05. 2013年3月15日 01:59:41
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JBpress>日本再生>世界の中の日本 [世界の中の日本] 技術史が教える原発の余命、あとせいぜい50年 ジョン・バーディーン〜ノーベル賞級の業績を生む仕事術(11) 2013年03月15日(Fri) 伊東 乾 20世紀初頭の1911年、ヨーロッパのど真ん中と言っていいオランダで産声を上げた超伝導現象は、それを追いかけるように解明された量子力学によって、物質の量子性が極限的な形で姿を現したもの、とじきに知れるようになりました。 第1次世界大戦を経て平和を取り戻した欧州は1920〜30年代初頭にかけて、様々な人類の夢を実現していきます。量子力学、コンピューターからロボット、テレビ、ロケットそしてジェットコースターに至るまで、この時期つまり「戦間期」に構想され、最初に実現化されたイノベーションが少なくありません。 事故から2年。報道陣に公開された福島第一原子力発電所〔AFPBB News〕
逆に言うなら、この時期に着想されたアイデアに、戦時中の軍事技術などの集中・・・つまりお金と人材とそのエネルギーの結集・・・が加わって、新しい技術が日の目を見、実際に動く代物になっていったわけです。 一番分かりやすいのは原爆でしょう。あんなものは、ちょっとやそっとのお金や技術の集中ではできません。まさに人類全体が生きるか死ぬか、といった世界大戦の中での集中、コンセントレーションがあって、ああいうものが生まれた。 しかも、またその「核の脅威」そのものが、新たなる「人類全体の存続に関わる問題」として取り沙汰されるようになったわけでした。 そんな核兵器の廃絶、ないし「平和利用」に大きな力となるべく登場したのが「夢の次世代エネルギー源」としての「原子力」、核分裂を熱源とする沸騰水炉による発電技術だったわけですが・・・今度はこの初期型原子炉のリスクが、またしても人類社会に大きな影を投げかけるものになってしまった・・・。 実はこの原稿を書いているのは2013年3月11日なのです。少しだけバーディーンから脱線して、原発の話題に触れたいと思うのです。 核軍縮のケースから見える原発の行方 私たちは、しかしここで、やはり半世紀前の状態を思い出す必要があると私は考えます。1960年代、例えば世界全体、人類全体の存続を危機に陥れかけたキューバ危機のあと、国際社会の大勢は核不拡散や核軍縮の方向にしっかりまとまることができました。 あれから50年、いまもって初期型の原子爆弾の製造成功や、それをやはり初期型の弾道弾として発射できることを誇示し、これを外交カードに使ってある種の延命や効果を狙う、悲しく情けない国が存在しないわけではありません。 しかし、全人類が瞬殺の核戦争で大規模に滅亡させ合うという事態は、まずもって回避されたと見てもかまわないと私は思います。同様にエネルギー源を大きく見直せば、自ずと見えてくる答えがあると思います。 例えば2050年、あるいは2100年という時期を考えてみましょう・・・たぶん、このどちらの時期にも、現在のような沸騰水型の原子炉は残存していると思います。すべての原子炉が稼働をやめていると思わない方が、尤度(ゆうど)の高い予想ができるでしょう。 これは日本のことを言っているのではありません。率直に、日本の100年後だけ考えてもこの問題には何も良いヒントは得られない。 例えばフランスを考えてみてください。あるいは旧フランス植民地のアフリカ諸国など。2013年時点でも、あるいはそれが15年でも20年でも、新たな原発は造られ、稼働を開始し、そこそこの時点で役割を終えていくでしょう。面倒な廃棄物をそこそこの量残して・・・。 ここで時間をちょうど100年、現時点からスリップしてみましょう。 1913年、まさに第1次世界大戦になだれ込む直前、大正2年の日本は、どのようなエネルギー状況にあったのか? ドレッドノートに見る100年前の最先端 20世紀初頭の最先端技術を確認してみましょう。時代の最も進んだ技術は兵器に結実します。20世紀初頭の花形、それは軍艦でした。いまでもよく「超弩級」なんていうドというのはドレッドノートという英国の戦艦からきているものです。 英戦艦「ドレッドノート」(ウィキペディアより) このドレッドノート、1906年と言いますから日露戦争の翌年に進水して、第1次世界大戦の雌雄が決しつつあった1919年に13年の現役生活を終えているので、まさに100年前、1913年のテクノロジー水準を見るのに適していると思うのですが・・・。
