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2013/3/17 晴耕雨読
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バンゎ(^O^)今日はポカポカの一日、オイラは花粉症でこの時期のポカポカはつらいんでし(>_<)
特に今年は目にくるし、涙がいつもチョチョギレてるでし。
現場で全面マスク付けてる時は大丈夫なんだけど外した途端に症状が出てくるんだよね。
街中を全面マスクで歩くわけ行かないしなぁ…今日3月16日は、去年の同じ日に浪江にある「希望の牧場」で息を引き取った"ふくちゃん"の命日なんだ。
ふくちゃんは、1Fの正門付近で原発作業の車と交通事故にあってしまい、希望の牧場さんに2月14日に保護された子牛なんだ。
保護されてから吉沢牧場長はじめ、希望の牧場スタッフさんや獣医さんが一生懸命に介護してくれたんけど、保護から31日目に母牛の所に逝ってしまったんだ。
あの頃の警戒区域内には、たくさんの放れ牛がいて原発作業の車との交通事故がいっぱいあったんだよね。
今でも時々、交通事故はあるけど去年と比べたらかなり減ったよ。
オイラがふくちゃんを初めて見たのは、保護される二日前で、その時はふくちゃん事故にあってなかったんだ。
最初、事故にあって亡くなってたのは、ふくちゃんの母牛だったんだ。
ふくちゃんは母牛が死んだのが理解出来ないのか、ずっと側にいて離れず、母牛の傷だらけの身体や顔を舐めてあげたり、母牛が立ち上がるのをずっと待ってたんだ。
そんな健気に母牛の復活を待ち続けたふくちゃんも11日の夜中に原発作業のバスと交通事故にあってしまったんだ。
事故にあったふくちゃんは、命は助かったけど、かなりの重傷で倒れてたんだ。
でもふくちゃんは倒れて立てなくても母牛の側にいて顔を必死に舐めてあげてた。
原発作業員の人も心配でミルク持っていったり、寒いからブルーシート持ってきてかけてあげたりしてたんだ。
ふくちゃんは2月12日に希望の牧場の吉沢さんに保護してもらったんだけど、3月16日に母牛のいる天国に逝ってしまったんだ。
浪江の「希望の牧場」さんは、殺処分の命令を下した国と戦い続けて、いまでも警戒区域内の400頭近い牛たちの命を繋いでくれている牧場なんだ。
人間も動物も同じこの世に授かった命、人間の起こした原発事故で汚染してしまった動物を守ってくれてる希望の牧場。
吉沢さんやスタッフさんは、一生懸命頑張ってくれている。
それは、まるで動物達に人間の侵した罪を、愚かさを、懺悔するが如く、懸命に。
いまでも放射線や放射性物質、原発と闘い続けながら頑張ってくれてる「希望の牧場」さん、ありがとう。
去年の希望の牧場ブログに「2012.3.16 14:51 ふくちゃんは、虹の橋へ旅立ちました。」という一文がある。
オイラはこの言葉を思い出す度に、ふくちゃんが事故に会う前になぜ助けてあげなかったんだ?と自問自答し、後悔してる。
事故前に助けてあげてれば今も牧場で元気いっぱいに走ってたのに…って。
いまさら後悔しても仕方ないんだけど…
ただ、この経験でオイラは二度とこんな思いをしたくないと心に刻んでいる。
警戒区域はいまでも線量が高いし汚染も高い。
国が決めた20mSv/年なんて有り得ない。
まして線量で住民帰還の判断する事自体が間違ってる。
本当に危険なのは線量ではなく、その線源である汚染なんだ。
線量より汚染、外部被曝より内部被曝の方が大きな問題である事をみんなに知って欲しい。
マイクロシーベルトよりべクレルやカウントなんだ。
小さな空間線量でも、その線源である汚染は高いし、核種にも問題がある。
決して線量に惑わされたらダメだという事を。
オイラは、いま自分の考える事、出来る事、知ってる事をつぶやきを通じて伝えていきたい。
オイラがつぶやく事で迷惑をかける人や不快な思いをする人がいるかもしれない。
だけど一人でもオイラのつぶやきで助かる人や気持ちが楽になる人がいればいいと思ってつぶやいてるんだ。
でわでわ。
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