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野蛮と文明(2) 日本人の野蛮性(原発事故の現象)  武田邦彦 
http://www.asyura2.com/13/genpatu30/msg/498.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 3 月 01 日 22:42:01: igsppGRN/E9PQ
 

野蛮と文明(2) 日本人の野蛮性(原発事故の現象)
http://takedanet.com/2013/02/post_42da.html
平成25年2月22日 武田邦彦(中部大学)



ヨーロッパ人は残虐で野蛮だけれど、日本人は心優しく、誠実で、礼儀正しく、人なつっこく、好奇心が強く、そしてすこし狡い民族で、全体としては他民族から信頼される「愛すべき人たち」だと思っていた。


でも、原発事故の後、日本人の野蛮性を目にして、現在ではかなり認識は違う。原発事故の後、民主党政権ばかりではなく野党だった自民党、福島県をはじめとした自治体、東大教授などの専門家、気象学会や医学会など、本来なら国民から尊敬されなければならない日本の指導層に深い野蛮性が見られたからである。


原始的な野蛮性は、問答無用で暴力的に殺害したり、女性をさらったり、人の土地を取り上げたりする行為であるが、少し狡猾になると「風評を立てて人に被害を与える」ということになる。



たとえばヨーロッパ中世で猛威を振るった「魔女裁判と死刑」があった。天変地異などがあると、普通に生活している女性を「魔女」に仕立て上げて火あぶりや縛り首にして、それで不運を解消しようとした。まさに、「正当なこと」をせずに「風評を立てて押し切る」という手法である。


原発事故に関しては、次のような風評がはびこった。
1)原発は危険なのに安全という風評を立てた、
2)日本人を被曝から守る法令があるのに「無い」と言って風評を立てた、
3)法令で被曝限度が1年1ミリと決まっているのに「決まっていない」と言って風評を立てた、
4)1年1ミリは「外部被曝+内部被曝」なのに、内部被曝をもたらす食品の安全基準を1年1ミリとした、
5)販売してはいけない汚染された食材を販売し、それに反対する人に「風評をまき散らすな」という風評を立てた、
6)法令で退避させなければならない危険地帯にいる人に「大丈夫」と言った、
7)「法令を守れ」という人を排除し、あるいはバッシングした、
8)法令があるのに、その20倍の被曝でも良いという外国の任意団体を持ち出して日本の子どもに被曝させた、
などである。


まさに、野蛮な行為そのものである。なぜ、日本人がこのように突如として野蛮な行為に走り、理性を持って呼び掛ける人をバッシングしたのは、それにはいくつかのトリックが使われた。


1)自然放射線が1年1ミリより高いというトリック(被曝による健康障害は「足し算」だから比較することはできない)、
2)世界には自然放射線の高いところがあり、健康だというトリック(中国、インド、ブラジルなどの自然放射線の高い地域の発ガン率は明らかでは無い(寿命が短い、統計データがないなど)、
3)広島原爆でも大したことはなかったというトリック(福島の爆発によってでた放射性物質が77京ベクレル(広島原爆の186倍)という政府発表をしながら、口コミで指導層を抑えた、
4)スピーディーの計算値を隠したり、ベント前の漏洩を隠したり、放射線量を少なめに発表したり、ストロンチウムなどの測定値を公表しなかったり、さまざまなデータ隠しをした、
5)食材の多くの測定をせず、また汚染された食材の行く先を公表しなかった、
6)気象学会が「福島の風向きなどを発表するな」と学者に制限した。


現実に、法令に反する被曝、食材、土壌汚染があるにも関わらず、「みんなで風評を立てれば、それで押し通せる」という魔女狩りと全く同じ手法を採ったのである。


このことについて今後も解析を進めていくが、ナチスがアウシュビッツでユダヤ人の大量虐殺をしたときの社会現象とまったく同一である。それは、1)権威(政府)が認めたこと、2)大勢が参加すること、によって残虐な行為や野蛮なことが、「自分の責任では無い。みんながやっているから」という言い訳ができるということによる人間の野蛮性、残虐性の発現である。


やや楽天的で、それほど丁寧ではない私でも、この2年、日本で生活する精神的苦痛は大きかった。このような野蛮な行為を見て、辛かった人が大勢おられるだろう。


これまでの日本社会でも部分的には野蛮で残虐な行為があったが、原発事故で見られたような残虐さは歴史的あったのだろうか? 日本史、日本社会の研究をされている学者の方の研究を期待したい。


時々、記事を書いている内になにかイヤになってくることがありますが、日本人というのはこうだったのか? それともアウシュビッツの後でドイツ人も同じ感覚を持っていたのかと複雑な気持ちでした。


 

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コメント
 
01. 2013年3月01日 22:57:17 : yj5FnYZ31o
美しく清く正しく生きる が日本人の心

政治家も官僚も国のためならばなぜこの言葉を大切にしなかったのか。
あなたがたにはそういった職につく資格すらないと思う。

教師は彼らが子供たちの時代にいったいなにを教えてきたのか。


02. 2013年3月01日 23:52:57 : 7oSKGju5kA
結局明治以前の支配被支配の形が看板や体裁を付け替えて今だに続いて居るって事ですよ。
…ナントカは生かさず殺さず


時代を越えて、その「ナントカ」ってのが我々って事です。


03. 2013年3月02日 00:01:54 : FfzzRIbxkp
武田先生のおっしゃるとおりだと思います。

”風評 ”という表現が、上手く租借できずに困っていましたが、
”風評がはびこった。””風評を立てた。”の方が理解しやすいです。
そのあとに被害が出てくるのに、
マスコミは始めから、”風評被害 ”という造語を作って、理解を困難にしました。おそらく、風評の意味もわからずに使っていたのではないかと推測します。

