01. 2013年3月09日 00:31:14
: sDksu9jb2U
誤解して抜け出せなくなった班目氏 元原子力安全委員会委員長、班目春樹氏の証言(第2回) 2013年03月07日(Thu) 烏賀陽 弘道 前回(「班目氏が認めた事故対応の失敗」)に引き続き、3.11当時の原子力安全委員会委員長だった班目春樹氏(元東大教授)へのインタビューの模様をお届けする。 『証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?』(岡本孝司著、新潮社、1470円、税込) インタビューの直接のきっかけは、2012年11月、3.11当時を振り返った回顧録『証言 班目春樹』(新潮社)が出版されたことである。本書には、政府中枢で福島第一原発事故対応に関わったキーパーソンの証言として、非常に貴重な内容が含まれている。新潮社の説明によると、この本は班目氏の話を教え子である岡本孝司・東大大学院工学系研究科教授ら数人が聞いてまとめたものだ。著者は岡本教授になっている。
原発事故や住民避難対応の失敗について、班目氏にはバッシングに近い激しい非難が加えられてきた。だが、本人に取材して言い分や反論を聞いた報道がほとんどない。インタビューを通して、班目春樹・原子力安全委員長から3.11はどう見えていたのかを明らかにする。 (このインタビューは2013年1月11日午後、東京・矢来町の新潮社の会議室で行われた) 直流電源は生きていると誤解していた ──(前回掲載分のインタビューで)班目先生は、10条通報、15条通報を受けて何点か誤解し続けたとおっしゃいました。それはどういうことでしょうか。 (筆者注:原子力災害対策特別措置法の第10条通報が福島第一原発から官邸に来たのは3月11日15時42分。第10条は原子力防災管理者の通報義務を定めている。続いて16時45分に15条通報が来る。15条通報は全電源を喪失した、冷却不能になったことを知らせる緊急事態の通報。ここが住民避難の開始になるはずだった) 班目春樹氏(以下、敬称略) 「1つは、我々もそういう場合に調査員の方々を、緊急助言組織のために集めなければいけないのですが、それを一斉メールでやったところ届かなかったんです。私にメールヘッダーの一部が届くだけだった。だから通信網が途絶しているのではないかと思った。現地の免震重要棟と東電本店との間の情報回線が、非常に細くなっているのではないかと誤解した(注:実際はテレビ会議ができたくらいの回線があった)。現地に行って確認するまでずっと誤解し続けていました」 ──菅(直人)首相と福島第一原発の視察に行かれた時ですね。 班目 「だから『現地は何かやっているのだろうが、保安院に入ってくる情報は非常にあやふやなものになっているのではないか』と思い込んでいました。あと『全交流電源喪失にはなってしまっているが、バッテリーはまだ生きている』と(誤解して)思ってるんです。『直流電源はある』と思い込んでいるんです。なんとなく『バッテリーは水をかぶっても水が引けば生きているだろう』と。だから『直流だけで、今しのいでいる状態だろう』となんとなく思い込んでいました」 ──「なんとなく」とおっしゃるのは「根拠はないが、そう信じこんでしまった」ということですね。 班目 「それが2番目の誤解です。あといくつか誤解はありますが、そんなことから保安院も情報がなくて困っているだろうなとなっています」 15条通報は「念のためのもの」だと思った ──理解に苦しんだことを申します。「15条通報が来た」ということは「原発に電気が全く来なくなって、孤立している」ということですよね。ということは「冷やす手段はない → 炉心が溶ける事態までに進む」と15条通報の時点で想定できたのではないですか? 班目 「その時は直流電源は生きていると誤解していた。さらに、例えば1号機だったら自然循環でバルブの操作さえすれば、なんとか全交流電源喪失でもしのげるんですよ」 ──1号機はそうです。でも、2〜3号機はどうですか。 班目 「2号機、3号機はRCIC(原子炉隔離時冷却系)で、炉の蒸気を使ったタービン駆動です。これは実際に動いていたわけです」 ──電気がなくても、原子炉が出す蒸気の力で排気タービンが回ることになっている冷却装置ですね。 班目 「はい。