排水量1万8110トン、満載では2万1845トン、全長160メートル、吃水8メートルといったサイズもさりながら、動力源の機関は「バブコック&ウイルコックス式」と呼ばれる「石炭・重油混焼水管缶(ボイラー)」と「パーソンズスチームタービン」を併用した、つまるところ、規模こそ違え、原理としてはSLと大差ない代物で動いていたわけですね。 まあ、ペリーが浦賀に来航して「太平の眠りを覚ます蒸気船(上喜撰)たった4杯で夜も寝られず」(上喜撰は上等な緑茶)なんて言われてから高々50〜60年、まだエネルギーに大きな革命は起きていなかったので、当然と言えば当然でしょう。 蒸気機関車と言えば、私たちが子供の頃は北海道で廃線直前のローカル単線で煙を吐いていたものですが、日本への導入は1872(明治5)年が最初とのことです。1975年、室蘭本線での最後の運行で幕を閉じているわけで、まあ1世紀の命だったと言っていいでしょう。 では、世界的に蒸気機関そのものの栄枯盛衰は? と見ると、トレビシックによる蒸気機関車の発明が1802年、スチーブンソンによる改良が1814年、さらにさかのぼってニューコメンによる近代蒸気機関そのものの発明が1664年とさらに150年さかのぼるわけで、ざっと350年の歴史がある。 で、福島で稼働していた原発も、実はまごうことなくこの蒸気タービンの高度に進化したもので、ただその熱源に低濃縮核燃料の核分裂反応の発熱を利用しているものだということが分かります。 滅びゆくSLとしての原発と残存使用済み燃料 こんなふうに見ていくと、時代の技術や動力源のトレンドがどれくらいのタイムスパン〜「時定数」を持っているかが分かります。蒸気タービンを回す熱機関そのものは、たぶんあと200年経っても300年経っても残存していることでしょう。 しかし、お湯を沸かす熱源として、薪をくべたり、石炭を放り込んだりするのが花形を務めるのは長くても100年。ガス、石油、あるいは電気と熱源は様々ですが、最も収支の良い産業の花形土台として役割を果たすのは、もってもせいぜい100年内外と見ておく方が、人類史の過去に学ぶとき、妥当と思われるわけです。 こうなると、いままで五十余年の運転を誇ってきた「原子力」についても、200年、300年後については「稼働」を考えるよりも、ちょうど室蘭本線を最後に走ったSLのように、栄枯盛衰の「枯」や「衰」を考える方が重要ではないか、と思うのです。 つまり、すでに前時代の遺物として経済的にもお荷物に成り下がったオールドファッションの原子力、しかし半減期だけはアホのように長い使用済み核燃料をどうするか、といった問題が、ちょうどかつての植民地のように、各国のエネルギー経済を圧迫する、という現象までは、まず間違いなく起きるとみて外れないと思うわけです。 そんなとき、切り捨てられていくであろうお荷物の拡散や飛散などをどのように・・・大げさでなく「孫子の代まで」守っていくか、そんな叡智が間違いなく問われることになるでしょう。 滅びゆくSL・・・まさに間違いなくスチームで動いています。まあロコモティブではありませんが・・・としての原発の寿命は大して長くないと思います。トリウム塩まわりでもバイオマスでも、経済性が高いとなれば、驚くほど現金に人はものをほっぽり出します。 あれだけ苦労して掘ったはずの九州近在の海底炭田、いまや全くペイしない、と坑道に水を入れてしまえば、もう二度と同じ穴は使うことはできません。 でも維持コストの方が高くつき、結局永遠にさようなら、となってしまう。そんな栄枯盛衰は、実は人間の一生と大して変わらない、70年とか100年で回転しているのです。 超伝導現象が発見されてから、その基本的なメカニズムが知れるまで約半世紀。それと同じ程度の時間があれば、社会の動力源は十分、大きく推移して、全く違うものになっていて不思議でありません。 そういう、グローバルに歴史全体を俯瞰するような観点を、あまり見ない気がします。そういうスケールで放射能を「正しく怖がる」話を、東大内の仕事として、いろいろ考え、アクションしてもいるのですが・・・。 このあたりのお話はまた、プロジェクトが具体化したらお話しすることにして、再び超伝導現象の理論的な解明に話題を戻すことにしましょう。 (つづく)
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