わからない言葉を、あたかも意味が存在しているように使うのは、
マスコミの中に、ミスコミュニケーションが存在しているのではと思います。
コミュニケーションは対人との関係で使いますが、むしろ、自己との関係にミスコミュニケーションが存在しているように思うのです。

いじめの問題などは、いじめをする子供たちの自分自身の認識の誤解を解いていくことで、いじめをしなくなる。(仲良しになってしまう子供も多いです。)

虐待にしても、虐待をしてしまう当事者の誤解を解いていくことで、虐待をしなくなる・・・。という事例を経験しています。

教師においてもです。体罰を使ってしまう教師の中に浮上している凝り固まった誤解をといていく、認識を改めていくことで体罰を使わなくなる、、むしろ、奉仕的になるケースにも出会いました。

ミスコミュニケーションについて、日経ビジネスが2011年11月に記事にのせていますが、とても興味深いです。リンクが貼れなくてすいません。

ミスコミュニケーションが原因ではなくて、今回のような事故や被ばくの被害が広がるのならば、”野蛮な行為”について、私も認識を改めようと思います。



04. nnnnhls 2013年3月03日 15:37:47 : tZ38gMRCXhh.Y : eMfy0SnnAE
投稿者の提起された問題は次のとおり。「このことについて今後も解析を進めていくが、ナチスがアウシュビッツでユダヤ人の大量虐殺をしたときの社会現象とまったく同一である。それは、1)権威(政府)が認めたこと、2)大勢が参加すること、によって残虐な行為や野蛮なことが、「自分の責任では無い。みんながやっているから」という言い訳ができるということによる人間の野蛮性、残虐性の発現である。

どうすれば、改めることができるでしょうか。人間の野蛮性、残虐性は根絶できないかもしれませんが、和らげることはできます。

意図的にたてる風評が、人々のあいだではびこる原因のひとつは、事実のデータを政府、関係行政庁、関係企業、関係団体が公衆に開示しないことにある。

たとえば、福島原発事故現場から日々放出されている放射性物質の汚染状況について、ウィーンの権威ある機関ZAMG(http://www.zamg.ac.at/cms/de/aktuell/index.php)が事故直後からデータとスピーディによるアニメーションを公表していた。高崎をはじめ測候所が世界中にあるから、測定推定値の精度は高い。その事実を与党にも連絡をした。ところが、理由は知るよしもないが、同機関はアニメなどを公表しなくなった(別のサイトで公表?)。ウィーンに所在するIAEAの事務局長に上記事故後に就任されたのは、我が同胞である。

政府の当時の報道官(有法曹資格者)は、世界中に知れ渡っている前記データと異なる情報を日々平然と公表し、政府は正しい情報を人々に提供しようとしない。しかも「事故」ではなく、「事象」という法律用語を永らく用いていた。行政法学では、問題の程度が低い場合、事故ではなく事象という表現が用いられる。事態の深刻さが故意に隠蔽されていたのである。与党に抗議したのち、程なくこの用語法は改まった。健康に生活する生存権が過失ではなく故意に与党議員(当時)によって侵害されたのであり、その状態は今日まで継続している。残虐だけでしょうか。。

ナイス政権は、事実についての情報を公衆に開示せずに隠蔽し、まさに風評を意図的にたてて、人々を誤導してしまった。ドイツ統一後の国会議事堂は大きく開いた窓に特徴がある。広い窓は、議員はオープンに議論し立法を行い、行政庁もまた人々に国行政情報を知らせる、そして、人々はそれら情報を自ら取得しうる、というシンボルだそうです(国行政の透視化。取調室に限った透視化ではありません。)。

悪意のある風評をたてうる前提要件は、「知らしむべからず」という統治手法にある。行政情報公開法のより一層の活用が必要でしょう。場合によっては、同法の改正も必要になることでしょう。

具体的には、人々が自ら積極的に情報を行政庁に求める、国政調査権の発動を国会議員に求める。ある議員らは政治謀略を情報開示によって明確にされています。それには大変な尽力とエネルギー注入が必要であったことでしょう(ご立派)。このような地道な着実な活動があってはじめて、悪意ある風評をせき止めることができるのしょう。

理性のみならず正義感の強いジャーナリストは、日本にもおられるのではないでしょうか。ジャーナリストの本分が充分に見られないが故に、前記議員らがその穴埋めをされているのでしょうか。社会の木鐸はすでに死語となっているのでしょうか。口が封じられているのでしょうか。

特定のマスコミによる扇動から逃れるため、ドイツでは、1に、多くの知識人はテレビを保有しないし高級な専門誌以外の新聞を定期購読しない、2に、多数に増えたテレビやラジオチャネルのうちいくつかは、在野の見解を放送し、討論番組を放送しているだけではなく、3に、テレビ新聞より、むしろ、世界の良書が幅広く読まれ、知性がみがかれているようです。日本でも同様のアクションが見られますが、引き続き拡大することがよいのではないでしょう。



05. 2013年3月05日 01:14:31 : iPmOamtiSI
小出さんも,言うように早晩にも人類は滅びるのだろう。罪なき子供達の残酷極まりない最期の叫び声を聞きながら、なお、見ざる聞かざる言わざるの中に隠れ通せると思って止まない日本人。嗚呼!愚か!
救いようのない日本人。私の大嫌いな日本人の姿がそこにある。

考えろ!バカ者め!
自分の頭で想像してみろ!
何がいいのか、悪いのか?
難しい事ではないぞ!
小学生でもわかる事だぞ!

考え、共感し、苦悩する事の出来ぬ人間が多すぎる。彼らがそのまま呑気に存在出来ていること自体が、私は信じられない。真理があるとすれば、彼らは自分自身の矛盾に耐えられずに内部崩壊してもおかしくは無いと思うのだが....。


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