まあ、直流電源がないと制御できなくなってふっ飛んでという、最悪のシナリオを本当は考えなければいけないんですけど。それからアイソレーションコンデンサ(IC)の方は、実際にはバルブが操作できなくなって駄目だったのですが、私は直流電源が生きていると信じ込んでいます。『15条通報=メルトダウンに至るような重大な事象だ』と思うべきだったのかもしれませんが、どこかの時点で『これは水位が見えないので、念のための15条通報だ』と聞かされてしまっているんです。だからこれは『深刻な15条通報ではなくて、念のためのものだ』と誤解しました」 福島第一原発が発した第15条報告のファクス。「該当する事象の概要」として、「1、2 号機の原子炉水位の監視ができないことから浸水状況が分からないため、念のために 『原災法15条』に該当すると判断しました。」と書いてある(赤線で囲んだ部分)。 拡大画像表示 ──それは誰が先生にそう言ったのですか?
班目 「もともとは東電が出した15条通報の用紙に『水位が見えないために念のため』と書いてあったと思います。これは多分公表されていると思いますよ」 ──それは東電本店から来た用紙ですか? それとも福島第一原発から来たものですか? 班目 「当然フクイチ(福島第一原子力発電所)のサイトが出すものだったと思います。とにかくそういうことが書かれていたので、私はむしろ『これは念のためなんだ』と思い込んだ。『計器の故障で水位が見えなくなっているけれども、なんとか冷却はできている』と。そして『バッテリーは8時間もつから、その間に電源車などで充電できればなんとかなるのではないか』と。そこは大きな誤解を私はしましたね」 電源車を要請されてもなぜ直流電源が生きていると思ったのか ──最終的に直流電源もないと気がつかれたのは、どの時点だったのですか? 班目 「ものすごくあとです。現地に行った時で、愕然としています。疑い出したのは、3月12日の夜中1時くらいに『1号機の格納容器の圧力が高くなっている』と聞いた時です。何かおかしいなと。私は第1回の原災本部会合のあと官邸から4号館(原子力安全委員長執務室)に戻るのですが、9時頃に再度呼び戻されて、そのとき『実は2号機のRCICが止まっている』という話が出た。そこで私は『8時間くらいバッテリーはもつと言っていたけれど、6時間ほどで切れてしまった。なのでRCICが止まった』と誤解します。常識として『注水機能がなくなると3時間くらいが勝負で、その辺から溶け出す。そういうシナリオだろう』と思っているんです」 「ところが今度は1号機の格納容器の圧力が高くなったと聞いて、格納容器内の圧力は、炉心が溶けてすぐに高くなるわけではないんです。ということは、何か説明できない現象が起こっているのではないかと、ものすごく不安になりました。冷静に考えれば実際には夕方の6時か7時くらいには溶け出していってますから、夜中の1時くらいに格納容器の圧力が高くなるのは当たり前なのですが。そう思っていないわけですから」 (筆者注:インタビューを終えて記録を点検する段階で、この部分に疑問が生じたので、班目氏にメールで再質問した。翌日回答があった。次の一問一答部分がそれ) ──「直流電源は生きていると誤解していた」と班目先生はおっしゃいました。福山哲郎・官房副長官の回顧録を見ますと「11日19時41分のあと、首相官邸で武黒フェローから『電源車が欲しい』と要請があった」という記述があります。直流電源が生きているなら電源車を要請する必要はないように思えます。ならば、班目先生は、この武黒フェローの要請を知らなかったと理解してよろしいでしょうか。このあと福山哲郎官房副長官はじめ官邸は電源車の確保に必死になります。これも班目先生はお気づきにならなかったということでよろしいでしょうか。気づくチャンスはなかったのでしょうか。 班目 「直流電源とは要するに電池(バッテリー)ですので、せいぜい8時間しかもちません。したがって充電する必要があります。それには電源車が必要なのです。 また、直流電源では照明や計測器しか動かせません。それに対し電源車があれば高圧ポンプは無理だとしてもいくつかの機器は操作できます。直流電源が生きているとしても電源車の確保は急務なのです」 「私は11日20時頃、自室に戻った際に、東電が自衛隊に電源車の空輸を依頼したことを認識しています。