03. 2013年2月12日 23:36:31
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http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51842127.html 2013年02月11日 02:27 エネルギー 核廃棄物の問題は解決できる NHKスペシャルで核廃棄物をやっていたので見たが、予想どおりナンセンスな番組だった。10万年後の安全がどうとか、最終処分地が決まらないので核のゴミ問題は絶望だとかいう話は、学術会議の報告書と同じく誤ったホラーストーリーである。この問題を理解するためには、きのうの河野太郎氏と澤昭裕氏とのG1セッションのほうが参考になると思う。核燃料サイクルは破綻しており、撤退するしかない。高速増殖炉が将来実用化しても、採算に乗らないからだ。この点で河野氏と澤氏と私の意見は一致した。 これは難事業だが、最終処分が技術的に不可能であるかのようなNHKの話は間違いだ。10万年後の安全なんか保証する必要はない。プルトニウムより危険な水銀(毒性は永遠に続く)は年間22トン以上も大気中に放出されている。最終処分の技術は確立しており、問題はどこに引き受けてもらうかに尽きる。 その場所が決まっていないので大変だというのもおかしい。核燃料サイクルが行き詰まったら、六ヶ所村の再処理工場は撤退するしかない。その場合に六ヶ所村は宙に浮いてしまうので、それを最終処分地にすることが有力な選択肢である。今は再処理だけして最終処分は別の場所に持って行くことになっているので、国と地元の覚書を修正する必要がある。政治的には厄介だが、技術的には問題ない。 最終処分地としては福島第一原発の近くに埋めるなどの案もあり、六ヶ所村に限る必要はないが、再処理工場がなくなる地元対策としてはちょうどいいし、地盤などの問題もクリアされている。これまで核燃料サイクルに投じられたコストのほとんどはサンクコストであり、考えてはいけない。大事なのは、今後のコストをいかに最小化して撤退するかである。 追記:G1でも言ったが、高速増殖炉の問題は技術ではなく採算性である。OECDの保守的な評価でも、「非在来型ウラン」の埋蔵量は700年分あり、再処理は経済的に意味がない。 2013年02月11日 20:33 エネルギー 非在来型ウランの埋蔵量について きのうのG1サミットの内容が関係者にいろいろな反響を呼んでいるの、少し補足説明をしておく(テクニカル)。
放送でもいったことだが、核燃料サイクルの問題は技術ではない。高速増殖炉の技術に大きな問題があるわけではない。もんじゅの事故は単なる配管の破断であり、原子炉そのものに欠陥があるわけではない。致命的な問題は、採算性である。河野太郎氏も指摘したように、もんじゅや六ヶ所村のプラントには想定をはるかに超えるコストがかかって実用化が40年後に遅れているばかりでなく、そもそも再処理の目的である高速増殖炉(FBR)が経済的に意味をなさないのだ。 FBRはプルトニウムを燃料にしてそれより多くのプルトニウムを生み出す「夢の原子炉」といわれているが、1970年代に核燃料サイクルの計画が始まったときは、ウランの埋蔵量が数十年しかなく、世界で原子力開発が進んだら枯渇してしまうという危機感があった。このため、国内でエネルギーを生産できる「準国産エネルギー」としてFBRが期待されたのだ。 しかし最近の「非在来型エネルギー」の開発によって、この根本前提がゆらいできた。OECDの報告書はこう書いている: 1980年代以来、ウラン探鉱は限定的にしか行われてこなかったが、2002年以降はウラン価格の上昇を受け、探鉱活動は以前の3倍以上に増加した。近年の探鉱活動が活発でなかったにも関わらず、現在の消費量に対する既知のウラン資源の割合(=可採年数)は、他の鉱物エネルギー資源とほぼ同等で、約100年である。さらに現在の地質学的情報に基づいて発見が見込まれる資源を加えると、可採年数は300年分近くになる。また、「非在来型」資源、具体的にはリン鉱石中に含まれるウランも加えると、この数字は約700年にまで延びる。 通常のウラン(価格130ドル/kg以下)の埋蔵量は、世界全体で630万トン程度と推定され、これは世界のウラン消費量(約6.3万トン)の100年分ぐらいだが、それ以上のコストで採掘可能な非在来型ウランの埋蔵量は、IAEAによれば3500万トンある。これは世界の消費量の550年分である。OECDは2200万トンという数字を「きわめて保守的な推定」として紹介しているが、これでも350年分である。 さらに海水中にはほぼ無尽蔵のウランが含まれているが、その精製コストも下がり、日本の原子力委員会の報告によれば25000円/kgまで下げられる。これは通常のウランの価格基準(130ドル)の2倍程度で、今後の技術進歩で在来型のウランと競争できる可能性もあり、そのコストは核燃料サイクルよりはるかに低い。 そういうわけで、たとえFBRが完璧で安全な技術だとしても必要ないのだ。使用ずみ核燃料を直接処分したほうが安いからである。そしてFBRが必要なくなると、核燃料サイクルは宙に浮いてしまう。プルサーマルは核燃料サイクルを延命するための技術で、再処理から撤退すれば必要ない。こういう事実認識は、河野太郎氏から電力会社に至るまでほぼ同じだ。必要なのは政治的な決断だけである。 「エネルギー」カテゴリの最新記事 非在来型ウランの埋蔵量について 核廃棄物の問題は解決できる 環境省の法的根拠なきCO2規制 日本原電は行政訴訟を起こせ 暴走する原子力規制委員会 パンドラの約束 活断層はなぜ今ごろ「発見」されたのか すべての電力会社を「東電状態」にする未来の党 原発は「フェードアウト」できるのか 「脱原発」を卒業しよう
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