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福島第一原発4号機。奇跡的に無事だった使用済み核燃料は手つかずのままだ〔PHOTO〕gettyimages
3・11と原発事故 いま、すべての日本人が考えるべきこと 菅直人の決断を本当はどう評価するのが正しいか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35193
2013年03月20日(水)週刊現代 :現代ビジネス
第1部 東電の決死隊に
「撤退するな」「国家のために死ね」と言った
■山折哲雄はこう考える
「事故はどんどん拡大していくのに、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、東京電力の誰も何も見通しを言ってこない。『事故はどこで止まるのか? どこまで拡大するのか?』私は一人、官邸で必死に考えていました」
2011・3・11・・・・・・東日本大震災に端を発する未曾有のシビアアクシデントを振り返るのは、当時の原子力災害対策本部長―総理大臣であった菅直人氏だ。
彼が「決断」を迫られたのは3月15日午前3時。
海江田万里経産大臣と枝野幸男官房長官はこう相談をもちかけてきたのだった。
「東電が『撤退したい』と言って来ています」
「撤退と聞き、それまで一人で考えていた最悪の事態について、初めて閣僚や補佐官に話しました。『撤退し、原発を放棄したら5000万人もの国民に避難を強いることになるかもしれない。そうなれば国として成りたたない。それほどの事故なんだ』と」(菅氏)
当時、菅氏がヘリで福島第一原発を訪問した際に、「現場を混乱させた」と叩かれたことはあったが、「撤退はまかりならぬ」との決断に異議を唱える者はなかった。だが時が流れ、冷静になって振り返ってみると、「菅氏の決断」は大きな矛盾をはらんでいた。
宗教学者の山折哲雄氏は、雑誌や新聞の取材等でこんな疑問をなげかけている。
〈腑に落ちなかったのは、現場で危険な作業にあたっていた人々の生命の状態についてほとんど議論が及んでいなかったことである。あえていえば、「撤退」論や「退避」論のなかで、犠牲という問題が正面からとりあげられていないらしいことだった〉〈全員撤退させるという選択肢があると私は思っています。そうすると、放射能が全国にばら撒かれる。放射能にはリスクが伴う、しかしそれによるリスクは国民全体で引き受けよう、そういう視点がいまわれわれの社会にはない〉
問われているのは、いかに非常時とはいえ、民間企業である東電の作業員の退路を総理大臣が断ち、「国家のために死ね」と犠牲を強いる権利があるのかという根本的な問題だ。これは逆に言えば、原発を稼働させ、その恩恵を受けてきた以上、いざというときはそのリスクを国民全体が受けるべきか否か、という問いにも通じる。菅氏が答える。
「山折さんが言っていることは非常に重い。撤退という選択肢もあっただろうということと同時に、撤退したことで起きるどんなことについても、受け止めるという覚悟も含めて、彼は言っているわけです。原発事故という国家の危機。ギリギリのときにどういう選択をするのか。これは重要な議論だと思います」
そのうえで、菅氏は自らの「決断」の背景について、チェルノブイリのケースを挙げながら、こう説明した。
「チェルノブイリは1基だけ暴走して爆発した。大変な事故ですが1基だけなんです。福島の場合は第一サイトで6基。同じ第一サイト内に7つの使用済み核燃料プールがある。そして12Ɠ先の第二サイトには4基、プールも4つある。もし全員が退避し、コントロールできない状態になれば10基の原発と11の使用済み核燃料プールが順次、干上がり、メルトダウンする。チェルノブイリの何十倍もの放射性物質が放出されるのです。
よく命懸けという言葉が使われるけど、本当の意味で命を懸けてやらざるをえない。
