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東京電力福島第1原発(2011年3月21日)
メルトダウンした日本―船橋洋一氏インタビュー(上)
http://realtime.wsj.com/japan/2013/03/07/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E2%80%95%E8%88%B9%E6%A9%8B%E6%B4%8B%E4%B8%80%E6%B0%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC/
2013/03/07 6:45 pm THE WALL STREET JOURNAL
日本と世界を震え上がらせた東京電力福島第一原発事故から間もなく2年。戦後日本の最大の危機となったこの事故で、日本はいったい何を学んだのか。日本は何を教訓とすべきなのか。政府から独立して事故を調査した「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)のプログラムディレクターを務め、近著『カウントダウン・メルトダウン』に事故のさまざまな内幕を克明に記したジャーナリストの船橋洋一氏に話を聞いた。
──『カウントダウン・メルトダウン』の中で、福島第一原発事故の危機は日本の「国の形」と日本の「戦後の形」を問うた、と書かれています。個々に見てみれば、自衛隊や第一原発の吉田昌郎所長率いる最前線の現場など組織的にうまく対応できたところもありました。しかし、日本政府としては危機管理は全然できていなかったとみているのですね。
そうですね。結論から言いますと、変な日本語ですが、部分最適解は出せるのですが、全体最適解というのがなかなか出せないのですよ。みんなそれぞれ司司(つかさつかさ)で一生懸命頑張って、司司にとっての一番の最適の解を求めるのです。その組織にとって何が一番必要なのか、何を一番やらないといけないというところについて凝集力もあるし、一生懸命頑張るのです。
しかし、全体としてどうか、という問題があるのです。全体を見て、何をどう動かすか、優先順位をどうするのかというゲームプランを作って、実際に実行する。そこがものすごく弱いのではないかなと思いましたね。
結局、いざ危機の時にどういう風にリスクをとるのかということに行き着きます。平時と違って、有事にはリスクをテイクしないといけないのです。しかし、官僚組織は基本的にリスク回避です。
そして、みんな部分最適解ですから、どこに一番必要な資源と人員がいて、それをどう組み合わせて、どう動員して、一番いい形で対応できるかです。これはガバナンスの問題です。権限と権力のあり方の問題です。それから最後に、それを本当にやるには、人の要素があって、いくら制度をつくっても、いくら手続きを綿密に作っても、最後はやはり人なのです。良いガバナンスを動かすかどうかは、リーダーシップなのです。
リスクとガバナンス、そして、リーダーシップが一番問われました。
──福島の原発事故には、民主党政権の下、菅直人首相をトップにして対応に当たりましたが、その3点が駄目だったということですね。
菅さんが駄目だった、民主党が駄目だったというのは、少しやや決め付けです。では、あの時、麻生(太郎)さんだったらどうか、自民党だったらどうだろうか、と。ほとんど変わらなかったか、むしろもっと駄目だったかもしれない。こんな比較をしたって意味がないし、科学的でもないです。ただ、国民は自民党政権だったら、もっと東電と癒着しているとみたでしょう。癒着していても、事故対応がうまくいけばいいのではないか、ということもあるかもしれないが、それは国民の目にどう映るのかということは別問題です。
実際問題として、1号機が爆発しました。1号機の何が爆発したのか。本当に爆発なのか。あるいは何なのか。東電は3月12日午後、報告がすごく遅れました。自民党政権だって、これは同じです。
ということを考えると、民主党、自民党論というのはあまり意味がないのではないか、と思いました。
同じように14日の夜から15日の未明にかけて、東電が撤退だというような情報が流れてきました。菅さんはガバっと跳ね起きて、「なんだ、それは許せない」と午前5時35分に東電に乗り込んでいきました。自民党政権だったら、これをやっていたでしょうか。多分やっていませんね、これは。そうしますと、もっと東電になめられた可能性がありますね。
そこは菅さんだからこそ、やったのではないでしょうか。これはハイポセティカル(仮定上)なので、あまり語っても意味がないのですが、私は直感的にそう感じています。
──本の第16章「最悪のシナリオ」では、政府は「国民の生活をすべて守れない」といった首相談話まで用意されていたことが書かれています。これを知った誰もが衝撃を受けたと思います。本の題名にも「メルトダウン」という言葉がありますが、日本が国家として本当に破たん寸前、いや既にメルトダウン、つまり、破たんしていたのか。どのくらい危機的なものだったのでしょうか。
「これはどこまでいくのか、底は何なんだ」。これは細野(豪志)さん=事故当時、首相補佐官=の言葉ですけれども、当時、それは誰も分からなかったと思いますね。私も分からなかったですし、ほとんどの政府で担当している人も分からなかったと思います。