武黒フェローから官邸への電源車の空輸要請は11日19時41分よりもうちょっと前だったのではないかと思いますが、私はそのことをよく承知していました」 「なお私は、3月12日に菅総理との現地視察に行くまで直流電源は生きていると誤解していたわけではありません。津波襲来直後の時点では直流電源だけは使えていて、11日21時の時点で電池切れとなったと誤解していたのです。現地に行く時点ではすでに電池切れとなって8時間以上経過し、非常に危険な状態になっているということはよく理解していました」 ──班目先生は「武黒フェローが電源車を要請していること」は後からお知りになった、ということですか。それはいつ、どの時点ですか。 班目 「前述の通り、遅くとも11日20時頃に自室に戻る前であり、ひょっとしたら第1回の原災本部会合の前かもしれません」 (再質問部分終わり。インタビューに戻る) 落ち着いて議論できる相手は誰もいなかった ──前提の誤解がいくつもあったから、辻褄が合わないのですね。 班目 「そして誰も相談できる相手がいません。変だ変だと自問自答している状態が続くんですね」 インタビューに答える班目春樹氏(筆者撮影) ──「相談すべき相手」とは例えば誰なんでしょうか?
班目 「難しいですね。やはり専門家が2〜3人いれば。一度思い込むと、なかなかそこから抜け出せないんですよね。例えば『ひょっとしてバッテリーも最初から駄目だったんじゃないか』と誰かが言うと『ああそういう可能性もある』『だとしたらこうだ』とか。ところがそういう議論ができない状態でした」 ──なるほど。 班目 「その時官邸の中2階に集まっていたメンバーでそういうディスカッションができる相手は、武黒さん(武黒一郎氏・東京電力フェロー)しかいなかったですね」 ──その武黒さんにしても、出たり入ったりで、つかまらない。 班目 「とにかく政治家に言われて本店に電話して、一所懸命情報を集めることばかりやっていましたから。落ち着いて議論できる相手が誰もいない状況が続くんです」 ──先生ほどの原発の専門家をしても、他の人たちと議論して意見を交換してみない限り、気がつくことは難しいですか? 班目 「一度思い込んでしまうと、なかなかそこから外れないんです。あとで言われると『ああ当たり前だ、なんで気がつかなかったんだろう』という感じになるんですが」 ──直流電源のことも同じと考えてよろしいですか。 班目 「そうです」 ──先ほどのお話とご著書の『証言 班目春樹』によりますと「15条通報を受けて官邸に原子力災害特別対策本部が立ち上がった。委員長執務室を出て、官邸に向かったのが17時40分ごろ」と記載されています。この時海江田(万里・経産相)さんや武黒さんは首相執務室にいた。しかし班目先生は『すぐに御用済みになって首相執務室から退出した』と書いておられますね。なぜでしょうか。 「これは私の生の記憶ではないのです。が、絶対確かなのは、到着するなり平岡さん(注:原子力安全・保安院次長の平岡英治氏)が助けを求めに来たこと。そのあと総理執務室に連れていかれるんですよ。そして行ってはみたものの『武黒さんがもうすでにやっている』ということで『もう私の出る幕ではない』というので、さっと引っ込んだということらしいんです」 ──では平岡さんとは首相執務室で会われているんですね。 班目 「私は本部会合が絶対あると思っていたので、4階の会議室の外の廊下でずっと待っていたんです。そうしたら助けを求めに来られて一度行って顔を出した。が『東電と直接やっているので、お呼びでない』という感じで引っ込んだと」 ──その間に武黒さんから原子炉の状況について教えてもらうことはできなかったのですか? 班目 「難しかったというか、武黒さん自身もその時は何も分からないまま官邸に行かせられていて、現地の情報をほとんど持っていなかった。『とにかく電源車が緊急に必要だ』という状況だったと思います」 日本の原災法が想定している事故は規模が小さい ──私が取材した中に、四国電力で原発運転をしていらっしゃった技術者の松野元さんという方がおられます。2007年に『原子力防災』という本をお書きになっておられます。それを読んでびっくりしたのですが、この本には3.11のずっと前に「15条通報が出た時点=全電源喪失の段階で、メルトダウンに至る最悪の事態を想定して、住民の避難を始めよ」と書いてあるのです。どう思われますか。 