これは責任者である私もそうだし、現場の作業員もそう。総理大臣というのは最後の最後、決めなきゃいけない。そういう立場なんだよね。それに伴う責任もすべて私にある。権限は責任と一体ですから。
今回、急性被曝で亡くなった人はいなかったが、私の決断でそういう人が出る可能性もあった。逆に撤退を決断していたら、今頃は東京に誰も住めなかったかもしれない。そうなれば、近隣諸国にも被害が及ぶ。『我々は避難します。ご迷惑かけて申し訳ない』とは言えないんだよ。国家として、責任が果たせなくなる」
■欧州なら「撤退」もあり得た
ただこれが海外だと、様相は違ってくる。社会学者で慶應大学教授の小熊英二氏が解説する。
「日本人はどうしても『事故を起こした東電が責任を取るのは当然』と考えてしまう。ただし、社長はいいけど平社員や下請けが犠牲になるのは許せない。対して欧州では、社長、社員、下請け関係なく、最低限の人権は守らなければならないと考える。殉職したら、後遺症が残ったらこう補償すると契約した人間でなければ、命令は出せない」
それが誰かといえば軍人、あるいは消防隊である。
「そもそも原発は核兵器製造の副産物だから、ほとんどの国が国営なのです。イギリスは民営化しましたが、結局、もたなかった。アメリカは民間がやっていますが、事故発生時の賠償責任は国にある。なぜこんなに違うのか。それは日本人が考え詰めることをしてこなかったからでしょう。東日本に人が住めなくなって、政治経済が成り立たなくなってもいいから国民全体でリスクを引き受けましょう、というのは、現実的ではない。そこまで覚悟する国民はいない。暗黙のブレーキがかかって、誰も考えてこなかったということ」(小熊氏)
もちろん、国民感情として、東電が一義的に責任を負うべきだったという人は圧倒的多数を占めるだろう。
「さんざん安全神話を唱えてきたのに撤退だなんて有り得ない話。責任放棄ですよ。その後も電気料金の値上げは『権利』だと言ってみたり、株主に脱原発へのシフトを提案されても簡単に却下してみたり、東電は責任なんて全然考えてないんだよ」(評論家・佐高信氏)
菅氏が言う。
「東電が民間企業なのはもちろん、よくわかっていました。ただ、原子炉をコントロールするのは一番の専門家でなければならない。東電は民間企業であると同時に当事者でもあった。国内で一番の専門家だった」
3・11から2年たった今、すでに大飯原発は再稼働し、なし崩し的に原発再稼働への流れができつつある。しかし、超法規的だった菅氏の決断について、全ての日本人がじっくりと考えてみるべきだろう。
歌人・俵万智氏は事故発生直後、子供と石垣島に移住し、いまもその地に住む。
「この世に『絶対』はない。それをあの事故で学んだはずなのに、再稼働への流れができてきているのは残念でなりません。原発が便利か不便かは、命の安全があったうえで言える贅沢な話。便利さや効率は、安全や安心とは引き換えにできないものだと思います」
「国家」とは人の命を犠牲にしても守るべきなのか、命は国家より重いのか。原発を動かすということはそれほどの覚悟と決断が必要なことを忘れてはならない。
第2部 廃炉と再稼働
なぜ日本人は何も決められないのか
70%を超える高支持率が背中を押したのか、2月28日の施政方針演説で安倍晋三首相は前政権が掲げた「2030年代に原発ゼロ」の白紙撤回を宣言した。
「それどころか、原子力規制委員会が7月に出す安全基準をクリアすれば、新規の設置もOKとなりました。3・11後に住民の猛反発を受けて建設が凍結された上関原発(山口)も許可が下りると見ています」(社民党・福島みずほ党首)
だが、忘れてはいけないのは、状況は何も変わっていない、ということ。環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏が溜息をつく。
