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放射能放出を続けるアメリカの廃墟 とは長崎原発のプルトニウムを製造したハンフォードサイトのこと。今の福島第一原発は同じような状況になりつつある。
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http://vogelgarten.blogspot.jp/2011/07/blog-post_16.html
米国プルトニウム製造所跡ハンフォード・サイト
これは3月の福島原発事故発生直後に、ドイツ 「シュピーゲル・オンライン」 (Spiegel-Online) に掲載された記事です。あまりにショッキングな内容だったので、さすがの私も当時は紹介する気になれなかったのですが、とーしさんとyuukoさんから鎌仲ひとみさんの映画『ヒバクシャ』にもハンフォードのことが出てくると聞き、シュピーゲルの記事も翻訳してご紹介しようと思いました。
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放射能放出を続けるアメリカの廃墟
原子力時限爆弾
福島の原発が爆発して以来、世界中が原子力発電所の安全再確認に専心している。しかしアメリカの北西部には原発とは別の心配の種が存在するのだ。 元プルトニウム製造所ハンフォード・サイトである。冷戦時代が後世に残した西半球で最も放射能汚染の激しい区域。この場所の 除染が終了するのは2052年とされている。
生まれてきた子羊には目や口がなかった。足がグロテスクにくっついているものもあれば、まったく足のない子羊もあった。多くは死産だった。一晩だけで31頭の子羊が死んだ。 時を同じくして牧場では足を天に向けて牝牛が死んでいた。さらにその近くの川では、ヤカマインディアンが目の三つあるシャケを釣り上げた。マスは全身が癌の腫瘍で覆われていた。
そしてやがて赤ん坊が病気に罹るようになっていった。
こうした気味の悪い出来事に初めて農夫ネルス・アリソンが気付いたのは1962年春のことだった。「いったいここで何が起こってるんだ!?」 と妻に尋ねた。アメリカ北西部の最先端コロンビア川沿いの片田舎ベイシン・シティにあるアリソンの農場では、何か異変が起こると 必ずまず子羊に症状が表れるものだった。子羊の大量死したこの夜のことを、アリソンは ”小悪魔の夜”と名づけた。
そのアリソン夫妻もこの世を去って久しい。しかし異変は今でも進行を続け、その記録は1993年「原子力の果実」(Atomic Harvest) という題名の本の中で暴露された。この本は米国のプルトニウム製造所ハンフォード周辺で目撃され、今日に及ぶまで住民達の間にとてつもない不安を広めている何千という怪奇談を紹介している。
ハンフォードは米国の原子力原罪の地である。シアトルから車で4時間、1518平方キロメートルという膨大な施設で、かつてアメリカは冷戦時代のほとんどすべての核兵器材料をここで製造 していた。製造所は1988年に閉鎖されたものの、あとには西半球で最も放射能汚染の激しい土地が残ったのである。先日、エネルギー省は米国史上最大の環境浄化計画であるハンフォード・サイト除染の予想終了年の見直しを行った。除染が完了すると予定される年はさらに遅れて、2052年秋とされた。施設誕生から108年以上も後ということになる。
長崎原爆用のプルトニウムを製造
今回の日本の原発事故は、再び我々の眼を、この冷戦の遺物ハンフォード・サイトに向けさせることになった。しかもこの汚染地域の片端には、現在でも稼働中の原子力発電所が存在するのだ。地震多発地帯であるアメリカ北西部における唯一の原発だ。「地震はハンフォードにとって大きな脅威です」と語るのは、環境保護グループ”ハート・オヴ・アメリカ・ノースウェスト ( Heart of America Northwest )”の執行部長ゲーリー・ポレである。しかしそんな不安に対して、ハンフォード周辺の住民達はただ溜息を漏らすほかない。彼らの祖父母達は、生涯汚染や被曝と闘い続けてきたのだ。流産、先天性異常、稀有な小児病。農婦ホアニータ・アンドリュウスキーは60年代に、”死者達の地図”の作成を思いついた。心不全による死者には十字架を、癌による死者には円形を記入する。間もなく地図は十字架と円形でびっしり埋ってしまった。「ハンフォードは冷戦の歴史の中で最も人類にとって悲劇的な一章でした」と当時の内務長官スチュワート・ユードルは語る。