班目 「だろうと思います。本来はそうあるべきなんです」 ──うーむ。やはりそうなのですか。 班目 「安全委員会はずっとPAZ(注:Precautionary Action Zone=予防的行動区域=事態が悪化する前にアクションを始めるべきエリア)という考え方を導入したかったのです。住民避難について諸外国ではどういうルールになっているかというと、10条通報、15条通報に対応すると思われる『EAL=エマージェンシー・アクション・レベル』というものがある。まだ『アラート』の段階なのか『サイトエマージェンシー』なのか『ジェネラルエマージェンシー』なのかという3段階、国によっては4段階になっています。アラートの時はまだしも、サイトエマージェンシーになったらこうする。ジェネラルエマージェンシーになったらPAZの人は逃げてくださいというふうに決まっているんです。これは多分IAEAの考え方の下に書かれているから、当たり前の世界標準の考え方だと思います」 ──そうした点も松野さんは『原子力防災』で指摘されています。 班目 「ところがそもそも日本の原災法(原子力災害対策特別措置法)が、JCO事故(1999年の東海村臨界事故)の教訓として作られてしまっていて、それは今回の事故に比べれば非常に小さな事故ですから」 ──確かに、放射性物質の敷地外への放出という点ではJCO事故は福島第一原発事故に比べて規模が小さいです。 班目 「しかも時間進展が遅いというか、ゆっくり逃げてもよいというようなものなんです。そういう時に作られてしまった法律なので、15条通報の条件なんかもごちゃごちゃ書いてあって、正確な定義がはっきりしない。10条通報の方は全交流電源喪失だと思いますが、15条通報の方は原子炉注水不能で多分出されたと思いますが、それに水位が見えないので『念のため』という但し書きが付いていたりする。これ=ジェネラルエマージェンシーに相当するのか、はっきりしないんです。その段階で住民の人に取るものも取りあえず逃げてくださいと言うのは、やはりそれなりの決意がいります。そこがはっきりしなかったので多分ためらいが出てしまったと思います」 ──なるほど。 住民を避難させる実務は原災本部の仕事 班目 「私(原子力安全委員長)の立場から言わせていただくと、15条通報などに伴って住民の避難をさせる実務は、保安院というか原災本部の仕事です。『そうした方がよいか?』と聞かれたら答えます。しかし我々が『全部避難させるべきだ』などと言える立場ではないんです」 ──原災対策特別措置法ははっきり「安全保安院の院長が原災本部の事務局長になる」「避難や事故対策の要は保安院院長である」と決めている。そのことですね? 班目 「そうです」 ──その法律上の事務局長が官邸からいなくなってしまった。これは異常な事態だと思います。先生がおっしゃっていられるのは、それは本来保安院=原災本部事務局がやるべき仕事だと法律が定めている、ということですよね。 班目 「私はそういう聾桟敷に置かれてしまった。なぜかは分からないが総理の執務室には武黒さんが来ている。保安院のメンバーは平岡さんくらいしかいない。どこかで何かやってはいるから、私から見えない所でしかるべきことをちゃんとやってくれていると思ってしまった」 ──そういうことですよね。 班目 「しかも最初の避難に関しては、安全委員会の意見を聞かなくてもよいことになっています。どんどんやればよいのです」 ──最初の避難というのは「原子力災害特別措置法」に基づく3キロメートル圏内の避難ということですか? 班目 「逃げる方にしたら緊急事態なので、安全委員会の意見なんかを聞いている暇はないですよね。だからパッと原災本部長が命じればいいんです。そのあとで戻す時には区域の『変更』になる。その時は安全委員会に『もう大丈夫ですか』と聞いてください。こちらは時間があります。ところが、法律上どんどん広げる場合も『変更』になります。だから安全委員会の意見を聞かなければいけない。これは非常に変な法律です。私も当時ちゃんと理解していなかったのですが。そんな余裕はないのに」 保安院が何もしていなかったことに驚いた ──先程おっしゃった「15条通報で避難を始めるべきかどうか」は先生の立場では意見を聞かれれば答えるが、それは法律で定められた仕事ではない=避難させる法律上の権限がないということですよね。