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http://www.labornetjp.org/news/2013/0323hokoku
「原発のない福島を!県民大集会」が3月23日、福島市・あづま総合体育館に7000人(主催者発表)を集めて行われました。会場1階を福島県内からの参加者が、2階を県外参加者が埋め尽くしました。
はじめに、呼びかけ人として吉岡棟憲さん(曹洞宗・円通寺住職)が「人間らしく生きるためには人権・平和・環境が必要だが、原発事故は美しい福島を破壊し人々を引き裂いた。国・東電は責任をとろうともせず事故の風化を狙っているが決して認められない」と挨拶しました。
続いて、五十嵐史郎・実行委員長が「私たち福島県民の願いは福島原発の全基廃炉であり、私たちには放射能のない未来を作る責任がある」として、県民の意志を結集するための場として今日の大会を成功させようと呼びかけました。
13人の呼びかけ人を代表して、清水修二・福島大教授は「福島県内では避難するかしないかで人心分断が生まれ、今また帰還するかしないかで分断が生まれている。しかし、福島では県議会自民党から共産党まで一致して福島原発の廃炉を決議し、知事も原発のない福島県を目指すと表明した。こんな県は福島だけであり、県内の原発を再び動かすという選択肢はない。先日、東京の集会に参加する機会があったが、東京でも原発の電気は使いたくないという声が出ているのは大きな変化。脱原発は民意であり、原発を止めることはできる」と、もう一度福島県民が一致して脱原発を目指すよう呼びかけました。
大江健三郎さんに代わって急遽、参加したルポライター・鎌田慧さんが連帯挨拶。「私が思い出したのは原爆・ビキニでの被爆の歴史であり、それをまた繰り返した。福島には子どもの健康を心配する親、家があるのに帰れない多くの人がいる。人々の生活を奪った者は責任を感じるべきだがそうなっていない。かつて反原発運動に敗れて今日の事態を招いたことに反省が必要だが、かつてより広い運動を作る決意で取り組んでいる」と揺るぎない意思を表明。「再稼働は絶対に認めない」と決意を述べました。
佐藤雄平知事、瀬戸孝則・福島市長、桜井勝延・南相馬市長のメッセージ披露の後、県民が発言に立ちました。以下、各発言をご紹介します。
●篠木弘さん(JAふたば代表理事専務)
警戒区域では、牛や豚が鳴き声を上げながらさ迷っていた。この残酷な光景は忘れない。東電は私たちを無視しているかのようだ。多くの福島県民が動かなければ物事は解決できなかった。これまでも私たち県民が森を守ってきた。収束もしていない福島原発で懸命に働く作業員もまた被災者であることを決して忘れてはならない。復興と言われているが、真の復興とは原発をゼロにすることから始まる。
●佐藤弘行さん(相馬双葉漁業協同組合理事)
震災で家と妻を失った。海に出て、帰る港があるのが漁師だ。陸(おか)に上がっているのはつらい。福島では今なお41もの魚種が出荷規制になっている。海をなくしては私たちは生きていけない。もう原発はいらない。
●高野桜さん(高校生平和大使・南相馬市小高区)
私たち家族は、小高区が警戒区域になったため避難させられた。警戒区域が解除になり、父は仕事、私は学校のため戻ったが、母と妹は山形県に避難したままだ。(警戒区域が解除になる前の)一時帰宅の時、自分が小高に住んだことを残したくて、中学校当時友人と撮った写真を持ってきた。長い間、人が住まないと家は崩れてしまい、そのことで震災に遭ったと証明できるが、その家も取り壊されてしまった。小高が好きで帰りたい気持ちがあるが、小高には(除染廃棄物の)中間貯蔵施設が建設されようとしている。これは、しばらく帰れないと国に言われたようなもの。ネズミやハクビシンなどの動物が崩れた家に住みついているのを見たときは、帰りたくない気持ちも生まれてきた。
福島初の高校生平和大使として、スイスのジュネーブに行き福島の現状を訴えた。ブラジルにも行ったが、反原発の行動が行われていて、地球の裏側にも私たちのことを思ってくれている人がいると知った。外国では日本で思いもかけないような質問を受けることがある。ブラジルでは「政府はどんな対策をとっているのか」「あなた達は日本政府をどう思っているのか」など質問のほとんどは政府に関することだった。「事故が収束したと簡単に思われてしまうことがないように、事実を正確に発信していった方がいい」とアドバイスを受けた。日本より外国のほうが真剣に考えているように見えた。もっとも怖いのは福島が忘れられ、また同じような事故が起こること。放射線量を計るモニタリングポストが町に設置されるなど、自分たちが住んでいるのは異常な世界。その異常な環境に慣れてしまうことがないように、事実の発信に努めていきたい。