「2年たっても福島第一原発の事故は継続中。放射性物質に汚染された水が地下や海に垂れ流しされている状態で、解決のメドはついていません。年間50ミリシーベルト、5年100ミリシーベルトという被曝限度にひっかかる作業員が多数でてきて、人員不足も露呈しています。しかも、広島原爆1万個分にも相当する使用済み核燃料が、壊れた建屋の中のプールに宙吊りにされたまま。万一、強い余震に襲われて崩れたら、ふたたびメルトダウンが起こります。チェルノブイリは今年で事故処理がスタートして27年になりますが、うまくいっておらず、石棺を新たに作り直すようです。福島第一原発はゆうに100年はかかるでしょう」
小出裕章・京大原子炉実験所助教は「事故処理」の内情を明かす。
「実は事故後から今まで、ひたすら水をかけて炉心を冷やしているだけ。とても事故処理と呼べる代物ではありません。原子炉圧力容器の底を突き抜け、格納容器に落ちたと見られる炉心がどうなっているか、いまだ把握できていない。格納容器が壊れることを想定していなかったので測定器が設置されていないうえ、線量が高過ぎて作業員が近づけないからです。仮に事故処理が無事に終わったとしても、放射性物質は残りますから、原発近くの双葉町、大熊町などの住民が故郷に戻れることはないでしょう。こういう事実をちゃんと見てほしい」
放射線影響協会研究参与の岡野眞治氏は福島再訪を計画しているという。
「ふたたび福島に飛んでデータを取り直そうと思っています。汚染された地域に人が戻るには、サイエンスと医学的見地から、放射線が人体に実際、どのくらいの影響を与えるのか明らかにするのが必要不可欠だからです。原子力というハイテクノロジーと、どう付き合うか。まずは原発を採り入れた時の原点に戻って、審議し直すべきでしょう」
元原子炉格納容器設計士の後藤政志氏も同意見だ。
「今、原子力規制委員会が議論している新しい安全基準は『どうやったら再稼働できるか』。そうじゃないんです。まず、原発が必要なのかどうかを議論すべきなのです。幾重にも防御策を講じ、万が一のことが起きても大事故にならないよう設計して作った原子炉が簡単に破壊された。もはや安全性は確保できない、というのが、設計者である私の結論です。ブレーキがきかずクラッシュした事故車両に『もう一回乗ろうよ』と言っているようなもの」
■官邸前20万人デモの衝撃
幼い子を親族宅に疎開させたり、野菜や牛乳の産地を気にしたり―3・11以降、たくさんの人々が放射能の影響を恐れ、人生の軌道修正を余儀なくされた。
すべての原発が止まったとき、多くの日本人は、もう日本で原発が動くことはないと思ったはずだ。20万人とも言われる人々が官邸前で反原発デモを行ったのに、なぜ原発との訣別を決められなかったのか。そしていま、新たな決断をすることもなく、再稼働が既定路線のようになっている。
「菅直人元首相は自らの判断で浜岡原発(静岡)を止めました。その逆、つまり安倍首相が独断で再稼働を強行する恐れがある。原子力規制委員会がどこまで独立性を保ち、厳しい基準を作れるか。かつて自民党政権は、われわれ専門家の意見を聞こうとしなかった。その先に福島の悲劇があったのです。そこも心配な点です」(元日本原子力研究所研究室長・笠井篤氏)
後藤氏はこう分析する。
「アンケートを取れば今でも反対が圧倒的多数。何も国民のマインドが変わったわけじゃない。ただ、考えているレベルが個々で違うということではないでしょうか。『そう滅多に巨大地震は起きないだろう。すぐに廃炉にしなくてもいいのでは』と考えている人が多いのではないか」
第1部に続いて、小熊英二氏が解説する。
「どんなデモも突発的に盛り上がるのは2ヵ月くらい。常に変化するものです。ただ、私の予想を裏切ったのは、事故から1年半もたってから、あれほどたくさんの人が首相官邸前に集まったということ。日本全体が行き詰まっていて、多くの人がこのままではいけないと感じていた。そのひとつの焦点として原発の問題があったのです。少なくとも'11年のように、街でデモをやることは珍しがられなくなったし、デモに行ったことを職場や家庭で言えるようになったのは大きな変化。首都の官庁街で何万人ものデモをして、首相と面談するなんて、他の国ではないですよ。いきなり全ての原発を止め、いまでも2基しか動いてないわけですから、成果はあがっている。有為な人材が原発業界に行くとは思えませんし、推進に向かうとも思えません」