「それは保安院にある」と主張されている。 班目 「そうです。保安院の方でちゃんとやってくださっていると思いたいわけです。だから相談がないことは良いことなのかなというくらいの感じなんです」 ──彼らは法律で動いている官僚だから、当然それに従ってやっているだろうと。 班目 「私なんかを当てにしなくても、ちゃんとやるべきことをやってくださっているんですよねと、思っているわけです」 ──それはどこら辺で「あれ、やってないんだ!」と気がつかれたのですか? 班目 「それは第1回の原災本部会合が終わって、いったん(3月11日)20時頃4号館(原子力安全委員長執務室)に戻って、1時間後にまた呼び戻されるんです。その時までに避難命令も何も出ていない。ところが『住民はどうしたらいいでしょうか』などと聞かれるんです。その頃はもう2号機のRCICが止まっているんだから、これはもう本当に3〜4時間の勝負ですから、逃げるのは当たり前ですよ。PAZが3〜5キロメートルですから、とにかく3キロメートルを逃がしてください、と言った」 ──ここで「あれっ!」ということになったんですか。 班目 「まず第一に『保安院は何もしていなかったんだ』と分かった。第1回の原災本部会合の時も自然災害がほとんどで、電源車がどうのこうのという話になっています。避難の話は何も出なかった。つまりこれは『念のための15条通報だったんだなあ』と。要するに何も情報がないから『ちゃんとしたところがちゃんとした判断で動いているんでしょう』と思っているんです」 ──そういう時に例えば安全委員会のスタッフで、保安院とリエゾン(連絡役)になる人はいないのですか? 班目 「もちろんリエゾン役がERC(Emergency Response Center = 緊急時対応センター)にいます。保安院の対策本部室には安全委員会から事務局員が必ず行って、連絡してきます。私自身がどういう行動を取っているかというと(3月11日)17時40分くらいに4号館を出て官邸でひたすら待って、20時頃に戻ってきてまた21時に出かけていくという。その1時間くらいの間にいろいろ情報を仕入れます。が、保安院がどうなっているかということは、その時は聞かなかったです」 ──その間にリエゾンのスタッフの方々と、携帯電話などでのやり取りは? 班目 「私が直接やるということはほとんどありえなくて、リエゾンの人間が安全委員会にいる事務局員と連絡を取って、それを我々が受けている。あの頃正直にどう思っていたかというと、もう現場は大変だから、こちらから変にいろいろ問い合わせをして邪魔をしてはいけないという思いがありますから、ひたすら向こうから何か言ってくるのを待っているという感じですね」 ──現場とおっしゃるのは保安院にあるERCですか? 班目 「例えばERCが何かをやっているとしたら、やたらに問い合わせはしないで、そこにいるリエゾンからの連絡をひたすら待つ。そうしないと、向こうは向こうで大変なはずだと思っているわけですから。実際は情報がなくて何もしてなかったみたいですが」 ──3.11の対応では、保安院は「麻痺してしまった」というか、フリーズしたまま固まってしまったような印象がありますね。 班目 「私もそう思っています。こういう事故が起きた時にどう行動するかというマニュアルは、きちんとできているんです。ある意味では皆さんマニュアル通りに動かれていて、例えば担当の池田(元久)副大臣はさっさとヘリコプターで現地に入ったし、それに付いて検査課長や黒木(慎一)審議官も現地に入っています。それから予想外に官邸がいろいろ言ってくるから、平岡さんを出したりしていますけど、保安院に一番欠けていたのはトップマネジメントなんですよ。下の人間が自分の役割を放棄するようなことを言い出したら、これは組織としては成り立たないですよね。しかし、マニュアル通りにやってこの事故に対応できるかと考えた場合、明らかにできない状況だった時には、普通どんな組織でも考えることは、トップが事故に合わせて人員配置をやり直さなければいけないんですよ。そのトップマネジメントを、2日間全くやらなかったんです」 ──つまりその場で「危機対応型に組織変更」をしなくてはいけなかった。 班目 「やらなければ駄目です。例えば寺坂(信昭・原子力安全・保安院長)さんは経済が専門だから原子力のことは分からない。平岡さんを出していましたが、彼も電気屋さんなんです。