●鈴木邦彦さん(県森林組合連合会)
私たちは森林から恵みを受け、森林を未来に受け継いでいく財産だと思っていたが3.11でそれは根本的に変化した。森林の除染は、やりすぎると山崩れのおそれがあるとして除染計画もできず、森林は負の遺産になった。山で生きていきたいという私たちの希望を奪った東電にそのことを認識してほしい。
こんな大きな犠牲を払ってまで追い求める豊かさとは何か。コンセントにプラグをつなげば電気を使える便利さの向こうに犠牲がある。私たちは電力会社にだまされてきたことを知ったが、だまされていると知りつつ豊かな生活を捨てられないのも人間だ。しかし、将来、福島出身というだけで差別される人、障害を持って生まれてきた子どもたちと出会ったときに、それでも今までの豊かな生活を続けたいといえるのか、考えなければならない。
「どうせ」「やっぱり」と国は私たちをあきらめさせようとする。そんな国の中で信念を貫いて生きることは困難なことだが、この事故を経験した私たち福島県民だからこそそれができる。私たちが作ったこの国を、私たちは変えることができる。
●菅野豊さん(県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長)
ホテル・旅館の予約が震災後、相次いでキャンセルになったが、それは100%原発のせい。震災は日本のどこかで将来必ず起きる。この悲劇を経験し、福島に原発はいらないと納得できた。私の取り柄は元気なこと。元気を出して福島を守っていこう。
●大越たか子さん(県外避難者・浪江町)
私たち家族はいわき市に2カ所、私は宇都宮。合計3カ所に引き裂かれた。浪江に家と畑を置いてきた。避難先で「アパートを借りた方がいいんじゃない?」と言われ、「そんなに長く帰れないのか」と衝撃を受けた。「次に帰ってくるまで家を守ってください」と一時帰宅で仏壇に祈る無念さ。いつまで根無し草でいなければならないのか。地に足のついた生活がしたい。
一方、避難先で避難者のネットワーク作りに参加するなどして新たなつながりも生まれてきた。私はいずれ福島に帰るつもりだが、そのとき、栃木の人たちとの別れにまた涙するだろう。人の力で制御できないものを作るべきではない。避難者の現実を理解してほしい。
●平井華子さん(福島の子ども保養プロジェクト「コヨット」)
2歳の息子、4歳の娘がいる。避難すべきかどうかは今も悩む。保育園で、食材に県内産を避ける、できるだけ屋外活動を控えるなどの制約が多い生活を見ていると胸が痛む。これが永遠に続きそうで怖い。今後も福島に住み続けるために、国・県にはスピーディな対応を望む。子どもたちが外で遊べる当たり前の生活を取り戻すために保養の取り組みを広げたい。
これらの県民メッセージの後、「原発との決別が大前提」であり、「原発のない福島を実現するために心を一つにしてがんばりましょう」とする集会宣言を採択。最後に「ハイロアクション・福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんが「東北は長く中央に虐げられてきたが、豊かな自然にはぐくまれた自由さも持ち合わせてきた。これ以上私たちはバラバラにされない、尊厳を奪われない、つないだ手を離さないの3つを心において歩いていきましょう」と閉会宣言をしました。
■集会参加の感想
会場の収容能力(3000人)をはるかに上回る参加者で、脱原発に向けた意思を確認しあう場となりました。特徴的だったのは、ほとんどの発言者が東電の責任に言及し、東電の対応に不満を表明したことです。事故の後遺症に苦しむ福島県民をうち捨てて顧みない東電への怒りは事故2年を経て弱まるどころか強まる一方といえます。
「私たちが作ったこの国を、私たちは変えることができる」という鈴木さんの発言には勇気づけられると同時に、福島県民のこの決意にすべての市民が応えなければならないと感じました。自公政権が復活し、福島県民への賠償どころか原発再稼働・改憲に進みそうなこの国が、本当に私たちの手の届かない遠くに行ってしまう前に、私たちにはまだまだやるべきことがある。福島に住んでいると、先の見えない苦しさから心が折れそうになりますが、福島県民にも脱原発への強い決意を持っている人たちがいる。そのことが確認できた有意義な集会となりました。
(報告・黒鉄好)
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