ハンフォードに9基の原子炉が建設されたのは1943年のことである。それはギガントマニー(巨大趣味)に取り憑かれたようなプロジェクトであった。今日それらの原子炉は、大草原にうち捨てられ石化した恐竜のごとき姿をさらしている。その中の原子炉Bは、そのモデルで初めて世に現われたものだった。この原子炉B の中で、マンハッタン計画のためのプルトニウムが超極秘裏に作られたのだ。その中には、1945年7月16日ニューメキシコで爆発に成功した人類史上初の原爆と、そして”ファット・マン”と命名され、1945年8月9日に長崎に投下された原爆とが含まれていた。その後何十年もの間、ハンフォードでは米国の核兵器のためのプルトニウムが製造され続けた。西側世界の自由はハンフォードに掛かっている。そのように言われたのだ。そしてそれは人間の命よりも重要だとされたのだった。
汚染牛、汚染ミルク
ハンフォードの労働者達には、その功労を讃えるためにキノコ雲をデザインした記章が授与された。キノコ雲はまた、近郊の町リッチランドのフットボールチーム”ボンバーズ”のマスコットでもあった。 皮肉なジェスチュアである。近郊のリンチランド、パスコ、そしてケネヴィックの農家や住民は、今日に至るまで、地球上で最もひどい被爆者のうちに数えられると言うのに。実際被害状況は惨憺たるものである。52件の建物が汚染され、622キロ平方メートルに及ぶ土地が居住不可能となった。また20万4千立方メートル積み上げられた高濃度放射性廃棄物は全米の核廃棄物総量の三分の二を占める。2億1千6百リットルの汚染水がヒビの入った貯水タンクから地下水に漏れ出し、10万本以上の使用済み燃料が半壊したプールに溜め込まれ、4万3千立方メートルの汚染砂と72万リットルの硝酸が土を汚染し続けている。施設で使用される冷却水はコロンビア川から汲み上げられ、1971年までは極秘のうちに、ほとんど除染されないまま再び川に廃棄されていた。その汚染は、後に、コロンビア川が太平洋に注ぎ込む500キロ先においても検出された。汚染された川魚は主にインディアンの主食であった。また施設から定期的に放出された放射能雲は、風に乗って近隣のオレゴン、アイダホ、モンタナ州やカナダにまで届いた。 ”死の灰”の脅威にされされた”風下組 ( Downwinder)”は、とりわけ初期の1945年から1951年にかけてヨード131の汚染を受けた。それはやがて家畜、ミルク、卵といった食料サイクルを汚染していくことになったのである。
年間除染費用20億ドル
それだけではない、何千人という作業員や住民、農家が、一部は故意に、被曝を受けさせられたのである。実験目的のためだった。 1949年12月3日ハンフォードの物理学者達は当時世界一大きかったプルトニウム工場の煙突から、高濃度の放射能雲を拡散させた。それは後のスリーマイル島原発事故によって放出された線量の千倍を越すかと言うほどのものだった。実験は”グリーン・ラン ( Green Run )" と名付けられ、死の灰はカリフォルニアにまで届いた。人々は突然一斉に病気の発生したことに驚いた。ハンフォードで生まれた赤ん坊の中には、被曝量がチェルノブイリの子供達の二倍に達するものもあっことをフィールドワークは示している。
農家の息子トム・ベイリーは1949年当時二歳で、野原で遊ぶのが好きだった。”グリーン’ラン”実験の後、彼は身体が麻痺するようになり、後には証言能力を失うことになる。彼の家族は全員癌で死亡した。それにも関わらずトム・ベイリーは1986年地元の新聞”スポークスマン・レヴュー”紙に務める不屈の女性記者の協力を受けて、徐々に真実を突き止めていくことに成功した。米国の被爆者達による政府を相手にした何十年も続く闘いの始まりだった。彼らは政府を法廷に立たせ、釈明を求め、ハンフォードの秘密書類を公開するよう要請した。集団訴訟は今日まで続いている。
1988年、ハンフォードは停止され、膨大な除染活動が開始された。それは今日まで続いている。 ワシントン政府は、”人類史上最大の処理作業” とあたかも誇らしげに表現する。その除染には、今でも年間20億ドル以上の費用が掛かっている。2013年の予算では、29億ドルが見積もられている。ずさん工事や後退、事故などが絶えず起こるのだ。作業開始から20年を経た2008年には、ようやく行程の半分が終了しただけだった。9基の原子炉のうち今まで ”石棺”で囲むことに成功したのはたったの4基。外部区域は遅くとも2020年に、タンクは2047年末に除染が完了する予定である。それでもさらに、稼働中の原子炉が残る。1984年に始動したこの原子炉は、米国中で最も安全性が危ぶまれているものである。福島原発事故後、原子炉を所有する Konsortium Energy Northwest社は、非常用のバックアップは幾重にも敷かれており、マグニチュード6.9の地震にも耐えられることを主張して、住民を安心させようとしている。昨年ハンフォード一帯では210回の地震が記録されたが、そのうち最大のものでもマグニチュード3.0 だったと言うのだ。しかし環境保護者はそんなことでは納得しない。漁業協会PCFFA会長グレン・スペインは言う。「ハンフォードはこれからも放射能の惨事に脅かされ続ける。まるでチクタク言う時限爆弾みたいなものだ」。
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