電気屋さんが、炉心が溶けたあとに格納容器の圧力がだんだん上がってきて云々というのは、専門的に無理で。そこには分かる人間を配置するとか、現象に合わせて組織を再配置しなければ駄目ですよね」 ──つまりそれは首相官邸に出す人間も含めてということですね。 班目 「要するに次長云々の肩書きで決めるのではなくて、その人の能力によって適任者を決めなければ駄目です。それをやってくれなかったんです」 保安院は「何時間後にメルトダウンするか」を知っていたはず ──ご著書には「11日午後8時頃、安全委員会の委員長室に戻られた」という記述があります。そのあとしばらくして「保安院のERCから連絡があって、コンピュータで計算したら3時間が勝負だと言われて気を引き締めた」と書かれています。 班目 「まあそれは大体常識として知っています。注水ができなくなったら3時間が勝負ですよ。2時間くらいで露出が始まって3時間くらいから溶け出します。まあ完全に溶け落ちるのにはもっと時間がかかりますが」 ──それは原子炉からのリアルタイムデータがなくても、予想ができることなんですね? 班目 「崩壊熱がどんなものかということと、物が溶けるのにはどのくらいの時間がかかるかということ、これはもう安全工学屋だったら大体分かる。私も大学で教えていましたし」 ──保安院のERCから連絡があったというのは、保安院の職員からではなく、安全委員会のリエゾン(連絡役)の方からお聞きになったのですか? 班目 「全部私が直接受けているわけではなくて、多分ERCのリエゾンから事務局の誰かが受けた電話を、報告してもらったということです。私の携帯にかかってくることはあり得ませんから。その内容はおそらく保安院本体の計算ではなくて、JNES(原子力安全基盤機構=保安院傘下の独立行政法人)の計算だと思います。まあ計算機は回さずにパッと答えていると思いますけどね」 ──こんな広報資料を見つけました。2011年9月2日に保安院がそっと公表してるんです。3.11当時保安院にあったERCのプラント班がJNESに「プラント事故挙動データシステム」を使って今後の動向をシミュレーションさせています。 班目 「ERSSを使うと、どれくらいで溶けるかがすぐ出ますから」 ──そうなんです。この公表資料には「11日21時30分ごろ、保安院のERCプラント班にシミュレーション結果を送った」とある。つまり保安院は、地震当日夜には「これから何時間でメルトダウンするか」を知っていたことになる。 班目 「そうですね、これをまた我々に転送しました。でも21時30分頃ですね。じゃあもっと前だな。だって21時にはまた官邸に呼び戻されていますから」 ──そうなんです。「何時にどこに連絡があったのか」という前後関係がよく分からないのです。もしご存じだったらと思って質問しました。 班目 「ERSSを使った計算結果を、たぶん私は21時前の時点に聞いていると思います」 ──つまりそれは、原子力安全委員会の所に保安院ERCより早く来ていたということですね。 班目 「早く来たのかな? ERCから来たんですよ」 ──ご著書には「午後8時頃に委員会執務室に戻り、午後9時頃にまた官邸に戻られた」とあります。その間に「この連絡があった」と書いてあるので、多分20時30分くらいかなと推測しました。 班目 「そんなものですね、おそらく。だから21時30分だと『うーん?』となっちゃいますね」 21時に冷却系が止まり24時までが勝負だと思っていた ──PBS(プラント事故挙動データシステム)という名前はご存じでしたか。 班目 「はい。ERSS(緊急時対策支援システム)というのはプラントの全情報を使って刻々と予測するシステムで、その中のPBSというのは1つのユニットです。いろいろな条件を入れて挙動を計算するものです」 ──保安院の広報資料はPBSを動かしたと考えていいのですね? 班目 「そうです。ERSSというのは、発電所から送られてくる実際のデータを基に、どんどん今後どうなるかを予測する凄いシステムなんです。そしてその中にはいろいろなユニットが入っていています。PBSだけを使えば実際はどうなっているのかとは別に、仮に注水が止まった場合は何分後に溶け出すかなどが計算できます」 ──PBSはいわゆるシミュレーション計算ソフトです。つまり原子炉のリアルタイムデータがなくても大丈夫ということですね? 