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「原発とは、非常時には死を覚悟した突入まで求められるシステムなのだ」政治学者 杉田敦氏。
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(思潮 あれから2年)撤退という選択肢 原発事故、政治と倫理のジレンマ
朝日新聞 2013.03.04 東京朝刊 34面
東京電力福島第一原発の事故直後に私たちは、民間従業員の「現場から撤退」する道が内閣総理大臣によって封じられる事態を目撃した。あの瞬間が倫理や政治の面で引き起こした問いに、論壇で光が当てられつつある。
菅直人首相(当時)が東電本店を訪れ、「(現場からの)撤退などありえない。覚悟を決めてください」と伝えた。2011年3月15日。第一原発では水素爆発が相次いでいた。
「少々極端なことをいえば、福島原発で働いている人たちの生命にもし危機が訪れたら、全員撤退させるという選択肢があると私は思っています」。事故から約10カ月後の段階で、宗教学者の山折哲雄氏はそう語っていた(図書新聞12年1月1日号)。
そうなれば放射能は全国にばらまかれるが、そのリスクは国民全体で引き受けよう――そういう視点が我々の社会にないのはなぜか、と山折氏は問いかけていた。
なぜ発言したのか。「倫理の問題として考え続けるべきだと思った」と山折氏は話す。「『誰かが犠牲になることを前提にした文明』か、『全員救済を目指し、負の結果も全員で受け止める文明』か。そのジレンマが存在するという事実から目を背けたままではいけない」
昨秋、菅氏は著書『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』を発表した。同書によれば、菅氏は当時「犠牲者が出るのも覚悟」した。生命の危険がある作業を自衛隊員でも警察官でもない民間人に要求してよいのかと思案し、結果、「国の危機」を回避するためには「総理大臣として権限を行使すべきだ」と判断した。そう書いている。「もはや戦争だった」とも。
■「意識しないまま準戦時体制」
菅氏が背負った政治責任をどう考えるか。社会学者の小熊英二氏は今回、菅氏本人にロングインタビューした(現代思想3月号)。
仮に欧州で同様の事態になったら、軍隊なら命令されれば現場に残るだろうが民間従業員なら断るし、残れと命じれば企業も社会的責任を問われるだろう。そんな見解を小熊氏が紹介したのに対し、菅氏は、自衛隊や消防は原子炉の専門家でなく「東電以上に事故対応能力を持つ組織はありませんでした」と答えた。
小熊氏は重ねて問いかけた。原発を維持し続けるならば、「死ぬ可能性がある命令に従う技術者集団をどこかに作らないと、制度的および倫理的な欠陥」があることになる。そうした集団を果たして憲法や民法と矛盾せずに作れるものなのか、と。
政治学者の杉田敦氏は、「私たちは『原子力の平和利用』路線を採った段階で、意識せぬまま一種の『準戦時体制』に入った」と見る。原発とは日常的に情報統制や厳しい監視を必要とし、非常時には死を覚悟した突入まで求められるシステムなのだ、と。
政府が民間人に生死にかかわる要請をすることの是非が注目されたが、それは、「原子力の平和利用」に内在していた矛盾が表面化したに過ぎない。巨大なリスクを、備えのないまま社会に受け入れ、維持してきた私たち。その全員に問題を再考する責任があるのだ。杉田氏はそう語った。
(塩倉裕)
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