48基もの原発が眠ったままの今こそ、日本社会を変えるラストチャンスだ。
第3部 義捐金
本当に困ってる人に届かないこの国のシステムについて
今年の3月6日までに日本赤十字社に届いた義捐金の総額は約3243億円。もちろん、史上最高額だ。だが、この義損金、震災後1ヵ月以上も宙に浮いたままの状況が続いた。5ヵ月が過ぎても、被災者の手に届いたのは総額の半分ほどに過ぎなかった。
'95年の阪神淡路大震災のときは、地震発生から2週間で送金が始まっている。その経験があったにもかかわらず、東日本大震災ではそれよりも時間がかかったのである。このことは、当時も大問題となった。
その理由は、対象となる地域が広かったこともさることながら、「義捐金は、平等・公平に配らなければならない」という考えに縛られすぎていたからだ。
平時ならば、平等と公平もいいだろう。しかし、せっかくの義捐金が届かず、日々の暮らしにも事欠いている被災者に、平等に苦しめという理屈が通用するはずはない。
そもそも、義捐金が実際に被災者の手に渡るまでには、都道府県ごとの配分を決めるために国が設立した「義援金配分割合決定委員会」を経て、各市町村の配分を決めるための「配分委員会」、さらに各市町村における同様の委員会を経るという3重のシステムになっている。
だが、自身も100万円の義捐金を送ったという数学者の藤原正彦氏は、「平等・公平を優先させる考えこそが、最大の間違い」だと指摘する。
「こういうものは、誰かトップが全責任をとって、不平等にやればいいんです。それ以外に方法はない。この人とあの人のどちらが、よりおカネを必要としているかなんて、判断のしようがないし、議論しただけで10時間、100時間とかかってしまう。トップの人が、自分の人間観だとか歴史観、災害観といった個人の価値観に基づいてズバッとやる。
結局、『公平』だ『平等』だといって、会議ばかりやっているのは、誰も責任を取りたくないからです。会議というのは、責任回避機能ですからね。昔は、会社にも、官庁にも、政治家にも、どの分野にもそういう判断のできる真のエリートがいました。国家や国民のために命を捧げてもかまわないという気概を持っている真のエリートがいなくなってしまった。これでは、国家として持ちません」
■不公平で何が悪い
その一方で、東日本大震災で目立ったのは、NPOなどの民間団体による独自の支援だった。仙台大学教授で、「東日本大震災復興構想会議」の委員でもあった高成田享氏も、その活動に携わった一人だ。
「義捐金がなかなか被災地に渡らないこともあり、『NPO法人東日本大震災こども未来基金』を立ち上げ、震災直後の4月から募金活動を始めました。その年の7月には、震災で親をなくした子供たちへの学資支援を開始しています」
募金総額は約1億8000万円。現在までに130人の子供たちを支援した。赤十字の義捐金と比較すれば規模は小さいし、それを手にできた被災者も全体からみればごく一部に違いない。しかし、これを不公平だからおかしいと言えるだろうか。
「本来、復興は被災した自治体が主体になり、それを国が支えるという形であるべきでした。ですが結局、実際の復興は計画も予算も国が主体となり、自治体は国が決めた計画を実行するだけの窓口になってしまった。これが、復興を遅らせる最大の要因になったのです。今回の震災で、中央集権国家は災害復興時に機能しないことを見せつけられました」(高成田氏)
責任は取りたくないが、カネを配る権限は手放したくない。それを平等や公平という美名でカモフラージュする。本当に困っている人を助けられないシステムなど、なんの意味もない。
「週刊現代」2013年3月23日号より
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