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投稿者msehi
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1951年の『西鶴一代女』、『雨月物語』(52)、『山椒大夫』(53)とヴェネチア映画祭で前人未到の三年連続国際賞を受賞した溝口映画は、その作品の時代を超えるモダニズムから、今も世界で絶賛されている。
『雨月物語』では、ラストで決定的な取り返しの付かない過ちを犯した男が家に帰ってくるが、家には妻や息子がおらず荒れ果てている。
困惑した男は家を一回り探索すると、彼の心に描いていた妻が料理し、その横で息子ぐっすりと眠る平穏で幸せな過去に踏み込むことができ、どんな時も男に忠節を尽くしてくれた妻が何も言わずにあたたかく向かい入れてくれる(注1)。
しかし目が覚めると、妻は既に亡くなっており、失ったものの大きさを悟るのである。
そして男は妻の墓前に許しを請い、妻の願いでもあった焼物の正業に只々地道に取組むのであった。
すなわち溝口映画はこの男の体験を通して、人間とは何か、人間にとって大切なものは何か、さらには人間の現在と過去、そして未来の在り方を溝口健二(注2)のストイシズムで提示しており、それがまさに時代を超えるモダニズムである。
この溝口映画を見た限られた世界の市民は彼のモダニズムを絶賛しているにもかかわらず、世界は貧困の拡大、核戦争危機、地球環境危機を益々深刻化させ、享楽的に欲望を肥大化させている。
特に日本では多くの人たちが住まいを追われるという悲惨な福嶋原発事故を起こしたにもかかわらず、安全性だけでなく経済的にも破綻している核燃料サイクル計画が結局見直されず、敦賀原発の活断層報告でも事前に情報が当事者の日本原電に漏らされており、相変わらず全く反省が見られないなかで「原発再稼動宣言」が先月2月28日に国会でなされている。
こうした日本の現況を溝口映画に見るならば、決定的な過ちをした男が家(現場)を一回りするだけで過去に回帰し、忠節を尽くす妻(国民)に反省もなく調子のよい言訳に終始し、一夜明けてみると現実は妻が死んでいるにもかかわらず、以前にも増して原発稼動で原発ルネッサンスを夢見、インフレターゲットで為替相場に金欲をつのらせる姿が見えてくる。
そのような姿は、誰が見ても“人でなし”以外の何者でもない。
しかも溝口映画のストイシズムな告発は、日本伝統美を結集して緻密に造られたセットで、従来の短いカットを積み重ねて制作する映画の定石に反して、ワンシーン・ワンカットの長回し手法で移動撮影及びクレーン撮影を駆使して自在に見る側に迫ってくることから、一層重厚に心に突き刺さってくる。
さらに、そのような繊細な制作故に世界で最も美しいと絶賛される溝口映画は、著作権期間が過ぎており、海外ユーチューブなどで瞬時に教材のように選び、無料で自由に鑑賞できる。
まさにこのような教材は、市民の心を磨く貴重な財産であり、市民に拡げていけば、脱原発の実現だけでなく、世界を本質的に変えることも決して難しくはない。
下に溝口映画の代表作の海外ユーチューブ動画を貼り付け、私なりの短い説明を書いておくので、時間のある時に是非見て、賛同すれば溝口映画を拡げて欲しい。
『雨月物語』
戦乱に乗じた陶工源十郎の果てしない欲望、その欲望が呼び寄せる美しい亡霊若狭姫との官能的情事、平和とささやかな家族の幸せを希求して夫源十郎の帰りを待つ妻宮木の惨殺等を通して、人間の愚かさ、あり方が美しい映像で見事に描かれる。
『西鶴一代女』
かつて御所勤めで華やき、大名の側室として嫡子を産んだお春が、純真に生きようとする故に様々な遍歴の末、年老いて娼婦に身を窶す。しかしお春は悔やむことなく前向きに生きる。ラストの諸国を遍歴していく姿が、この映画のすべてをポジティブに美しく変えていく。
『山椒大夫』
不条理な運命に巻き込まれていく弟厨子王と姉安寿は、母との道中でさらわれ、山椒大夫の下で奴隷として働かされるが、常に前向きに生きる。逃亡の際姉の犠牲で厨子王は生き延びる。後に領主になった厨子王は、佐渡島で筵の上の盲目の母と再会し涙するが、この涙は困難を乗り越えた幸せの涙である。
『近松物語』
京の大径師屋の無垢な若い後妻が、夫の浮気などから忠義で純真な手代茂兵衛と引かれ合っていき、不義密通の罪を犯す。しかし馬の上に縛られた二人は、「あんな明るい顔みたことない」と知り合いから言われるほど、晴れ晴れしく死の場所、刑場へ向かっていく。
(注1)ここまでがワンカットであり、ヌーベルバークの旗手ジャン・リュック・ゴダールをして「映画の奇跡だ」と言わしめた程有名なショットであり、カメラが一回りすると、現在の廃墟から囲炉裏の火がつく幸せな過去に踏み込むことができるのである。
(注2)溝口健二は1920年に日活に助監督として入社し、光と影を重視したドイツ表現主義映画に学び、1923年には『カリガリ博士』を手本とした『血と霊』を制作し、35年制作の『折鶴お千』も強くその影響が窺える。そのようなドイツ表現主義を学ぶ試行錯誤のなかで、溝口独自のリアルなリリシズムの映像を切り拓いて行ったと言えよう。
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