班目 「そういうユニットが入っているんです、もちろん」 ──これを使ったということなんですね? 班目 「もちろんそうです。現地からのERSSの情報は切れていますから、ERSSの形では使えっこないんです。だからPBSで使うしかない」 ──私はPBSを設計された方にも取材をしました。班目先生の東芝での先輩でした。永嶋國雄さんという方です。ご存じですか? 班目 「いや、ちょっと存じません」 ──そうですか。永嶋さんによると、PBSは1990年代からJNESが開発していたそうです。班目先生は3.11の前からPBSのことはご存じだったんですか? 班目 「ERSSがどういう仕組みのものであるかはよく知っています。その中にPBSが入っていることは、これを使えばある条件になった場合その後どうなるか予測、計算できることを含めて当然分かっています。でもまあ、逆に原子力安全に携わっていると、それを使わなくても3時間が勝負だということは常識です」 ──それは松野さんもおっしゃってました。つまり原子炉のリアルタイムデータが来ない状況でも「メルトダウンまであと3時間だ」と頭で計算できるということですね。 班目 「だからもう一度自分の知識を確認することができたくらいで、まあ当然だとは思っています」 ──永嶋さんと松野さんはこうおっしゃっています。「PBSを使えばERSSでのリアルタイムデータがなくても今後の原子炉の動向はシミュレートできた」「またそのシミュレーションを入れてSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を起動して出力することができた」「避難の方向や距離を予測できた」。それについてはいかがですか? 班目 「避難の方向となると、いつ格納容器から漏れ出すかという情報が必要になってくるので、これはむしろPBSではなくてSPEEDIの方の話です。当時風はずっと山から海の方向に流れていました。そういう意味では陸地の方には来ないという計算結果になったはずですよ」 (筆者注:インタビュー終了後、PBSについて班目氏が言及しなかったことについて、文面で読んだ班目氏からメールで下記2点の補足があった) 「PBSのシミュレーションをしているのは保安院であり、保安院はその結果をSPEEDI画面上に出力させることもできたでしょう。なぜしなかったかは私の方では分かりません」 「この時点では安全委員会がSPEEDIを使用するに当たっては文科省の許可が必要でした」 ──時間的にはこれを使わなくても、3時間で核燃料が溶け出すことは常識ということですよね。班目先生、松野さん、永嶋さん、ご意見が一致しています。非常に納得できます。 班目 「やはり3時間だねと言ったと思います」 ──それはどの時点でですか? 班目 「ERCからそういう情報が入った時に」 ──なるほど。ですからこの時点で20時30分だとすると、23時30分頃にはということですよね。 班目 「21時ちょっと前に2号機のRCIC(原子炉隔離時冷却系)が止まったと聞いたと思います。だから24時までの勝負だなと思った。それまでは、15時から8時間後の23時から24時に直流電源がまず切れて、そのあといろいろ操作ができなくなって、そのさらに3時間後が勝負だと思われていたのが、早まってしまったという感じですね」 ──11日24時頃ということですよね。 班目 「だと思っていたらもうRCICが止まったということで、これは大変だと思った」 ──「このJNES〜ERCからのシミュレーション報告が首相官邸にも届いていた」と、福山哲郎官房副長官(当時)が回顧録で書いておられます。それは「プラント解析システム(PBS)の予測結果による」とはっきり書かれている。つまりPBSはちゃんと起動して使われていた。その結果は班目先生にも届いていたんですか? 班目 「PBSの結果はERC経由で、20時から21時の間、4号館(安全委員長執務室)にいた時に聞いていると思います」 ──そこでもうご存じだったんですね。 班目 「だけどいつから本当に炉心注水ができなくなったかが、はっきりしなかった。私は21時に止まって24時までが勝負だと思っていましたから」 ──現実に水が入らなくなったのが、いつからなのかが分からない。 班目 「そうなんです。その情報がないんです」 (つづく) |