01. 2013年2月28日 02:15:32
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JBpress>日本再生>日本経済の幻想と真実 [日本経済の幻想と真実] 暴走する原子力規制委員会 無能な規制当局はまた事故を起こす 2013年02月28日(Thu) 池田 信夫 東北電力の東通原発(青森県)の敷地内を縦断する断層群について、原子力規制委員会は2月18日、「活断層である可能性が高い」と認定した。規制委は先に日本原電の敦賀原発(福井県)についても同様の判断をしており、田中俊一委員長は「活断層の上にある原発の安全審査はできない」と示唆しているので、この2つの原発は廃炉になる公算が強まった。 活断層は全国に2000以上あり、今回と同じく「12万〜13万年以内に動いた断層」という基準を適用すると、九州電力の玄海原発(福岡県)以外のすべての原発が廃炉になるとも言われる。 重要施設を活断層の上に建設することは禁止されていない マスコミでは「活断層の上に重要施設を設置することは禁止」なので廃炉にするのが当然と報じられているが、これは誤りである。規制委は活断層の上に原発の重要施設の設置を禁止する新安全基準の骨子素案を発表した。 つまり現在の安全基準では禁止されていないので、彼らも認めるように活断層の上の原発を廃炉にするのは法的根拠のない行政指導なのだ。 彼らの示す唯一の根拠は安全審査の手引きだが、そこにはこう書かれている。 建物・構築物の地盤の支持性能の評価においては、次に示す各事項の内容を満足していなければならない。ただし、耐震設計上考慮する活断層の露頭が確認された場合、その直上に耐震設計上の重要度分類Sクラスの建物・構築物を設置することは想定していないことから、本章に規定する事項については適用しない。 「重要度分類Sクラス」とは原子炉などの重要施設のことなので、「設置することは想定していない」のだから、当然どこかで「Sクラスの建物・構築物を設置することを禁止する」という規定があるものと思って探してみると、どこにもない。少なくともこの「手引き」には、活断層に関する禁止規定はないのだ。 では他の文書で禁じているのだろうか。この手引きのもとになる耐震設計審査指針にも、そういう規定はない。そもそもこの手引きは電力会社が発電所を建てるときのガイドラインであり、法的拘束力はないのだ。 反原発派の仕掛けた「トロイの木馬」 設置が禁止されていないのに「設置することは想定していない」というのは奇妙だ。なぜ手引きにこういう規定が入ったのだろうか。 関係者によると、2010年に手引きが書かれたとき、一部の研究者から「活断層の上に設置することを禁止すべきだ」という意見が出たという。しかし耐震指針で禁止していないことを実施の手引きで禁止できないので事務局が難色を示したところ、「想定していない」という文章を入れろと彼らが要求したため、こういう奇妙な結果になったのだという。 原子力規制委員会ができた直後から、全体の安全基準の話もしないうちに活断層の調査が始まったのも不可解だが、これは彼らが「活断層を狙えば廃炉に追い込める」と知っていたためだろう。いわば活断層問題は、反原発派が手引きに仕込んだ「トロイの木馬」なのだ。 しかしこの木馬は不完全である。これから決まる安全基準で活断層の上に建設することを禁じるとしても、その基準は既存の施設には適用できない。これは法の不遡及という法治国家の根本原理である。これを曲げて、例えば1981年の新耐震基準の前に建てた家に新耐震基準を適用すると、ほとんどが違法建築になって取り壊さなければならない。 もちろん新しい基準に合わせて一定の改修が必要なら、事業者が合意すれば可能だ。これをバックフィットと呼び、規制委が原発については導入する方針だ。しかし運転を禁止して廃炉に追い込むことはバックフィットの域を逸脱しており、違法である。 これによってほとんどの電力会社は債務超過になるだろう。しかし彼らはそれを恐れていない。総括原価方式で、コストアップはすべて電気料金に転嫁できるからだ。年間3兆円のコストを転嫁すると、電気代は2割ぐらい上がるだろう。愚かな活断層騒ぎの被害者は、すべての国民なのだ。 原発事故の原因は「原子力村の癒着」ではない 規制委の委員は「原子力村」を除いて選ばれたので、ほとんど行政経験のない技術者が多い。彼らが批判を恐れて過剰な安全基準をつくろうとするのは、ある意味で当然だ。こういう過剰な独立性による暴走は、世界各国の規制機関でも指摘される問題である。 福島第一原発事故が起きたとき、日本の原子力安全委員会や原子力安全・保安院の独立性が低いことが指摘され、安全委員会が解体されて規制委員会になったが、本当に事故の原因は独立性の不足だったのだろうか? 政府の事故調査委員会の報告なども言うように、事故の最大の原因は大津波によって非常用電源が浸水してすべての交流電源を喪失したことだが、この最大の原因は巨大津波を想定していなかった東電のミスにある。 もし彼らがその可能性を認識していれば、非常用電源を建屋の中に入れて浸水を防ぐ工事を(事故後に他の原発で行なわれたように)したはずだ。そのコストは数十億円で、事故によって生じた莫大なコストに比べれば取るに足りないからだ。なぜ東電はそういう(経営合理的な)行動を取らなかったのだろうか? その最大の原因は、全電源喪失は考慮しなくてもいいという安全基準である。この基準に基づいて監視するかぎり、官民癒着があろうとなかろうと東電に安全措置を命じることはできない。つまり問題は安全基準の不備であり、その監視体制の問題ではないのだ。 もちろん安全基準を作ったのは安全委だから国の責任は重大だが、それは癒着していたからではない。本当に電力会社の利益を第一に考えたら、安全委は「全電源喪失を想定せよ」という基準を作っただろう。それが電力会社の利益になるからだ。 大気汚染のように環境コストを企業が負わない場合には、規制当局と企業の利害は対立するが、原発事故のようにそれが賠償という形ではね返ってくる場合は、当局と業者に基本的には利害対立はないのだ。 つまり今回の事故の根本原因は、マスコミが報じるように原子力委員会が電力業界の利益を過大評価して危険を放置したことではなく、彼らが業界の利益を過小評価したことだ。それは彼らが業界と癒着していたからではなく、無能だったからである。 だから原子力村を排除して組織された規制委は、安全委より危険だ。彼らは業界の情報から隔絶され、安全委より無能だからである。「規制委は危ない。あんなでたらめな規制をしていたら、また必ず事故が起こる」と、ある原子力村のメンバーは語っていた。 |