それを彼らが必死になって探ろうとしたのが14日の夜からでしょう。1号機と3号機が既に駄目になり、2号機がいよいよ駄目になってきた、と。3ついってしまって、その後、どうなってしまうのか、と。実際、そこで終わればともかく、4号機の燃料プールまでいってしまうのではではないか、と。
燃料プールがいった時には、もっとものすごいコアコンクリート相互作用が起きるので、放射能の放出量が半端じゃなくなる。そういう時は全員撤退で、東日本を失う。この辺の最悪のシナリオへの恐怖感というのは、本でも枝野(幸男)さん=事故当時、官房長官=の恐怖感を書いたりしましたが、官邸のど真ん中にいた人々は持っていたと思いますよ。しかし、国民は分からなかった。私も1人の国民として知らなかった。ですので、はっきり言って、あの「最悪のシナリオ」を知った時は衝撃でした。民間事故調をやっていて、一番の衝撃は最悪のシナリオを知った時ですね。
一応、菅さんが辞めた後、口走ったのです。しかし、あまりみんなフォローしなかった。12月末に、不測事態のシナリオという最悪のシナリオを民間事故調を入手したのです。「これはいったい何なのだ」「誰が作ったのか」「どんなチームが裏でやっていたんだ」「これをどう使おうとしていたのか」「官邸の中で誰と誰が知っていたのか」。こうしたことを全部調べないといけないことになった。必死になって、近藤(駿介)=原子力委員会委員長=さんらの話を聞けたので、一応、最悪のシナリオの経緯を報告書発表の締め切りに間に合って民間事故調だけ書くことができました。政府事故調も国会事故調も触れていません。
──政府サイドとしては「最悪のシナリオ」を隠し続けたかったのですかね。
政府サイドとしては、細野さんはずっと隠すということを思っていました。墓場まで持っていく、と。ところが、菅さんがしゃべってしまった。
──本の冒頭第1章では、原子力保安院の保安検査官4人が事故直後に福島第一の現場から敵前逃亡したことに触れています。こんなことが許されていたのですね。
政府事故調も報告書でやや批判的に書いたけれども、これに焦点を当てたものは一個もないのです。私はそれに非常に不満がありました。政府批判のなかで一番、批判されなくてはいけないのはここでないか、と。やはりそういう発想にならないのは、戦後の日本で、国をいったい誰が守るのか、というぎりぎりの部分、安全保障国家としての国家像が欠けているのではないか、と思いました。僕は右翼でも保守派でも何でもないけれども、率直そう思いました。
調べてみると、臨界が起きるのではないかとか、ありとあらゆる口実を言って、逃げちゃっている訳ですよ。彼らだけでなく、黙認した保安院にも責任があるし、それをまた黙認した当時の海江田(万里)経産相にも責任があるのではないか、と思います。
私が調べてみて、へぇっー、そういうことだったのかと思ったのは、保安員も含めて、オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)に逃げ、そこからまた、福島県庁に逃げた。
14日夜9時半ぐらいから15日の昼にかけて、政府の職員たちをみんな逃がしている。その一方で、同じ頃、菅さんは東電に乗り込んで「お前ら、死ぬ覚悟でやってくれ」と言っている。いったいこれは何なのか。これは絡んでいるのです。絡んでいることを意識していたのかどうか。どういう風に解決しようとしたかどうか、知りたかったのです。それを調べたら、気づいたんです。
保安検査官の逃走というのは、一種の規制体制、規制レジームのメルトダウンだったと思います。
──米国もこの事実を聞いてびっくりしたとのことですね。
米国のNRC(原子力規制委員会)の2人に聞きましたが、2人ともびっくりしていて、「信じられない。アメリカだったら、完全に首だし、はっきり言って監獄行きだね」と言っていました。
米国の保安検査官というのは、家族と一緒になってプラントの近くに住むのです。家族の命もかかっているから、死に物狂いで安全を守るのだと言っていました。
──これは誰か責任をとったのですか。
誰もとっていない。とっていないのです。
──保安院がなくなり、責任問題が消えてしまったのですか。
保安院がなくなったんでしょ、過去の話ですね、と言うわけですね。典型的な霞ヶ関の生存術ですよ。
トカゲの尻尾きりです。経産省がつぶされるかもしれないという瀬戸際でしたから、保安院を人身御供(ひとみごくう)にして(経産省は)逃げたということです。
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国を守る気概のない日本―船橋洋一氏インタビュー(中) http://bitly.com/WOjDaB
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船橋洋一 (ふなばし・よういち) ジャーナリスト
元朝日新聞のアメリカ総局長、主筆。2010 年末に朝日新聞を退社後、一般財団法人「日本再建イニシアティブ」を設立。「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」が同財団の最初のプロジェクトとなった。
記者: 後藤 浩祐
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