の、さらにその奥に彼女自身の農場を持つつもりでいました。
「私がハイスクールに通っていたころ、一度家族でオシュコシュにある航空博物館に行ったことがありました。」
22歳のジェット戦闘機のメカニックである彼女が、こう切り出しました。
「それ以来私は航空機の魅力に取りつかれてしまいました。でも私が選んだのは海軍でした。船に乗ってみたかったのです。空軍にはあまり魅力を感じませんでした。」
彼女はハイスクールに在学中に手続きを済ませ、卒業と同時にグレートレイク訓練センターに向かいました。まだ18歳でした。
両親が暮らす家の居間で、彼女はインタビューにこう答えました。
「新兵訓練は楽々こなすことが出来ました。それは私の人生の中で、決定的な体験になりました。私はハイスクールではゴルフをし、成績は中くらいでしたが、まじめな生徒でした。でも打ち明ければ、私にとってはどうでもいいことを、たくさん私の頭に詰め込もうとしていました。」
「海軍の訓練校で私はいつもトップで、クラスのリーダーになりました。ちょっとしたものでした。
海軍では私が興味を持っていることばかり教えてくれ、私は熱心に学べることを心から楽しんでいました。」
「私たちは金属部品と翼部分の修復を学びました。訓練では大きな穴の開いた主翼を渡され、私たちはそれを飛行に耐えられるレベルにまで修復することを求められました。」
「私はそうした訓練を本当に楽しむことが出来ました。乳牛の乳搾りの作業とは大違いでした。」
彼女は航空機の整備士としての資格を得て訓練を終え、空母ロナルド・レーガンに乗組むため、サンディエゴまで空路やって来ました。
「初めて空母ロナルド・レーガンを見ましたが、私はもっと大きいものだと思っていました。ドックに上げられた船体を見て、さほど大きいとは感じませんでした。『この程度なの?』むしろ映像などで見た方が、もっと大きく感じます。ジェット戦闘機がこの場所で離着陸するという事に、私は驚きを禁じ得ませんでした。」
確かに普通の場合なら、400メートルの長さの船の中に『閉じ込められている』とは感じないでしょう。
しかし今回の救援活動において、全ては異なりました。
「『トモダチ』作戦が介されて以降、私たちは飛行甲板に上がることを極端に制限されました。
甲板にボルト留めされた航空機について、決められた点検の時だけ甲板に出ました。
さもなければ着ているものを全部脱いで、ガイガーカウンターで全身の放射線量をチェックされる羽目になるのです。
「私はあらゆるものを着用させられたことを憶えています。ゴム手袋、ゴーグル、そして私たちの場合は放射線を遮断する防護エプロンも。規則ではマスク着用と酸素ボンベの携行も義務付けられていましたが、実際にボンベを使う場面はありませんでした。」
「ジェット戦闘機も放射能で汚染されていると思われていました。そこで駐機中の戦闘機のブレーキを解除し、特設のエリアまで移動させ、そこで放射線量の測定を行いました。私たちは放射線量の測定をそれ以上は行わなくて良い値に線量計の針が下がるまで、繰り返し繰り返し何もかも洗浄することに忙殺されることになりました」。
「取り外したパネルを一枚一枚交換し、取り外した方を放射線の測定係のところまで持って行きました。放射線量が規定値を超えた場合は、今度は処理を行うため別の係りを呼びに行かなければなりません。作業の手間が2倍にも3倍にもなっていきました。」
「艦内に放射能汚染が広がらないようにするための、マニュアルなどはありませんでした。服や靴に付着してしまった放射性物質、そして空間にある放射性物質がだんだんと艦内を汚染して行き、線量計のアラームが鳴る頻度が高くなっていきました。
ジェニファーが、水兵たちは思い思いの対処をしていたと言いました。
「放射線を部屋の中に入れない方法、それはドアの下から放射性物質が入り込まないように、すべてのドアの隙間にボロきれを詰め込むことでした。そして、至る所に『ボロきれを動かさないでくれ!』というメッセージが貼りだされることになりました。本当に変わった光景でした。」
「でも本当は、私は常に怯えていました。」
それは変わった光景でしたが、効果は望むべくもありませんでした。
艦長用の艦橋の放射線量が測定され、艦内が汚染されてしまったことが明白になりました。
雪が降った時に、水兵たちが艦橋で雪合戦をしたことがありました。
その時艦橋に設置されたセンサーが警報音を鳴り響かせました。
雪は大気中を漂っていた放射線を、かき集めていたのです。
そして海から水をくみ上げて、艦橋を高圧ホースで洗い流したことで、事態を一層悪化してしまったのです。
「東京電力は米軍の上層部に対し、まだ放射能漏れは起きていないと伝えていたのです。しかし艦全体が汚染されてしまいました。私たちは全員化学兵器用、核兵器用、または生物兵器用、いずれかの防護服を着用するよう命じられました。そして大気も汚染されている場合に備え、ガスマスクの着用を命じられました。」
「私たちは一日で水を使い果たしてしまい、シャワーが使えなくなりました。私たちは汚染された海域で脱塩装置を使って得た大量の水を捨てなければなりませんでした。その上でタンクの中を丹念にこすり洗いする必要がありましたが、それは汚染されていない、安全な海域まで行かなければ出来ない相談でした。」
問題は艦の水の供給にありました。汚染されていない海域に行かない限り、安全な水を確保することは不可能だったのです。
「私たちは艦に搭載した脱塩装置を使って、必要な水を得ていました。」
ジェイミーが説明してくれました。
「艦全体が汚染されてしまったため、ありとあらゆる場所にある水という水は、全部捨ててしまう必要が生じました。その上で新たに得た水の安全性をテストしなければなりませんでした。とても困難なことでした。海から水をくみ上げる必要がありましたが、周辺の海域は汚染されてしまっています。そしてどうしても汚染されていない水が必要だったのです。」
航行中の空母から放射性物質を洗い流すことなど、容易にできることではありません。
「ちゃんとやろうと思ったら、艦を港に係留する必要があります。」
モーリスが語りました。
「そして被ばくした可能性のある人員の全身を洗浄し、次に備品全部を洗浄しそして艦内各部を洗浄します。そして洗浄が終わった場所には、3重のチェックを受けて汚染されていないことが確認できた人間だけしか行けません。」
そして原子力空母自身の原子炉の冷却システムに、汚染されていない水が必要です。特に本来の性能を引き出すためには、汚染など無いタービン用の冷却水が必要です。
このため空母ロナルド・レーガンの性能は、損なわれることになってしまいました。
空母自身の原子炉の汚染により、乗組員たちがその場所で働くことが不可能になってしまったのです。
「結局汚染されていない海域に出て、艦内の汚染が取り除かれるまで、水の供給をストップせざるを得なくなりました。」
〈 第3部完・第4部へ続く 〉
http://www.huffingtonpost.com/roger-witherspoon/a-lasting-legacy-of-the-f_b_2808889.html
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この第4回で第3部は終了です。
日本側からは正しい情報が無いまま、空母全体が汚染されてしまったことが明らかになり、乗員たちは正しい対処法に関しても情報が無い中、何とか汚染を免れようと悪戦苦闘することになりました。
しかし正しい情報、正しい対処法を知らないまま、放射性物質との格闘を強いられた、その先には何があったのか?
憂慮する科学者連盟のエド・ライマン博士やアーニー・ガンダーセン氏も登場する第4部で明らかにされます。
掲載は4月8日月曜日から開始の予定です。
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