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2013-02-20 07:21:30 生き生き箕面通信
おはようございます。
生き生き箕面通信1521(130220)をお届けします。
・「原発推進派はピンぼけ」と朝日新聞の社説が痛烈批判
珍しく朝日新聞が論旨明快のすっきりした社説を掲載しました。本日2月20日の社説は、タイトルが「原発推進派 規制委批判のピンぼけ」でした。原発推進派をひとくくりにしてバッサリ、一刀両断にしました。ボクがえらそうにいうのもはばかられますが、「アッパレ」を差し上げましょう。
書き出しは、「自民党やメディアの一部から原子力規制委員会に対する批判が急速に高まっている」と、最近の言論空間の懸念すべき傾向を指摘。「批判の出どころは、もっぱら原発の再稼働を急ぐ人たちだ」と、批判する人々の正体が「原子力ムラ」だと暴いています。そして、「やれやれ、である」と、肩をすくめ、「オー、ノー」のポーズです。ここで出てきた「メディアの一部」とは、読売新聞、サンケイ新聞、日経など、メディアの大半をさしています。NHKをはじめ民放各社も、もちろん原子力ムラ寄りです。原発ムラは、気がつくと、大手メディアのほとんどを影響下に収めてしまったのです。
事態を分かりにくくしているのは、脱原発推進派の人たちにとっては、「規制委の田中俊一委員長は、原子力ムラが送り込んだ要警戒人物」だったはずだからです。ところがその人物を、原発推進派が躍起になって批判を浴びせている。どないなってんのや、となるわけです。朝日も、「そもそも田中委員長は、(中略)原子力の役割を重視しているのも確かだ。『将来的に原発をゼロにすべきだ』とする朝日新聞の社説とは立場が違う」と、朝日の立場を鮮明にしてみせました。
さらに続けて、「ただ、規制委は少なくとも事故の反省にたち、信頼回復の第一歩として厳格に電子力と向き合っている。そんな専門家たちの営みを、原発推進派がつぶそうとしている。なんとも不思議な光景だ」と結んでいます。
僕は、最近の朝日は、原発推進派の”復活”の影響を受けて、腰が引けてきたのではないかと危ぶんでいました。原子力ムラの圧力が、朝日の論説陣にも及んでいるのではないか、と懸念していました。しかし、今日の社説で、「『将来的に原発をセロにすべきだ』とする朝日新聞の社説とは立場が違う」と、こうまで断言して退路を絶った以上、もう後戻りはできないはずです。ちょっと、安心しました。
しかし、安倍政権の本音は、原発推進です。さまざまな手を使って、原発再稼働を画策するのは間違いないところです。私たちは、原発推進のメディアにさまざまな手段でこうぎするとともに、国会議員には「原発推進なら落選させる」という圧力をかけ続けることが求められています。
◇
原発推進派―規制委批判のピンぼけ
http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_gnavi#Edit1
2013年2月20日(水)付 朝日新聞社説
自民党やメディアの一部から原子力規制委員会に対する批判が急速に高まっている。
原発敷地内の活断層評価や安全基準づくりで「公正さに欠ける」という。批判の出どころは、もっぱら原発の再稼働を急ぐ人たちだ。
やれやれ、である。規制委の創設にあたって「独立性を高めよ」と強く主張したのは自民党だ。脱原発に動く民主党政権の影響力を排除するためだった。
ところが、実際に動き始めた規制委は、科学的な見地に判断基準を絞り込み、厳格な姿勢を貫いている。
原発推進派からすれば、計算外だった。これでは再稼働がままならない。そんな危機感が、規制委攻撃につながっているとしか思えない。
批判の中身が薄いことからもそれは読み取れる。
例えば、「人選や評価に偏りがある」という批判だ。評価会合の専門委員は活断層学会など関連する学会の推薦を受けている。公開原則のもと、科学者同士が議論を続けている。
学者によって判断には幅があるが、学会側から結果に対する異論が相次いでいるわけでもない。何をもって「偏り」というのだろう。
「経済への影響を無視している」も、おかしい。福島の原発事故は、経済性を重んじるあまり安全規制の手を抜いてきた原発行政の延長線上で起きた。
経済の問題それ自体は重要だが、別途、対策を講じるべきであり、規制委に「手を緩めろ」と求めるのはお門違いだ。
むろん規制委に課題は少なくない。ことに事務局である原子力規制庁のあり方だ。
職員の多くは旧原子力安全・保安院や文部科学省からの横滑り。前審議官が電力会社に事前に報告書案を見せるなど、従来の考え方や行政手法がしみついている面が多々ある。
真に独立性・中立性を確保するには、職員の採用や人事、予算の面でも、より自由度をもたせるべきかもしれない。組織の改善に向けた議論は必要だ。
そもそも、田中俊一委員長は脱原発派から「原子力ムラの住人」と指弾されてきた。原子力の役割を重視しているのも確かだ。「将来的に原発をゼロにすべきだ」とする朝日新聞の社説とは立場が違う。
ただ、規制委は少なくとも事故の反省にたち、信頼回復の第一歩として厳格に原子力と向きあっている。そんな専門家たちの営みを、原発推進派がつぶそうとしている。
なんとも不思議な光景だ。
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